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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(23)

 

「は? 何寝ぼけたこと言ってんだ?」

 訊ねた先輩のプロレスラーは、あからさまに「何言ってやがる」という表情で言葉を返した。

 それぐらい俺も予想できたけどな……

 少し離れたところから会話を聞いている浩之は、そう思ってため息をついた。

「いいじゃないですか、先輩、少しぐらい」

「少しもへったくれもあるか。確かに今夜もそのままここは借り切ってるが、だからと言ってわざわざ お前のためにそこを貸してやる理由にゃならんだろ」

 もっともな意見だ。浩之は他人事のようにそう考えていた。

 もちろん、他人事ではないのだ。下手をすると、じゃあいいですと言って由香がここらで自分に 飛びつき腕十字をかけてくることだってありえるのだ。

「そんなこと言わずに、先輩」

「駄目だったら駄目だ。使いたきゃ代表でも他のやつにでも頼むんだな。だいたい、何であたしが あんたの言う事聞かなくちゃならないんだよ。あんたが相談するのは直の先輩の日鳥にだろ?」

「そこは、蛇の道は蛇っていいますから」

「……あんた、相変わらずいい度胸してるわね。いや、単にバカなだけか?」

 おいおい、なんか段々険悪になってるんだが……

 浩之は、このまま葵をつれて逃げてしまおうかとも考えていた。むしろ、その方が被害がなくて いい感じのような気がする。

 そりゃあ、葵ちゃんが許してくれんとは思うが……

 関わってしまった以上、葵が他人を放っておくことはないだろうから、逃げるなどできないこと は重々承知しているが、やはり嫌なものは嫌なのだ。

「まあまあ、ちょこっと素人にプロレスの怖さを教えるだけだってば先輩」

 しかし、その先輩はまったく取り合う気はないようだ。

「いいかげんにしな、このバカ。んなこと言ってないで、さっさと片付け手伝いな」

「先輩のいじわる〜」

 由香はそうほほをふくらませると、半眼の浩之と不安げな葵のところに戻ってきた。

「ごめーん、やっぱり借りれないみたいなんだ。仕方ないから、ここでかけられてみる?」

 そう言って由香は手をわきわきと動かす。

「……あのなあ、お前は何が何でも俺の腕折りたいみたいだな」

「そりゃあもう、こんなチャンスめったにないから」

 どんなチャンスだ、それは。

 浩之は心の中で突っ込んでおいてから、後ろを向いた。

「じゃあ、俺は帰るからな。また今度来たときにでも教えてくれや。あそこにはマットはないが、 ここよりはましだろ」

 いつも練習場所にしている境内は下が土なので、汚れはするが、ここよりは危険ではない。 むしろ、このまま忘れてくれるのが一番ありがたいのだが。

「うーん、仕方ないか。じゃあ、今度折りに行くから」

「忘れろ、今日のことは」

 浩之は捨てゼリフをはくと、さっさと歩きだした。

「じゃあ、あの、由香さん。今日はチケット送っていただいてありがとうございました」

「いいっていいって、葵ちゃん。また見たくなったら言ってね、それなりに都合できるぐらいは 都合するから。ほんとはチケット買ってくれるのがうれしいんだけど」

 由香の本気っぽい冗談に、葵は苦笑するしかなかった。

「由香、仕事して」

 ふいに、葵の後ろから誰かが声をかけてきた。

 気配なんて感じなかったのに!?

 葵はあわてて後ろを振り向くと、そこにはまさに美人としか形容できない一人の少女が立って いた。年のころは葵よりは上だろうか、ラフなジャージ姿だが、ここには不釣合いなほどの美しさだ。

 ただ、その美しさに反するように、顔には表情がない。

「あ、ごめんごめん姫ちゃん。ちょっとお客さんが来ててね」

「そう」

 それには興味ないのか、その少女は、葵とは目もあわせようとしなかった。

 私、何か変なことしたのかな?

 あまりにも無関心な態度を取られたので、葵は少し気になった。

「あ、紹介するね。彼女は葵ちゃんて言って、高校生で格闘技やってるの」

「初めまして、松原葵といいます」

 葵は、紹介されたのでぺこりと頭を下げた。

「で、そこのふてぶてしい顔をしてる子が負け犬の浩之君」

「変な紹介すんじゃねえ」

 無駄とは知りながらも、浩之は由香に突っ込みを入れる。浩之はさっさと逃げたかったのだが、 葵が動かなかったので、仕方なく戻ってきたのだ。

「で、この子は姫立アヤって言って、今日の私のタッグパートナー」

 そこになって葵は初めて気がついた。今目の前に立っている美人が、さっき由香のタッグ パートナーだったことに。

 さっきとは違い、まったくプレッシャーを感じないのだ。試合で見た、あの強いという感覚が 少しも匂って来ない。むしろ、まったくの別人と言ってよかった。

「どうも」

「あ、いや、こちらこそ」

 浩之は、美人を前に少しだけ緊張しているようだ。いくらいつも葵や綾香を見ているとは言え、 美人に弱いのは全国共通だ。

「それじゃあ、私は言ったから」

 それだけ残すと、姫立はすぐに3人から離れていった。ほんのちょっとだけお近づきになりたい 気もしたが、あそこまでとりつくしまもないと浩之も声はかけ辛い。

「姫ちゃん相変わらず人見知り激しいなあ」

 由香はのんきにそんなことを言っているが、浩之には人見知りと言うよりも、むしろただ近づき たくないと思われただけのような気がした。

 ……いや、まあ由香には確かにあんまり近づきたくないな。

「そこ、失礼なこと思ったね?」

 由香を横目で見ながらそんなことを考えていると、急にびしっと由香が浩之を指差すが、 それしきのことで動揺する浩之ではない。

「いちゃもんつけて何かしようっても、その手にはのらんからな」

「あら、残念」

「じゃあ、俺は帰るからな。葵ちゃん、今度こそ帰るぜ」

「あ、はい、それじゃあ、失礼します」

「うん、また来てね〜」

 由香はそう言うとぶんぶんと葵の手を持ってふる。その態度はまったく本物のプロレスラーとは 思えないほど幼稚に見えた。

 しかし、きっとこいつのことだから、それも相手を油断させるための演技なのだなと、浩之は 思うようになった。

 そうやって油断させておいて、後ろからグサッと……というのがおそらく由香の得意技なのだろう。 問題は、油断していなくてもグサッとやられる可能性もあることか……

 ……まったく、問題のあるやつと関わっちまった。

 葵がこまるまで手をぶんぶんと振り回す由香を半眼で睨みながら、浩之はため息をつくのだった。

 

続く

 

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