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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(44)

 

 自業自得とは言え、御木本もそう簡単に倒されるわけにはいかなかった。

 何せ、坂下の打撃だ。受けたことのある者はわかると思うが、普通の人間なら坂下の打撃をもう一度受けたいとは思わないだろう。

 スピードもさることながら、坂下の打撃は重い。ポイントを取るためではない、完全にKOを狙ってくる威力だ。

 まあ、そんなことをしているからまだ全国大会でいい結果を残したことがないのだが……

 とにもかくにも、御木本としては坂下の打撃だけは受けたくないだろう、そのことが他の部員にもひしひしと伝わってくる。もちろん、助けてやろうなどという酔狂な部員はここにはいない。

 御木本は、重心を高くして、坂下の様子をうかがっていた。

 重心が高いのは、素早く動くため。坂下も池田ほどではないが、伝統派の空手だ。スピードでかく乱するのが一番効果的なのを御木本はよく知っているのだろう。

 だが、弱点というほどではないにしろ、坂下の傾向と対策を持っていたとしても、まったく安心できるものではない。その程度でどうにかできる相手なら、普通の空手の試合のときに勝っている。

 これは、対策というよりうは、逃げ腰と評価したほうがいい構えだ。腕も前にのばし、何とか坂下の打撃をけまいとする御木本の気持ちが伝わってくる。

 一方坂下は、組み技相手に、まったくいつものスタンスを変える気はないようだ。御木本を油断するなと言ったのは坂下本人なのだが、その坂下自身が油断しているのか。

 否、坂下は本気だった。だからこそ、いつものかまえなのだ。

「さっさといけ〜、御木本先輩〜」

「坂下〜、一発でやっちゃってよ〜」

 まわりからやじや声援が飛ぶ。そういうことを坂下はあまり文句をつけないので、普通の試合でもけっこうこの空手部は応援が軽い。そんな言葉よりも、いつもの自分の修練が物を言うというのが坂下の言い分だ。

「ったくよお、何が悲しくてこんな鬼の形相をした好恵の相手……」

  ビビュッ!

 坂下のワンツーを、御木本は横に飛ぶようにしてかわしていた。といっても、ギリギリのラインでだ。

「っぶねえだろうが、人の話は最後まで聞けってんだ!」

「試合中無駄口叩いてる方が悪いのよ」

 坂下はそう言うとまた一歩踏み込もうとして、足を止めた。簡単なフェイントだ。それにひっかかって御木本が避ければ追尾するし、動かなければそれで良し。

 御木本は、動かなかった。というより、フェイントと見切っているわりには、攻撃もして来ない。

「……ほんとに怖気づいたの?」

「んな顔でにらまれて、怖気づかないやつはいねえよ」

 御木本はそう言いながら身体を軽く振りながら距離を取る。打撃を的をそらすための動きだが、それならば向かってくるかと思えば、ただ逃げているだけだ。

「逃げるな〜、正々堂々と戦え〜」

「御木本先輩にそりゃ無理だと思うけど」

 逃げてばかりで攻撃して来ない御木本に、いっそうやじが大きくなる。が、それに反応する余裕はあっても、見返すために動くことはできないようだった。

 坂下も、十分承知の上、御木本は、勝ちに来ているのだ。もし、坂下をタックルで倒したとしても、その後池田に蹴り殺される可能性は高い。それでも、坂下を倒した方がまだいくらか安全とふんだのだろう。

 ご名答、と言いたいところだけど、そう甘くはないよ。

 御木本がタックルをかけてくることを坂下は事前に知っているが、普通の格闘技でも相手がタックルを狙っているのは分かっている上で、よくかかるのだ、そんなに不利というわけでもなかろう。それに、私は……

 御木本が、動く。

 坂下は、動物的勘でそれを察知し、フェイントのための左ジャブを放った。

 それにつられるように、いや、実際は御木本の方が早く動いたのだ、坂下の素早い左ジャブを御木本はかい潜った。

 しかし、坂下はすでに準備を終えていた。

 左ジャブはフェイント、というより、次の攻撃を隠すためにかぶせたに過ぎない。

 ズガッ!

