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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(10)

 

「それで、結局言い合いしたせいで、肝心のエクストリームのルールについては説明できなかった わけね」

 坂下はズーッと音をたててコーラをすすった。

 もう外も暗くなりかけだが、ヤックの中は学生服を着た中高生で混雑していた。学校の帰り にしては、少し遅い時間だ。どう見ても遊んだ帰り、またはこれから遊びに行くのだろう。

 もちろん、坂下は今まで遊んでいたわけでもないし、こらから遊びに行くわけでもない。 部活が少し長引いたのだ。

 丁度、そこで仲むつまじく、少なくとも坂下にはそう見えた綾香と浩之が一緒に歩いてきた ので、見つけたので気を聞かせて見なかったことにしようとしたのだが、綾香に見つかって ヤックに連れてこられたのだ。もちろんテーブルの向かいには綾香と浩之が座っている。

「そうなのよ、浩之が私に文句つけてくるから……」

「ちょっと待て、俺は自分の命のために文句を言わないわけにはいかないんだが。だいたい、倒れた 相手を蹴るか?」

「浩之も別に組み手中は文句言わなかったじゃない」

「仕方ねえだろうが、あのときは文句言える余裕なんてなかったんだよ」

 坂下は、まだ言い合いを続ける綾香と浩之を、やはり冷たい目で見ていた。2人はどう思って いるのかは知らないが、一人身の坂下には、仲のよい2人の姿はいやみにしか見えない部分がある。

「……にしても、綾香。あんた、倒れた相手蹴ったの?」

 いくら空手をやっているからと言っても、坂下も所詮は現代空手だ。倒れた相手を蹴るなどと いう打撃は習っていないし、そういう考えも思い浮かばない。

「あのときは、ちょっと頭にきてたから」

 綾香は、平然とした顔でそう言った。

「おい……」

 それを聞いて、さすがに浩之も半眼になる。

「それがね、浩之のフェイントにひっかかって、ちょっと危なかったのよ。だから、ついつい 軽く本気出しちゃって」

「軽く本気って、綾香、あんたエクストリームだと倒れた相手を蹴ってもいいの?」

 もしそうなら、坂下は自分が思っているよりも、エクストリームはきつい戦いだと思った。

「さすがに禁止されてるわよ」

「ま、そうよね。いくらなんでも、素人がそんなことしたら危ないし」

 坂下のことは、当然格闘家と呼んでもいいだろう。だが、坂下としても、単なる暴力と、格闘と の差ははっきりと区別しているつもりだった。

 とくに、坂下は空手家だ。近代空手では、倒れた相手を攻撃する打撃はない。むしろ、部員が そんなことをしようものなら、厳しい罰を与えるところだ。

 それほど、倒れた相手を蹴るのは危険なのだ。ただ倒れた相手を踏むだけでも危険であるのに、 それが綾香の打撃となれば、まさに命の危険さえあるかもしれない。

 倒れていれば、受けたり、避けたりができない、とは言わないまでも、かなり難しい。

 それに、わざわざ蹴り足を高くまで上げなくても顔が蹴れる上に、当然そうなれば安定感は 上がるし、体重もかけやすい。

「……綾香、あんたかなりひどいことしてない?」

 考えれば考えるほど、綾香がそんな状態の浩之を蹴れば、どうなるかは火を見るよりも明らか、 浩之など一撃でKOだ。むしろ、坂下だってそんな状態で受ければ、ただでは済まない。怪我の 一つや二つで済めばいい方かもしれない。

「しかも、その後もボコだったからな。最後のアッパーの掌底のせいで、まだあごが痛いんだぜ。 素人に無茶するなよ」

「……って、この男も平気みたいだし」

「あ、何か言ったか?」

 浩之は、別にこれと言って青あざも見えない浩之の顔をまじましと見た。やる気のないその表情 はいつになっても気にいらないが、少なくとも噂で聞いた印象とはだいぶ違った。

 むしろそれは、もっとすごかったと言った方がいいのかもしれないが。

 まあ、変人という噂は、そういう部分では大きく外れてはいなかった。綾香と平然と付き合える 時点で、少なくとも一般人とは言えないだろう。もっとも、変人ということについては、 坂下は自分を除いているのだが。

 とにかく、今坂下の目の前にいる浩之は、噂とは違った。話をする前は少し不良っぽいと思って いたのだが、話してみると、まったくそんなことはなかった。

 やる気のなさそうな表情も、それが、ただの外見だけどすぐにわかる。むしろ、今日びこれほど 熱い男もいないのではなだろうかと思うほどだ。

 顔も、坂下はしぶしぶならがいいと言わざるおえなかった。さすがに、ブサイクな男に綾香や 葵が親しくなるとは思っていなかったが、坂下は人間性に顔は関係ないと思っていたのは確かな ので、そういう部分を見てしまう自分が少し嫌になってしまったりもした。

 顔もいいし、性格も、いいとは言えないが面白い。葵のことには親身になって聞くし、綾香の どんなことにもやる気なさそうな顔で平気でついていく。そして、言葉を信じるなら、わずか1ヶ月 ほどであそこまで上達する格闘センス。

 ……そりゃ、綾香がベタベタしたり葵が執着したりするわね。

 天才は綾香で見なれてるとは言え、目の前にして再確認すれば、やっぱり嫌なものだ。坂下は そう思わずにおれなかった。

 むしろ腹がたつのは、もし綾香や葵が関係なく、このやる気のさそうな男と知り会っていたら、 自分がこの男を好きになっていただろうことが分かることだ。

 もちろん、今は何が起こってもその気はない。綾香や葵と競り合うつもりもないし、この状態 ではそんな気も起きない。

 坂下は、確かに空手に執着したり、綾香に反発したりしてはいるが、基本的にはかなり冷静な のだ。多少の、少なくとも恋愛感情程度は、制御できるほどに。

「そんなに俺の顔を見つめるなよ、坂下。俺にほれると怪我するぜ」

 ……やっぱり、この男は嫌いだ。だからこそむしょうに腹がたつ。

「綾香、この男ボコッってもいい?」

「何で綾香に聞く、何で」

「OKって言ってくれそうだからに決まってるでしょ」

「いいんじゃないの、やっちゃっても」

 綾香は、平然とそう言った。冗談にせよ、他の女の子に気をむいたのを怒ったのか、それとも、 単なる冗談なのか、どちらにしろ、確かにOKはした。

 その言葉に反応するように、ギラリッと坂下は浩之を睨んだ。

 ボキボキボキッ

 坂下が指を鳴らす音は、何故か騒がしい店の中でよく響いた。

「……俺にほれると怪我するぜ、俺が」

 浩之はそう言って、落ちをつけたのだった。

 

続く

 

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