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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(30)

 

 ほんの一瞬の隙をついて。

 綾香が、一撃を狙って拳を引く、その瞬間を、真緒はとらえた。

 完全に、真緒の脚が綾香の脚に絡まった。

 決めれる!

 あの、初めての対戦から何度も戦ったが、こんな決定的な瞬間はなかった。後少しというところまで追い詰めるのに、そこから勝ったことがないのだ。

 しかし、これは決定的だった。綾香と真緒の寝技の実力差なら、すぐにはどうこうできないが、それでも倒してしまえば打撃が禁止されるのだ。それは、ほぼ真緒の勝利と言ってもいい条件だった。

 真緒は、そのまま身体をひねって、綾香を前のめりに倒そうとする。当然、脚はからめたままで倒し、素早くそのまま上にのしかかるのだ。

 柔道では危険なために禁止となった「かにばさみ」、真緒の使った技はそれだった。自分は倒れながら、相手の脚深くに両脚をからめ、相手を倒す。

 タックルと比べればどうしても前のめりに倒してしまうし、スピードもないので汎用性は低いが、真緒にとってみれば反則であろうとお家芸だ。

 もっとも、タックルも決まらない相手に、そんな技は普通かからないのだ。真緒も、今までそう思って使ってこなかった。

 だが、高度はフェイントを併用すれば、反対にタックルの姿勢ではないので読まれづらい。形的にはスライディングかとび蹴りをかけるような体勢なのだ。

 真緒の脚の力は強く、完全にかかっている状況では綾香にもふんばることはできない。綾香の身体が前に倒れる。

 真緒はそのまま綾香の上にのしかかるかわりに、脚を取って脚関節に入ろうとした。柔道には脚関節はないが、真緒はそんなことは気にせずにあらゆる関節技を勉強しているのだ。

 綾香の脚をつかもうとした真緒の手が、空を切る。

 綾香は、かにばさみから逃れられないのを一瞬で判断すると、技に逆らわずに前転したのだ。その動きの速さに、真緒の手は追いつけなかったのだ。

 まだまだっ!

 しかし、まだ真緒の視界の中には前転する綾香の姿が写っていた。素早く地面に片手をついて、無理やり身体を起き上がらせて、前転のためについている綾香の腕に手を伸ばす。

 捕まえ……切れない!

 今度の反応は真緒の方が早かった。前転していたと思っていた綾香の身体が、まるで空中で自在に動けるのではないかと言うように回転し、丁度猫が受身を取るような体勢で着地する。

 真緒は無理な体勢で腕を伸ばしていたので、関節技の標的になるところだった。が、真緒の反応は半瞬早く、綾香は真緒の伸びきった腕を捕らえ損ねる。

 その最大のチャンスが去った後は、真緒が体勢を崩しているのにもかかわらず、綾香は何の追撃もせずに距離を取る。

 真緒は、それを予測していたように、ゆっくりと立ち上がる。

「追撃は、なし?」

 真緒の挑発的な言葉に、綾香は別に乗る気はまったくなかった。

「伸びきった腕なんていう、おいしそうな餌がないんじゃあ、わざわざ虎の巣穴に入る必要はないでしょ?」

「まったくね」

 確かに真緒は体勢を崩していたが、もしあのとき追撃されれば、余裕ではないものの、綾香から一本を取れるかもしれない。寝技なら、綾香にだって負ける気はないのだ。

「それにしても、よく私を倒すことができたわね」

「ほんとに張り倒すのはできなかったけど。一応、手はつかせたよ」

「初めてよ、試合中に私の手を地面につけさせたのは」

「よく言うわ」

 真緒は、憎々しげにそう言いながら、綾香の隙をうかがう。話をしているからと言っても、それは休戦を意味するものではない。真緒からは仕掛けにくいが、それでも隙あらばもう一回かにばさみとタックル、上からの組み手を使い別けて寝技に持ち込むつもりだ。

 綾香も、もちろん休戦のつもりはなく、いつでも向かってきた真緒にカウンターを入れるのを狙っている。うかつに踏み込んでもどうにかする自信はあるが、さっきのかにばさみのこともあるので、少しは警戒しているのだ。

