「手刀は、上から相手を攻撃するための打撃なのよ」
綾香が、わざわざ手刀などというレトロな打撃部分を使ったのには、それなりの理由があるのだ。
「上か、さすがにそれは思いつかなかったわ」
真緒も、自分の考えの浅さを認めた。
手刀というのは、例えば拳や掌打のように、一直線に打ち込むことができない。熟練すれば、と言っても本当に無茶な熟練なのだが、手刀というより、指の先で相手を突くという荒業もできないでもないが、普通の者、普通の方法ではそこまで到達できない。
中国拳法の熟練方法に、そうやって指を鍛えて相手を自分の指で貫くことを目的とする鍛錬法もあるが、少なくともエクストリームでは効率的とは言えないだろう。
だから、手刀というのは、振り上げる、そして振り抜くという動作が必要になってくる。
当然、スピードの必要なエクストリームでは、そんな悠長な行動などしていられないし、すでにせいぜいプロレスの逆水平チョップが残っている程度だ。
だが、綾香はそれに一つ、使用方法を思いついた。
普通なら、絶対にできない攻撃範囲を、強い打撃で攻撃するのに使用したのだ。
「上の打撃をよける方法なんて、私トレーナーから習わなかったんだけど」
真緒は、格闘技についても、専用のトレーナーに教えてもらっている。そういうところはある意味生真面目なので、どうも正規の方法を取るようだ。
「当たり前じゃない。まさか、タックルをかかと落としで迎撃しようなんてバカいないだろうし」
実際、格闘技の技の中で、上から攻撃してくる打撃は少ない。さっき綾香の使った手刀、かかと落とし、もしかしたら、胴体回し蹴り、つまり浴びせ蹴り程度だろうが、どの技を取っても、モーションが大きすぎる。
だいたい、護身術では上からの攻撃に対する防御を最優先に考えるが、それは相手が武器を持っていると考えているからだ。
武器の場合、その重さを一番利用できるのは、まず上からの攻撃だろう。振りかぶっても、武器分のリーチがあるので、反撃も受けにくい。反対に言えば、長めの武器を持っている相手の多くは、振り上げることになる。だから、護身術には上からの攻撃を前提にした打撃が多い。
だが、素手の打撃ならどうだろうか?
「そんな隙だらけの攻撃、エクストリームでしたら致命傷よ」
「あんたが言うか、あんたが。さっき、エクストリームでも屈指と言われた私がKOされたのよ。どこが致命傷なのか、言ってもらおうかな」
「了解、私じゃなかったら、致命傷ってことにしとくわ」
「こいつは……」
しかし、笑いごとでなく、上からの打撃は隙が大きい。胴体回し蹴りなど、前転して倒れてしまうし、かかと落としは脚を一度振り上げるという行為を行わなければならないし、手刀は中では隙は大きくない方だが、それでも振り上げる分スピードは落ちる。
そうなると、当然上からの攻撃は減る。それよりは、相手のタックルを止めるには、上から押しつぶしたり、これは難しいのだが、ひざを合わせてみたり、そういう手を使い出す。
実際、もうタックルを使う者が増えて、多くの試合がされているにもかかわらず、完全に上に乗ってパンチを繰り出す者はいても、手刀のような、無駄な隙がある技を使った者はいない。
しかし、ここでは、それを使うのは綾香なのだ。
普通の者なら隙が大きすぎて使えない打撃も、綾香にかかれば、そのスピードは常人が追いつけるスピードではなくなる。
もちろん、それでも隙はあるのだが、それは丁度タックルに来る相手を叩き落すのに合った動きなのだ。
かかと落としや、胴体回し蹴りと比べれば威力はないが、それにしたって綾香の打撃を、しかも綾香ほどになれば、岩も砕くと言われる手刀で、ピンポイントに延髄を狙われれば、無事で済むわけがない。
「正直、こんな待ち構えてるのって私の趣味じゃないんだけどね」
本当に、ただカウンターだけを狙うという行動も、綾香はする。構えを取らず、自分の天性の才能だけに頼った、無茶な戦法だが、相手に対する威圧感も、そしてその強さも、綾香が気に入って使っているほどはある。
「そうしないと、勝てない相手だから」
真緒は確かに倒した。感情的になっていたかもしれないが、それでも真緒は他の者と比べるとあまりにも実力が上だ。それを倒せるならば、修治にも対抗できるかもしれないと、綾香はひそかに思ったが、あまり楽天的にもなれなかった。
綾香ができることを、修治ができない保障はないのだ。もし、同じ構えを取られれば、綾香には出す手がない。決定的な差、というには、綾香の考えたタックル殺しは大きくはないのだ。
それでも、真緒の強さが並外れているのは確かだ。真緒をKOできたというのは、大きい。
「しかし、そいつを倒すための実験台ってか、私は」
「そんなことないわよ。実際、真緒がかにばさみなんて新技見せてくれたから、敬意を払おうって思っただけだし」
手刀、つまり上からの攻撃は、タックルを殺すには適した技なのは確かだが、それでも、まだ完成された技ではない。打撃も修練していないと、スピードも威力も落ちる。修治に手刀で対抗して、下手をすると手刀一撃では倒せない可能性だってあるのだ。
「まだまだよ。特にスピードがまだまだ足りないわ。真緒のときだって、もっと早く打ち落とす予定だったのに、ぎりぎりになったし。正直ひやひやものだったのよ」
「だったら素直につかまえられとけばいいんだ」
そうすれば、もしかしたら真緒は綾香をしとめることができたかもしれないのだ。
今の状況では、綾香を真緒が捕まえることは難しいが、それさえできれば、真緒の勝つ可能性は高い。特に今日はいいところがないが、真緒はそれでも実力は折り紙つきなのだ。
「さっき本気を出してもらえなかったってふてくされてたのはどこのどいつよ」
「綾香、そうやって腕を上に構えてけが人に近寄ってくるのはどうかと思うよ」
セリオの治療を中断させると、真緒は飛びはねるように起きた。
「真緒様、まだ動かない方がよろしいと思います」
「だから様はやめてって、セリオ。それに、大丈夫。KOで時間取られたけど、まだ試合する時間ぐらい残ってるから、やらないと損だって」
さっき延髄に打撃を受けてKOされた者とは思えない元気さでそう言うと、真緒は自分の道着を正す。
「相変わらすタフねえ」
「悪い?」
「ううん、ちょっと浩之のこと思い出してただけ」
「試合しようってときに、男のことを考えるのはルール違反だと思うよ」
それを最後の言葉に、真緒は構えて立った。あの、まったく意味のなさそうな腕を上にかまえる格好で。
綾香も、それに合わせて構えを取る。
「セリオ、合図!」
「はい、わかりました。綾香お嬢様」
つまりは、こういう人達なのだろう。
セリオは、そう納得することにした。
「レディー、ファイトッ!」
続く