「さーてと、まずはどれからかけるか?」
かなり不吉な表情で修治が笑ったので、浩之としては戦々恐々という感じだった。だいたい、そういうときの修治や雄三は、浩之を無駄に不安にさせる顔をしているのだ。
「そう怖がるなって。何もじじいみたいに折ろうとしたりはしないぜ」
当然、そんなことは無理な話である。
「誤解をまねくようないい方をするでない。わしがいつ浩之の骨を折った。折る機会はいくらでもあったが折ってはおらんだろうが」
すでに折る機会がある時点で、浩之には十分嫌なことなのだが、どうもそれは無視されたようだった。
「ま、じじいのたわごとはいいとして、浩之、お前どんな技から教えて欲しい」
「とりあえず、エクストリームで反則にならない技にしてくれ」
ほっといたら、必ずかなり危険な技を教えてくるのは読めていたので、浩之は先に釘をさしておくことにした。
「と言われてもなあ、俺エクストリームのルール知らんしなあ。まあ、とりあえず命に関わったり後遺症が残るような技は使わなければいいんだろ?」
「簡単に言うけど……そんな技使えるのか?」
「まあ、適当にな。ヒールホールドは脚の腱切っちまうから、復帰するのは難しいだろうし、喉をつぶす技も駄目ってのはわかる。倒れた相手への打撃は駄目らしいが、倒れ際に相手の後頭部に膝を入れるのはいいのか?」
「……駄目だと思うぞ。というか、死なないか?」
「当たり前だろ、殺す気でやってんだから。相手を一撃で倒さないと、次にやられるのは自分かもしれないぜ?」
修治が言うと冗談も冗談と聞こえないというか、おそらく冗談ではないのだろう。どういう経緯を経て関節技から、倒れ際に相手の後頭部に膝を入れるのかはわからないが、修治が口にしている以上、そういう技も使えるということだ。
そして、何となくわかることもある。
おそらく、修治は使うときになれば、手加減なしでその技を使うことができるのだろうということを。
そこは、雄三や修治の、確実に浩之と違う部分だった。
格闘家と、競技者の違い。それこそが、雄三や修治と比べて、どうしようもなく浩之の劣っている部分。
もちろん、普通に技を競い合っても、浩之が勝てる見込みはまったくない。綾香にも勝てない浩之が、その綾香を追い詰めた修治を相手にしてどうこうできるわけがないのだ。
だが、もし同じ技が使えたとしても、今は修治には勝てない。
浩之には、覚悟がないのだ。人を殴り殺すという覚悟が。
修治や、雄三にはそれがある。綾香にも、もしかしたらあるのかもしれない。葵にはあるのかどうかはわからないが、それでも、浩之よりは徹底しているはずだ。
浩之には、相手を殴り殺すほどの度胸がないのだ。
それは、最後の一撃のときに差となって現れる。それだけではなく、技一つ一つの必殺性が格段に違うのだ。
修治には、殺すという単語も、おそらく苦にはならない。それが格闘で競い合ったという真実さえあれば、修治はそれを重荷と思わない。
人を殺せるのだ、修治は。
別に修治が人を殺すのを見たわけでもないのに、浩之にはそれがわかっていた。その殺人者予備軍の匂いを、当然のように綾香からも感じている。
人殺しがいいわけではない。しかし、誰しもが、その舞台にいるのだ。戦いの結果、人が死んだとしても、それは単なる結果。
修治は打てる。俺には打てない。
「よし、とりあえず、関節技を軽く教えてやるよ。とりあえずこれは覚えておけば、だいたい何とかなるってレベルまではいかないとな」
今は修治は絶対に人を殺さない。今は戦っているわけではないから。腕の優れた修治は、事故でも人を傷つけたりしない。
だが、手加減は、殺す腕があるからこそ使えるもの。活殺ほど危険な技はないのだ。
「とりあえず……俺は嫌いなんだが、脇固めでもやっとくか」
「嫌いって、使い勝手が悪いとか?」
どんな技でも、使えると思えば使う。雄三の言葉を、おそらく修治も継いでいるはずだ。嫌いな技というものは、身体を痛めるような技以外なら、使えない技ということになる。
「いや、便利だぜ。ひどい話、腕の関節はこれを覚えておけば事足りるかもってほどにな。でもなあ、あんまり好きな技じゃねえんだよなあ」
「ま、仕方なかろう」
雄三が、今までの中でも一番嬉しそうな顔で口を挟む。
「自分が肩を抜かれた技を、良い思い出にしろという方が無理な話よのお」
「いらないこと言うんじゃねえよ、じじい」
「事実は事実として受けとめるべきだ、特に負けたときはな」
修治が、肩を抜かれる?
脇固めという技は、自分の脇の下に相手の腕を固める格好で、基本的には二の腕と、肩を極める技だ。立ったままでも、倒れても技に入れる上に、相手の打撃を取ってかけることも可能であり、応用力には優れているし、威力もある。
だが、脇固めの技はそれなりに優れているとは言っても、修治の肩を抜くなどという芸当が、雄三以外の誰にできるだろうか。さっきも言ったように、技による有利不利は、練習量によってすぐに変化してしまうのだ。さすがは雄三というしかないだろう。
しかし、修治の次の言葉が、浩之の考えを真っ向から否定した。
「今ならじじいにだって関節技に取られない自信があるんだけどな」
「あいつの脇固めは特別だからのお。わしとて油断はできんよ。しかも、あれときたら、極めたら相手がわしだろうが折りかねんからのお」
「俺でもじじいを捕らえたら、ここぞとばかり折るつもりだけどな」
雄三のその言葉は、浩之の予想というか、もうそれしかないというものを完璧に裏切った。
「え、師匠じゃないんですか?」
浩之は、てっきり修治の肩を抜いたのは雄三だと思っていた。というよりも、他の誰にそんな芸当ができるだろうか。
「わしではないわ。確かに何度か修治の骨を折ったこともあるが、修治に脇固めを嫌いにさせたのはわしではない」
「……世の中、上には上がいるんですねえ」
浩之はしみじみと言った。名前を聞こうかとも思ったが、怖いので止めておいた。おそらく、すでに遅いのだろうが、関わってはいけない場所というものはどにでもあるはずだ。
浩之は、おとなしく修治から関節技をいくらか教えてもらうことにして、その話を封印することにした。
しかし、もちろんそんな記憶を消せるわけもなく、その意味というものを、浩之は考えていた。
修治の肩を抜く、つまり、修治に勝てる者が、この世界にはまだいるということだ。
それは、浩之の中の、何かに反した。
続く