「でも、ほんとよ。空手はもちろん、日本に帰ってから、今までの試合の中で、私が試合中に手をつくなんてことなかったわよ。ま、手をついての蹴りはやった記憶があるけど、あれはそういう技だから。少なくとも、相手の技で手をつかされたのは初めてよ」

 綾香は、軽いステップを踏んでリズムを作っているようだ。そろそろ、攻める気になりだしたのかもしれない。

「相変わらずえらい自信だよね。私だってそこまでは言えないよ」

「もちろん、自信はあるけど、これは自信じゃないわよ」

 ぴたっと綾香の動きが止まる。

 来る、そう思っても、真緒は待ち受けることしかできなかった。今自分から攻撃をしかけるなど、到底無理な話だ。

「私のは、真実よ。ついでに……」

 綾香は、ゆっくりとかまえを変える。今までのボクシングスタイルから、伝統空手の、腰の低いかまえを取る。

 綾香の得意とするのは、キックボクシングのような、素早い打撃の連携だ。コンビネーションを駆使して相手を追い詰めるのが、その基本コンセプトだ。熟練された一撃で相手を倒すのではない。もちろん、技一つ一つに練習は重ねているが、一つの打撃を練習するよりは、どんな体勢、どんな状況でも打撃をつなげることを重点的に考えて綾香は練習をしている。

 綾香は確かに一番最初は空手から始めたが、今はもしかしたら空手は綾香の格闘スタイルと一番遠い場所にいるのかもしれない。

 しかし、反対に、空手の構えを取るということは、綾香の狙っているものは一つ。

「……私に、一発勝負で勝つつもり?」

 真緒は鋭い目つきで綾香の行動を睨みつけながら言った。綾香の狙っているものは、一撃必殺、ただそれだけだ。

「一撃必殺なんて、私に決まるとでも思ってるの?」

 一撃必殺などという迷い事では、真緒は揺るがない。確かに熟練された一つの技は怖い。スピードもタイミングも威力も、熟練というみがきをかけてやれば恐ろしく、ほんのわずかな差だが、勝敗には決定的に違ってくる。

 だが、一つの技は一つの技だ。ミサイルや拳銃ではないのだから、どんな技だろうと、それ一つでは決定打とはなりにくい。だいたい、その技に対して対策を練られるとそれまでだ。熟練で技を完成させるより、対策を練って封じる方が何倍も簡単なのだ。

 そして、綾香はそこまで一つの技を熟練することはない。どんな状況でも打破するコンビネーションを打てるし、熟練をしなくともかなり高いレベルの打撃を打てる才能が綾香にはある。

 一撃必殺などという不完全な、現実無意味なことを、綾香はしないはずだ。何せ、綾香の打撃なら、一度綺麗に当たればそれこそそれで終わりだ。

「別に、一撃必殺は狙ってないわよ。ただ、真緒対策をしてるだけよ」

「私の対策?」

 真緒は重心が思うよりも高く、それに総じて動きも素早い。決っして腰を落とした動きにくい格好ではさばけるスピードではないはずだ。

 それに、あの体勢から一撃必殺以外、何が狙えるのよ。

 技の精度は安定している分上がるかもしれないが、コンビネーションが使いづらいのでは一緒、またはそれ以下だ。

 てか、私に攻めろって言うの?

 綾香は、自分に向かって来ないのだ。明らかに何かを狙っているのだから、わざわざ自分から足を踏み入れる必要もない。綾香ではないが、おいしいご馳走もないのに、危険をおかしたりはしないのだ。

 だが、残念ながら、真緒にはあまり時間が残されていない。このままこう着状態になるのは真緒には許せなかった。

 私だって待たれてるのに、攻めたくはないんだけど……

 しかし、綾香と戦える時間は限られているのだ。自分のことを考えるのなら、多少の無茶をしても攻めるべきだ。

 ……というか、綾香はそれを予測している?

 自分がそんなに気の長い方ではないことは知られているだろうし、柔道でもあまり待ったりはしないのだ。それを綾香に読まれている可能性は十分にある。

 だが、真緒には選択肢はまったくなかった。

 どうせ、攻めないと次に進めないのよ!

 真緒は、意を決したというか、我慢できなくてすり足で綾香との距離を狭めていった。

 

続く

 

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