 坂下の左の肘が、御木本の背中を打ち抜いた。

 タックルは、確かに直線の攻撃には強い。それは、飛び込むついでによけることが可能だからだ。膝を合わせるという方法もあるが、それもよけれないことはない。

 しかし、倒そうと思えば簡単、相手の見えない上から攻撃してやればいいのだ。

 タックルが打撃をよけれるのは、見ることができるからだ。だが、上からの攻撃をタックルは見ることができない。そして、背中だろうが何だろうが、直撃されれば、坂下の打撃は効力を持つ。しかも、それが肘ともなれば、KOされてもおかしくない。

「グッ……!」

 御木本の裏水月を完全に打ち抜いたのだが、御木本はそれでも無理やり身体を動かして坂下の脚を取る。

 が、それも無駄だった。何故なら坂下は、すでに第二撃のために、左手で御木本と自分の間に間を作っていたのだ。威力を増すために。

 御木本は素晴らしい動きをするが、しかし、その打撃の防御にまでは気がまわらなかった。

 ズバシッ!

 蹴りにも似た音をたてて、坂下の渾身の手刀が御木本の頭に振り下ろされた。

 御木本の手が、坂下の脚から放れる。が、まだ倒れようとしないというのは、確かにすごい打たれ強さだった。

 が、ここではそれは失敗だった。坂下は、すでにKOでしか、勝敗を決めるつもりはなかったのだから。

 そして、ついでに誰も止めなかった。もっとも、止める気があっても、坂下の最後の一撃の方が十分早かっただろうから、意味はなかったろうが。

 坂下は、一瞬ためを作った。それは、今までの打撃で、すでに御木本に反撃の余地はないと知っていたから。

 御木本の腕が、主人の意思かどうかは分からないが、前かがみになった御木本の頭をガードするが、それでも意味のあるものとはならないだろう。

 坂下の、渾身の右回し蹴りの直撃を受けて、立っている方が無理なのだから。

 ズバンッ!

 渾身の右回し蹴りが、御木本の長身の身体を吹き飛ばした。

 ……ズダンッ

 一瞬、ためをつくるようにして御木本の身体が床に倒れる。その間、ほんの少しではあったが、御木本の身体が宙を浮いていたのだ。

「……と、このように、空手には上からの攻撃がある。当然、下からの攻撃もある。いかなる状況においても対応できるように作られている空手に、今どきの流行のタックルが負けるわけがない。わかった?」

 おそらく、最初からそれを教えておけば、池田も簡単には御木本に不覚を取られることもなかったのかもしれない。

 まあ、御木本もかなりよくやったと思うわよ。タックルの素人じゃあ、こう説得力のある話はできなかったろうから。

 坂下と御木本の実力差は、この際無視するつもりのようだった。

 そこで、後輩の一人、田辺が手を上げる。

「はい、何、田辺?」

「あの〜、坂下先輩。空手の素晴らしさはよく理解できましたけど、そこでゴミカスの先輩が死んだままなんですけど」

 酷い言い様ではあるが、まわりと違って無視していなかっただけましなのかもしれない。

 御木本は、完全にKOされた状態でそこに倒れていた。それでも何とかかっこよく見せたいのか、倒れた姿にそこはかとなく色気を感じる。

「とりあえず、死ぬほどの感触じゃなかったから、死んではないと思うけど」

 ここでの死ぬほどの感触というのは、頭の骨が砕けるとか、その部類の話だ。

「でも、練習の邪魔になると思うんですけど」

「……それもそうね、森近、片付けるから手伝って」

「はい、すぐにでも片付けちゃいましょう」

 坂下と森近は、それぞれに腕と脚を持って道場の端に持っていく。

「いつかここの空手部、死人が出ますね」

 何やら妙に手際よく片付けている森近が、どことなく嬉しそうに言った。

「ま、なるべくそのときの死人は御木本であって欲しいところね」

 坂下は、自分が死体を作るくせに、かんべんして欲しいといった口調でそう言った。

 

続く

 

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