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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(12)

 

「ときに、松原君。君のその打撃の打ち方は、誰に教わったのかい?」

 老師は、一息ついたところで、急にそんな話をふってきた。

「打撃の打ち方……ですか?」

「ああ、そうだよ」

 葵は、少し返答に困った。

「それは、小さいころに空手道場の師範に教えていただきました」

 葵の全ての打撃は、もとはその空手道場の師範に教えてもらったものだ。その後に綾香や坂下に 手ほどきされることはあったが、基本は間違いないだろう。

「師範は私が尊敬する人の一人ですが、何か打ち方に問題がありましたか?」

 自分の技術がまだまだであることは葵自身よく知っていたが、少なくともこの形意拳の道場に 通っている間は、できるだけここで習った打ち方を使っている。

 しかし、自分でも気がつかないうちに打撃に癖が出ていたのだろうか?

 葵が色々と考えていることを見透かすように、老師は笑って言った。

「いや、違うよ、松原君。君は私の言った通りの形で打っているし、癖も出ていない」

「では、どういうことなんでしょうか?」

「そうだね……私が聞きたいのは、その目標のつけ方だよ」

 そう言うと、老師はあらぬ方向にすっと手を向けた。

「例えば、私の掌が一番威力を出せる距離を、この手から50センチ先だとしよう」

 そう言って、老師は葵から見れば力を抜いた状態で軽く一歩踏み出した。

 ダンッ!

 まったく力を入れていないような体勢から、脚が地面を強く打ち、激しい音をたてる。日本では 中国拳法の代名詞とも言える震脚だ。

 しかし、実際のところは、この震脚が大事なわけではないのだが、とりあえずその話は後にすると して、まったく隙のない、それでいて自然体な体勢から出された掌は、葵の比ではないほどの速さと 重さで空を切った。

「と、もし50センチ向こうに相手がいれば、この一撃を受けているだろう。では、もし、相手が 私の掌よりも中に入ってきていたらどうする?」

「自分の距離に持っていくのが、空手です」

 葵は確かに空手からは一応遠のいている。たまに古巣の道場に顔を出すこともあるが、それは 練習というよりもむしろ顔を見せる程度の話だ。

 しかし、それは空手を捨てたということではない。何かあれば、優先するのは空手であるし、目の 前の人物が形意拳の達人で、葵など問題にならないような人物であろうと、そういうところを曲げる 葵ではないのだ。

「ふむ、松原君が今まで日本の空手というものに携わってきた以上、その考えを捨てるのは無理だ ろう。それに、その考え自体は間違っているどころか、むしろ正しい」

 自分の距離で戦えば、それは当然有利に戦えることになる。反対に、相手の距離で戦えば不利は 明らかだ。個人個人で得意とする技や苦手とする技、リーチの差などがあるのだから、そういう「自分 の距離」というものができるのはしごく当然の話だ。

「しかし……だ。実戦においては、自分の距離だけで戦うというのは難しい。相手も当然動くだろう し、相手の方がリーチが長く、相手の方が上手で懐に入らせてくれないこともあるだろう。反対に、 向こうの技量が上で、すぐに懐に入られるかも知れない。実戦の経験が少ない日本の空手ではそういう 理想論的な考えが主流になるのは仕方のないことだがね」

「ですけど、実際その考えは十分役に立ちます」

 葵は、すかさず言い返す。実際、自分の距離に持っていけさえすれば、誰とやるにしても、かなり 有利に事を進めることができるのだ。

「もちろん、そういうことを考えた方が有利だとは思うがね。だが、形意拳はその上をいく」

「上、ですか?」

「上、という言い方は問題があるかもしれないが、少なくとも、形意拳はもう一歩先を考えている。 というよりも、松原君はある程度それを体得している様子だがね」

 そう言うと、老師はまた構えを取る。

「もし、自分と相手との距離が掌を突き出せるほど開いていなければ……」

 ズダンッ!

 震脚とともに、老師の両掌が下から前に押し出されるように突き出された。当然、スピードも 感じられる威力も桁違いだ。

「……その距離に見合った技を出す」

 葵は、その言葉を聞いて首をかしげた。それは、別段特別なことではないような気がしたからだ。 むしろ、よく聞く内容でさえある。

「それは、空手にもあります」

「だろうね」

「え、でも、さっき先に進んでると……」

 葵がない頭をひねっているのを見て、老師はハハハと大きく笑った。

「いやいや、すまない。もう少し分かりやすいように言えばよかったね」

「お願いします……」

 葵は顔を赤くしながらもそう頭を下げた。自分が頭の良い方ではないことぐらいは知っていたが、 こと格闘技のこととなると、理解できないのが恥ずかしくなってくる。

「君が習っていた空手は、得意な技を練習して、それを当てることを目的としていたんだろう?」

「はい、そうです」

 もっとも、その作業はここに来てもさして変わってはいないような気もする。

「しかし、形意拳は違う」

「違うんですか? 私は、同じ技の練習を続けるから、そうとばかり……」

 実際、今のところ葵は一つの技、俗に崩拳と呼ばれる技しか教えてもらっていなかった。この 技一つで全ての距離をまかなえとでも言うのだろうか?

「1度崩拳が打てたらしいね」

「はい、どう見てもまぐれとしか言えませんけど」

「では、そのときその距離は松原君の得意とする距離だったかい?」

「それは……すみません、よく覚えてないんです。好恵さんが向かってくるのが目に見えて、先輩の 声に反応して、後は自然に……」

「そう、それこそが、その自然体こそが、崩拳」

 老師は、今度はゆっくりと掌を前に突き出した。まったくよどむことなく、そして自然に。

 いつもの、葵がここに来てずっと教えられている型だ。

「この短調な動きを幾度となく練習することにより、君は一度とは言え手に入れたんだろう。高等 な技を」

 高等?

 耳慣れない言葉に、葵は首をかしげた。まったく分かりやすく説明するふりをして、老師の言葉は まったく分かりやすくないことだけは、葵にも分かった、

 

続く

 

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