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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(28)

 

 真緒はこきこきと手首をならしながらゆったりとかまえる。

 ボクシングのフットワークと比べると重心は低いが、伝統的な空手の腰を落したかまえよりはよほど重心が高い。

 柔道には確かに組み技しかない。だが、普通の組み技系のイメージとは裏腹に、あまり重心を低くかまえることはしない。

 近代のキックボクシングに近いような空手ならまだしも、いわゆる伝統空手と呼ばれる古い型の空手と比べれば、よほど柔道は重心が高い。

 それは、今の柔道では、より自分の有利になるように組めた方が、相手の投げを警戒するよりも 効率が良いのだ。というより、投げ易い場所を持てなければ、投げ技などかかることはまずないのだ。

 有利な場所を持つことを引き手と言うのだが、当然柔道ではその引き手争いになる。それさえうまくいけば、勝利はかなり近いものとなるのだ。

 となると、その風体は打撃に近くなり、すり足ながら、素早い動きを要求されるのだ。

 むしろ、反対に現代総合格闘技でもてはやされているタックル、柔道で言うもろ手狩りは衰退の一途をたどっている。打撃のない柔道では、頭のスミにさえ残しておけば防げる上に、下手をすると上からつぶされて不利な状況で寝技に入ったり、反則を取られる可能性もある。

 せいぜい、どうしようもない実力差があるときの奇襲攻撃、という感じなのだ。

 タックルを狙うなら、当然重心は低くなる。その方が腰や足元に飛び込み易いからだ。打撃を使えないというだけで、組み技だけを狙って行くなら、ほぼ絶対的に重心は低い方が有利なのだ。

 だが、真緒はそれをしない。それどころか、柔道独特の、腕を大きく広げて腰を上げたまま居直るように立つ構えを取るのだ。

 総合格闘技をやっている者なら、絶対にしない構え。むしろ、笑われることだってあるような、まったく打撃を考えていない構えだ。相手が道着をつかみに来るという前提のもとでの構えなのだから、総合格闘技で理にかなっていないもの当然だった。

 だが、真緒はそれをする。そして、綾香以外の相手は、全て倒してきたのだ。

 エクストリームにはポイント制はあるが、綾香は全てOKで相手を倒してきた。対称的に、真緒は全て相手をギブアップさせてきたのだ。

 それもこれも、この構えから出る素早い踏みこみと手のつかむ動きがあればこそだ。

 今離れた状態から見れば、なるほど隙だらけに見える。しかし、それが一歩彼女に近づくと、状況は一変する。

 上から圧迫されるようなプレッシャー。まるで目の前に大きな崖がそり立っているような

 彼女の手は、並の打撃よりも早く相手の身体をつかむのだ。

 綾香はその構えを見るたびに思い出す。真緒の一回戦を、何の気なしに見たときのことを。

 相手の初弾のパンチを難なくつかみ、そのまま一本背負いで投げ飛ばしたのだ。

 後は、世界級の柔道家が、投げられてダメージを追った相手からギブアップを取るのは簡単だった。もっとも、それも腕十字など、柔道の技では無く、膝十字固めという、どちらかと言えばサンボの技でギブアップを取ったところに、真緒の一筋縄では行かない部分を見たのだが。

 いくら綾香が天才だとは言え、今まで相手の打撃を素でつかんで、さらに投げ飛ばしたことなど一度もない。もっとも、投げる暇があれば膝の一撃でも入れてKOすると言えばそれまでだが。

