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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(1)

 

「はぁああああ〜」

 綾香は、ゆっくりと息を吐いた。それだけで、周りの空気に緊張が走るのを浩之は感じた。

 下はスパッツで、上も身体にピッタリと引っ付いたシャツ。身体の曲線がもろに見えるその姿には 、しかしいやらしさは少しもなかった。

 いや、妖艶というものに近いものはあるかもしれないが、それよりも彼女を取り囲む気迫に、 浩之は目を奪われていた。

 強い者が持つ、独特の存在感。

 今、その気配と言えばいいのか、目には見えないそれを、綾香は全身から放っていた。

 今から、こんなまるで生きる闘神と戦うと思うと、重い気を通り越して、寒気さえ感じる。

 しかし、浩之も成長が少しもないわけではなかった。そう、見える。綾香の身体から力が完全に 抜け、つまり完全に戦闘体型に入ったことが、感じ取れる。

 深呼吸一つ、それが綾香が戦闘の準備をするのに十分な時間なのだ。

 浩之も、綾香の神々しいまでの姿に見惚れるのをやめ、遅まきながら身体の隅々まで自分の 調子をはかる。

 格闘技とは、どれだけ自分の身体を思い通りに操れるかだ。そして、それにどこまで身体が ついてこられるかで決まる。

 まだまだ身体能力では負けるが、浩之も身体の操作にはかなりの自信がある。

 身体は……大丈夫だ、異常はない。後は、綾香の気迫にどこまで押されないかだ……

 自然な動きで、綾香は構えを取った。それに比べれば、まだ浩之の構えは完全に自分のものと なったものではなかったが、まあそれでもいい方だろう。

「じゃあ、いい?」

 綾香は、まるで今から買物にでも誘うような口調で、浩之に訊ねた。

「ああ、いいぜ」

 浩之は、これは今から試合をするのだと分かる緊張した声で答えた。

「なら、いくわよ」

 浩之は、ゴクンと音をたててつばを飲みこんだ。

「レディー、ファイト!」

 綾香の声が、2人だけしかいないこの広い練習場の中に響いた。

「せいっ!」

「ハッ!」

 パパンッ!

 その響きが消えるよりも早く、2人の声と、2人の拳が、もっと小さく、鋭い音を立てた。

 ファーストアタックは、綾香はワンツーのコンビネーション、浩之は左のジャブ。

 しかし、それはどちらにもかすりさえしなかった。

 当然、この2人の序の口は、このレベルだ。まだまだ長い先がある。

 最初のワンツーを左ジャブを打ちながら避けた浩之は、プロも舌をまくであろう早いフットワーク で綾香の射程範囲から逃げる。

 しかし、射程範囲から逃げると言うことは、その間は射程範囲内だと言うことだ。

「ひゅっ!」

 綾香は弾丸のように鋭い掛け声とともに、逃げようとする浩之を蹴りで狙い打った。

 しかし、それこそ浩之のフェイント、その瞬間に懐に入り、蹴りを相殺し、一撃を加える 予定であった。

 バシィ!

 しかし、綾香のミドルキックは、そんな隙を浩之には与えてくれなかった。絞られた、その 驚くべきバネを持つ綾香の美しい脚から繰り出される蹴りは、浩之の反撃の意思もチャンスも軽く 奪い取る力があった。

 衝撃が、受けた腕だけではなく、内臓にまで伝わる蹴り。威力が、格段に違うのだ。葵の上段 回し蹴りだってうまくすればダメージを消せるのに、それすらできないのだ。

 浩之はバランスを崩さないようにするのが精一杯だった。しかし、ここで止まっていては、 それこそ綾香の思うつぼだ。

 浩之は身体を素早く沈めた。まだ鍛える余地が残る足腰が無茶な動きに悲鳴をあげたが、今 の状況を打開するためにはその動きが必要だった。

 打撃ではどうしようもない。ここは、グラウンドで……

 浩之はそう思ったわけでもなかったが、重心を落した瞬間に、綾香にタックルをかけていた。 まだ教えてはもらってはいなかったが、見よう見真似でここまで仕上げたのだ。

 しかし、浩之はそのタックルを綾香にかけることなく、前につんのめるような格好で綾香の 横を通り過ぎた。

 一瞬、綾香があっけに取られる時間を利用して、そのまま前転するようにして 床の上を転がり、今度こそ綾香の射程範囲から逃げ切る。

 タックルをかけようとしたそのとき、綾香がそのタックルを読んでいることに気付き、横に 逃げたのだ。あのままタックルをかけていれば、綾香のタックル殺しの膝に顔面を打ちぬかれて いただろう。

「へ〜、読んだのかどうか分からないけど、タックルをフェイントに距離を取るなんて、 いいカンしてるじゃない」

 綾香はどこか皮肉っぽくも、浩之のその瞬間の判断をほめる。

「ぬかせ、これも作戦のうちだぜ」

 もちろん、そんな作戦はなかったが、ここはそう言っておくことにした。一応射程外に出て 少し気が緩んだのかも知れない。

 しかし、もう二度はこの方法は使えない。浩之はそう感じていた。例えそれが作戦だろうと、 とっさの行動だろうと、同じ行動は綾香には読まれる。そして、次は横を抜けようとした瞬間に 仕留められるだろう。

 むしろ、どうしようもないのだ。ただ射程外に逃げるだけでも、かなりの作戦と体力を使う。 しかし、近づいても勝機は薄い。

 待って対応しようにも、スピードもパワーも桁違いであるし、綾香に対応させようものなら、 的確に恐ろしいカウンターが待っている。

 恐ろしい相手だ。何をやっても、勝てる気がしない。どんな手を使っても、結局自分が追い 詰められているようにしか思えない。

 しかし、浩之はそれでも戦いを捨てない。綾香と戦うのは、自分がやられるためではないのだ。

 綾香に勝つために、俺は今綾香の前に立っている!

 浩之は、綾香の放つ覇気に硬直しようとする身体に叱咤した。そして、血液を全身に流しこむ。 次の行動のために。

 戦いというものは、いつも数瞬。しかし、その数瞬は、何よりも辛く、何よりも。

 何よりも、楽しい。

「いくぜっ!」

 浩之は、床にひっついて根をはろうとする脚を前に動かすためにも、綾香に向かって叫んだ。

 ダメージはまだ受けていない。息もあがっていない。

 まだ、始まったばかりだ。まだまだ、これからだ!

 ダンッバッ!

 一歩強く踏み出し、浩之は再度身体を一度動かして、綾香の攻撃射程内に飛び込んだ。

 綾香も、その浩之の動きに合わせるように、動いた。

 何も効かないかどうかは、ためしてみないと分からないだろ!

 浩之は、パンッ、と自分の目の前で手を叩いた。

 

続く

 

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