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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(18)

 

 その選手はただリングに入ってきただった。何か大きなリアクションをしたわけでもないし、 鬼の形相をしていたわけでもない。

 しかし、浩之は寒気を感じた。それは、いつだったか最初に綾香の本気を見たときの感覚にも 似ていた。

 姫立という選手は、由香からタッチを受けて、ゆっくりとリングに入り、相手を真正面から見た。 睨みつけるというようなことではなく、ただ見ただけだった。

 それでも、一瞬相手の髪の長い選手がひるむのを浩之は見逃さなかった。

 体育館にあふれる歓声も大きいが、その中にも、何か畏怖という感情が混じっていそうな微妙な 雰囲気。今までの試合で、こんなことは一度もなかった。

 整いすぎた顔に、引き締まった体。この姫立という選手もまた、プロレスラーには見えなかった。 そう、これは……

 相手の選手が声をあげならが、姫立に水平チョップを打つ。姫立はそれを胸に受け、がくっと 一歩下がった。それを逃さまいと、相手の選手はラリアットを打ちこむ。

 バァンッ!

 大きな音を立てながら、姫立は倒れた。音が大きいのはいつものことだが、姫立はダメージを 受けたのか、ゆっくりと立ちあがろうとする。

 その瞬間、相手の選手はロープでふりをつけて、立ちあがろうとする姫立の頭の後ろに手をかけ 、その勢いのまま姫立の顔面をマットにたたきつける。

 フェースクラッシャーだ。威力のほどはどうとは言わないが、見た目には派手な技で、観客から も歓声が湧き上がる。

 倒れた姫立に向かって何か相手選手が叫んでいるが、例によって歓声で内容までは聞き取れない。 どうも態度から見ると、姫立と相手選手との間には因縁があるようだ。

 これもプロレスではよくあるパフォーマンスの一つである。ある程度人間模様があった方が 面白く見れるのだろう。

「センパイ、どう思います?」

「ん、何がだ?」

 さっきまで歓声をあげていた葵が、浩之に訊ねてきた。

「いえ、あの姫立って人、私にはすごく強そうに写ってるんですけど……」

 おそらく、自分が強いと感じた相手が、まったく一方的に攻撃を受けているので、疑問に思った のだろう。

 しかし、プロレスのことをよく知らない葵がこの疑問を今更考えるのはおかしな話もするのだが、 おそらく姫立の強さが普通ではないのを感じて思ったのだろうと浩之は思った。

「プロレスなんだから、一方的に攻撃して倒すわけにもいかないんだろうよ」

「あ、そういうもんなんですか?」

「ああ、そういうもんだ。じゃないとお客が喜ばないだろ」

 もちろん、リアルなのもいいが、それではプロレスの楽しみとは少し違う気もした。

「なるほど。だったら由香さんがわざわざ相手の技を受けるのもうなずけますね」

 確かに由香ほどの実力があれば多少の打撃を避けたりすることも可能だろうが、由香は今回の 試合では、受けるかわざわざ大げさに隙があるように避けている。相手のタックルを相手の背中を 使って側転しながら避けたり、わざわざバク転しながら距離を取ったり。もしエクストリームの試合 なら、何度も危険にさらされたであろう動きだ。

 しかし、見ている分には、それは綺麗な動きで、当然客は喜ぶ。ただ勝つだけでは駄目なプロレス ならではの動きだ。

 でなければ、あの程度の動き、姫立が避けれないわけがない。浩之はに保証があるわけでもない のにそう思えた。

 何故なら、姫立の身体は、プロレスラーのものではない。それは、格闘家の身体だ。

 それも特別の、まさに綾香とならぶほどの肉体。葵も、そのにおいをかぎつけたのだ。

 リングの上では相手選手が姫立を関節に捕らえようと腕を取ろうとしているが、姫立はそれを うまくかわしながらロープまで行く。

 相手選手は舌打ちすると、立ちあがった。寝技では向こうに一日の長があることを認めたの だろう。いつも試合をしているのだから、それぐらいはわかっているのだろうが、向こうにそれなり のダメージを与えないことには大技にはつなげれないこともよく分かっているのだろう。

 かわりに、まだ倒れたままの姫立を何度も蹴りつけた。

 姫立がロープを持ったままなので、相手選手に観客からブーイングが飛び、レフェリーも止め ようとするが、そんなことはまるでおかまいなしという風に相手選手は姫立を何度も踏みつけるように 蹴りつけた。

 ブーブーッ!

 観客からのブーイングは大きくなるが、むしろ相手選手はそれを喜んでいるようにさえ見えた。

 おそらく、悪役(ヒール)なのだろう。卑怯な手を使って客に嫌われるのが仕事だ。まあ、それも プロレスの一つのスタイルであり、ある意味王道でもある。

「姫立さんがんばれ〜っ!」

 単純な葵は、それを見てすぐに姫立の応援にまわることに決めたようだ。どうも相手選手もあれ を楽しんでいるようなので、浩之も応援するなら姫立の方を応援するつもりではあったが。

 しかし、それより何より、浩之は見たかった。あの姫立という、綾香と同等の強さという雰囲気を 持った彼女の、実力を。

 しかし、姫立は相手選手にやられっぱなしだった。いくらこの後逆転するのがプロレスの王道で あり、かっこいいのは分かっているが、ダメージを受けすぎのような気がする。

 本気の技と違って、致命的なダメージは受けにくいものの、あの力で殴られたり蹴られたり すれば、ダメージがまったくゼロというわけにはいかないはずだ。それは、由香があの身体でダメージに 強いと思っても、全部を消せるわけではないのだから。

 それでも、姫立は立ちあがってきた。そして避ければいいものを、相手を攻撃をほとんど受けて いる。

 危ないと思えば由香もカットには入って来るが、そう積極的でもなかったし、姫立も何故か 無理してでもタッチに行こうとしない。

 観客から、姫立コールが起こる。が、その程度で跳ね返せる逆境ではない、と浩之は判断した。 横の葵も心配そうな顔をして応援を止めている。

「センパイ、あそこまでダメージを受けると、命の危険も……」

 そう、葵は格闘家だから、ある程度技のダメージも分かる。その葵が命にかかわると言っている からには、よほどのダメージが蓄積されているはずだ。

「いっくよっ!」

 しかし、そんな浩之と葵の思いをまったく無視して、相手選手はひときわ大きな声をあげて、 姫立をロープに振った。

 この一撃で決めるつもりなのだろうことは一目瞭然だ。相手選手も合わせてロープに走り、 ふりをつける。

 これまで、と浩之は思った。おそらく由香のカットで助かることはあっても、自力で姫立が 技を返すまでの体力は残っていない。

 葵の判断も同じだった。二人もと格闘技を高いレベルで知っているのだから、それを間違う ことはないはずだった。

 だが、姫立は動いた。

 

続く

 

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