「ほんと、綾香を見ると、こう最初のにくったらしい演出を思い出すわよ」

「お互いさまじゃない」

 真緒と綾香は、試合を始めてもすぐにはやり合おうとしなかった。その心地よい緊張にしばらく身を投じていたい気持ちが起こるのだろう。

 綾香は、正直言って、何年ぶりに自分の血肉が沸き踊るリズムを聞いた。アメリカにいたときでさえ、もう自分を驚かす相手はいなくなっていたのだ。

 真緒の方は、空手チャンプである綾香のことを最初から気に留めていた。というより、試合に出ている有力選手はほとんどチェックをしていたのだが。

 綾香は、真緒が自分の試合を見ているのを確認してから、自分を楽しませてくれた相手に、とっておきのおかえしをしたのだ。

 相手の初弾のパンチをつかむと同時に、その体勢からのハイキック。

 大会始まって最初の一撃KOだった。

 パンチをつかむ距離では近過ぎて蹴りの威力は落ちるだろうとか、わざわざ蹴らなくても、普通のパンチでもKOできたのではないかとは、そんなうんちくを全て切り捨てるほどの、完璧なハイキックで、綾香は一勝目をあげたのだ。しかも、真緒に挑戦的な流し目を贈るおまけつきで。

 綾香の最初のまるでドラマを作ろうとしたような動きが無ければ、エクストリームは、少なくとも高校女子の部はこれほどまで盛り上がらなかったかもしれない。

 それを言うなら、真緒の話題性とその見栄えのする戦い方が無ければ、やはりここまでは盛り上がらなかったのかもしれない。

 今対じしている二人が、エクストリームの高校女子の部を盛り上げているのだ。

「まったく、子供みたいな挑発するんだもんね」

「またまた、真緒だってまんざらでもなかったじゃない」

 そう言いながら、綾香と真緒の間が徐々に狭まっていく。

「正直言うと、昔からああいう熱血っぽいライバルとの戦いとかしたかったのよ」

「のわりにはあんまり盛り上がりも無く私の勝ちだったけどね」

 ヒゥパンッ

 綾香のジャブを、真緒は手の平でガードした。というよりも、まだ綾香の射程距離内ではない。この距離では、また真緒には避けれる距離だ。

「それは言い過ぎだと思うわよ。綾香だって楽しそうだったじゃない」

「もちろん、楽しかったけどね。私に3ラウンドも持った相手なんて一人もいなかったから」

 真緒はわきわきと指を動かした。本当はあのジャブもつかもうとしたのだが、さすがに綾香はそう簡単にはつかませてくれない。

「綾香を倒さないことには、ご飯が美味しく食べれそうになくて」

「そう言いながらいっつも人3倍は食べるくせに」

 真緒は打撃を打ってこない。まったく使えないわけではないが、真緒の打撃は遠距離で撃ち合うための精度には欠ける。何とか総合格闘技で使いものにするために威力は何とかしたようだが、あくまで力押しのための打撃なのだ。彼女の持ち味は、その寝技と、素早くつかみ取るつかみの指の速さと強さなのだ。

 だが、タックルの射程は長い。その気になればエクストリームレベルの相手をぽんぽんと倒せるのだ。真緒自身は、どうもその戦い方があまり好きでないようで、そこまで多用はして来ないが、だからこそいつやられるのか分からないので、タックルだけを警戒するわけにもいかず、他の選手は困っているようだった。

 と、次の瞬間、綾香の視界から無くなるように真緒の身体がしずみながら綾香の腰を狙ってタックルをかけていた。

 綾香は冷静に牽制、と言っても普通の相手なら避けれもしないスナップの聞いた素早いパンチだが、を打ちながら斜め後ろに避ける。

 追撃はできたのだろうが、ここで打撃を受けながら追ったとしても、捕まえられないと判断したのだろう、真緒は牽制のパンチを肩で受けて、またあの高い構えを取る。

「淡白な攻撃ね」

「無駄に追撃してKOされたらバカだしな」

 綾香も綾香で、追撃されればKO狙いで迎え打つつもりでいた。

 まだまだ何度も揺さぶりをかけながら、お互いに有効打を打つために動くのだ。決着をつけるのには、早過ぎる。

 何故なら、二人ともこの時間をまだ存分に楽しんでいたいのだ。

 二人は、同じようにニッと笑うと、同時に間合いをつめた。

 

続く

 

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