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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(8)

 

 綾香は、リズムに乗ったまま、葵との距離を縮めた。

 その動きは、よく知っている動き。まだ、ほんの1ヶ月足らずしか格闘技を習っていないはず なのに、その自然な動きは、ある意味美しくさえ見える。

 そう、それは、浩之の動き。向かってくる綾香の姿に、浩之の姿が葵にはだぶって見えた。

 とっさに、葵は手を出した。

 左のジャブを、綾香は、踏みとどまって避ける。

 この後に続く攻撃を見越して、センパイは距離を縮める。打撃の威力を消すためだ。

 葵が思った通り、浩之の動きを真似ている綾香は、その通りに動く。だが、だからこそうかつに 反撃はできない。浩之がある程度読まれても葵の相手をできるのは、読まれてもいい攻撃をして くるからだ。

 近距離での押し合い。さすがに、この距離では葵でも打撃の威力は半減してしまう。崩拳を 自由に使う能力が葵にない以上、この状態では必殺の一撃は出せない。

 しかし、反対に、それは浩之も同じこと。だから、浩之はある程度様子を見て、押し切れない と思ったら、すぐに距離を取る。

 葵は、綾香の浩之に似せた動きを全てかわす。近距離で避け難いとは言え、葵と浩之では実力に 雲泥の差があるのだ。綾香が浩之のスピードにするかぎり、そこまで恐いものではない。

 有効打をあてれないまま、綾香は一歩後ろに下がり、打撃の打てる距離を空ける。

 ここで、もし葵に同じことをやられては、自分が後手を踏むことになる。浩之が、そこまで 考えているかどうかは判断できないが、それが実に理にかなっているのは確かだった。

 攻撃も防御も、リズムがありこぎみよい。さすがはセンパイ、素人だなんてとても口にはでき ない動きです。

 葵は、綾香が相手をしているのにも関わらず、そう改めて浩之のことを尊敬するに至る。 それほどに、いい動きなのだ。

 いつもは、そんなところまでよく見ていないのだが、リズム一つに集中して見ると、何と それが素晴らしいものかが分かる。

 おしむらくは、まだ格闘技にかけた時間が足りないせいで、基本的な打撃力やスピードがまだまだ ってところです。

 葵は、浩之のことを尊敬もしてるし、自分よりも低いと思ったことなど一度もない。ただ、それが こと格闘技のこととなると話は別だ。

 葵は、浩之の今の格闘能力のことはよく分かっている。それだけに、尊敬しているのだ。今自分の 方が上かもしれないが、そのうち追い越されることも十分に考えられるからこそ、素人同然の浩之の ことを弁護したりもするのだ。

 右の次は……左。

 右ジャブを避けながら、葵は次の攻撃を読んでいた。浩之とて、攻撃パターンが無限にある わけではない。効率のよい攻撃方法は、おのずと限られてくる。

 それに足すようにフェイントを頭のすみに置いておけば、まだ浩之の動きは葵のついていけない ものではない。

 左ジャブも避け、当然その後は浩之の左ミドルが来るので、それをガードする。

 見える、綾香さんの、センパイの動きが見える。

 葵も、その洗練されたリズムに押し出されるように、神経がシャープになりだしていた。 次にどう動くかを予測し、その動きに合わせてこちらは対抗策をねる。

 左、右、フェイント、右、左、右ハイっ!

 土台が浩之なので、目で追えないという速度ではないが、葵は、目で追うどころか、身体が 勝手に反応するのだ。一番スパーリングをする相手なので、葵の調子が良ければ、一番読める相手 であるのだ。

 綾香の左右のワンツーを避け、葵は次の攻撃を読んだ。

 ここからはおそらくセンパイは脚を使うはずだ。センパイは、まだ蹴りは安定した威力を 出せない。ローはなんとかものになるが、ミドルやハイはどちらかと言うと見せ技だ。ならば、この 次の打撃は威力、スピードともに落ちる。

 では、その打撃にカウンターを合わせる!

 葵は、左のジャブを避け、続けざまに出された右を受ける。葵にとってもベストのタイミングだ。 次の蹴りが、フェイントであっても、葵は右のカウンターを合わせるつもりであった。

 しかし、葵の右が、空を切った。

「っ!」

 ほんの判瞬の差で、綾香の前で拳は空振りした。

 次の判瞬で、綾香から左のミドルキックが放たれた。

 ドカッ

 とっさに右手で蹴り足の根元を押して、葵は蹴りの威力を落した。

 無茶な体勢での防御と、殺し切れなかった蹴りの威力で、葵は反撃する間どころか、バランスを 取り戻す時間さえなかった。

 負ける!

 葵は、次の打撃を覚悟した。これだけのバランスを崩した状態があれば、浩之の打撃の威力なら、 自分は倒される。葵はどこか冷静に、そう覚悟した。

 しかし、綾香は次の攻撃を打ってこなかった。

「……どう、葵? なかなかきつかったでしょ」

 急に、目の前にいるのが綾香だと葵は思い出す。ならば、よけにあの後倒されないわけはない のだが。

「……ん、葵、大丈夫?」

「え、は、はいっ!」

 葵は、やっと我に返った。あの攻撃一度で、混乱して思考力を無くしていたのだ。今は練習中で、 綾香が浩之の使ったフェイントを見せてあげるというので、そのフェイントを見せてもらうだけ だったはずだ。だから、あの後とどめを刺さないのは当然。

「で、どうだった?」

「えーと……」

 葵は、恥ずかしそうに下を向いて言った。

「あの、凄いのはよくわかったんですけど、どういうものかってのはさっきのでは……」

「んーと、そうねえ」

 綾香は、少し首をかしげてから、トンットンットンッとステップを踏む。

「これ、とりあえず浩之のリズムってわけじゃないんだけど、とりあえず近いリズムにして みたの。まずこのタイミングを、葵に覚えさせる」

 そう言って、綾香はピピッとジャブを打つ。

「そして、機を狙って、ほんの判瞬だけタイミングを遅らせる。ま、あそこで葵がカウンターを 狙わなかったら、こんなに効くことはなかったと思うわ」

「でも、判瞬遅らせるって……」

「当然威力は落ちるわよ。でも、葵なら浩之のスピードに、例えカウンターを読まれてもついて いけたはずよ。あそこでタイミングをずらされたからこそ、あんな蹴りを防御しそこなったのよ」

「あんな蹴りって……」

 浩之は、端っこの方でぼそっと言ったが、綾香は聞き流した。葵はと言うと、目をキラキラと させて、それどころではないようだ。

「……すごいです、まだまだ格闘技って奥が深いんですね」

 葵は、さっきまで自分が倒されそうになったことを忘れたように喜んでいる。本当に、格闘技 のことになると人が変わるのだ。

「綾香さん、お願いです。そのフェイント、教えていただけませんか?」

「うーん、葵にはいらないと思うわよ。それもこれも、浩之が弱いから頭をひねって出しただけ だし」

「おい、さすがにひでー言い方じゃねえか?」

 しかし、やはりここでも浩之は無視された。

「いえ、本当にすごいですよ、センパイ。こんなこと考えつくなんて、私にはできません!」

「あ、ああ、そうかい。ありがとう」

 あまりにも葵の目がキラキラしているので、浩之は少し押されながら、答える。

「いや、そりゃ葵じゃ無理かもしれないけど……」

 綾香は、小声でそう言うのだった。

 

続く

 

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