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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(45)

 

「何だ、綾香も試してみたんだ?」

 久しぶりに葵のところに顔を出した坂下は、綾香から柔道家のタックルを手刀で倒した話を聞いて、ミットを打つ手を止めた。

「ここで前坂下が浩之のタックルを叩き落としたのを参考にしてね」

「けっ、悪かったな、簡単に叩き落されて」

 浩之は柔軟を止めて悪態をつく。

 前に坂下がここに来たとき、浩之と試合をして、浩之の見よう見まねのタックルを、あっさりとひじで叩き落したのだ。

「だいたい、エクストリームではひじは禁止なんだよ。警戒してないのも仕方ないだろ」

 浩之は、実際防御に関しては今ではそれなりの腕で、そう簡単にはクリーンヒットを受けたりしないのだが、そのときは本当に完全にクリーンヒットをもらって、一撃で倒されてしまったのだ。

 格闘技をやっていればわかるが、実際にクリーンヒットを受けると、まずだいたいはそれで終わりだ。本当に「クリーンヒット」の打撃を受けたときには、耐えることなどできない。

 反対に言えば、そう簡単にはクリーンヒットを許したりはしないものなのだ。特に、かなり臆病とも言える形で防御の体勢を取る浩之からは、坂下と言えどもそう簡単にはクリーンヒットは取れない。

 だが、上からの一撃は避けようがなかったようだった。しかも、浩之は見よう見まねでやっているのだから、タックルの弱点など知っているわけがなかった。

「空手ならひじは重要な打撃よ。拳よりも硬いし、威力もあるからね。それに、もしひじが駄目なら、違う打撃を使ったまでだしね」

 綾香のように手刀とはいかないまでも、坂下は空手家だ、下になった者への打撃ぐらいは心得ている。もっとも、下とは言っても、倒れてる相手に対しては危険すぎるので、御木本あたりにしかやったことはないのだが。

「でも、葵はあんまり得意じゃないんじゃないの?」

 綾香は、そう言って浩之と柔軟を続けていた葵を呼んだ。

「はい、私の場合、身長が低いので、あまり下にもぐりこまれるということがないですし、ご存知の通り、私は近代空手から始めたので、どちらかと言うと直線の攻撃が得意です」

 確かに、もし浩之がタックルをかけたとしても、葵が少しかがめば胸あたりにぶつかることになり、はっきり言って狙いごろの高さになってしまう。

「まあ、葵の場合ウェイトがないから、力勝負になると不利だし、対タックルの打撃を練習するよりも、フットワークの練習をした方が効率的かもね」

「はい、苦手分野を作るのは嫌ですけど、それでも得意な部分を伸ばさないと勝てませんし」

 葵の体格は大きくない。単純に身体が大きければいいというものでもないが、それでも身体の大きさは格闘技の世界では財産だ。プロの格闘技の世界がだいたい体重別に分かれているのは、意味のないことではないのだ。

 だからということもないのだが、葵は組み技が苦手だ。腕力が物を言う世界では、どうしても葵は一歩不利な状況となる。

 だからこそ、葵はスピードを上げることを重要視する。ウェイトトレーニングも欠かさずやってはいる が、それでも筋肉のつけすぎは良くない。葵の身体では、どうしても限界が簡単に来てしまうからだ。

 まあもっとも、まだ葵は若いので、筋肉のつけすぎなどということを心配するほど筋肉がついているわけではないのだが。

「でも、葵ちゃんなら、タックル殺しの膝が使えるんだろ?」

 まだ実際に受けたことはないのだが、タックルに合わせるように膝を相手の顔面に決めるのを、葵も綾香も得意としているはずなのだ。

「もちろん綾香さんに何度も教えてもらいましたけれど、まだ試合では一度も使ったことがないので、ちょっとまだ自信のある技ではないんです」

 そもそも、タックルは前進しながらも打撃をかなり避けてくる。もちろんタックルを使ってくる者の力量にも問題があるのだが、膝とてよけられる可能性は十分にある。

 この膝は、綾香という天才だからこその打撃でもあるのだ。葵もそれなりのものではあるのだが、綾香とでは比べ物にならない。

「まだ完全に組み技だけ人と戦ったことがないので、私にもどうなるのか、今のところ全然予想がつかないんです」

 葵は少し不安そうな顔で言った。葵はもとから本番に強いタイプではないのだが、心配性な部分があるのはいなめない。

 しかし、実際まだ組み技系の相手とはほとんど対戦したことがないのだから、心配になるのは仕方ないのかもしれない。柔道の道場に通ってはいるのかもしれないが、それもエクストリームとはどうしてもかけ離れたものになるのは目に見えていた。

「うーん、私の知り合いにも、一応組み技の知り合いはいるけど、あれ忙しいし、正直初めての相手には強すぎるかもねえ」

 もちろん、ついこの間倒した真緒のことだ。真緒は綾香の体験した組み技系の相手ではかなり強い方に位置する。機会があれば対戦させても面白いかもしれないが、初めての相手としてはいささか強すぎる相手だ。

「俺も修治に頼めばやってもらえると思うが……はっきり言って、あれはバケモノだから、あんまり意味がないと思うぜ、正直」

 修治なら、組み技だけと言えば組み技だけで戦えるだろうが、葵には酷な相手だ。まだ綾香の知り合いに頼んだ方がましと言えるだろう。

「私の知り合いにも、前に張り倒しといた御木本ってのがいるけど……やめといた方がいいね。葵なら倒せるかもしれないけど、変態だから紹介したくないわね」

 特に葵はかわいいので、もしタックルが決まったりするといかがわしいことまでやられそうなので、葵のことも考えて紹介しない方が無難だと坂下は断定した。

「うーん、困ったわねえ。よく考えると、組み技ができる人で、異種格闘技に付き合ってくれそうな相手っていないもんねえ。葵の通ってる柔道の道場の方は?」

「柔道なら相手をしてくれると思いますが、エクストリームとしてとなると、難しいと思います」

 そもそも、他の格闘技のために柔道を習わせてくれるだけでも心の広い道場なのだ。葵としてもこれ以上は迷惑をかけれない。

「うん、じゃあ、こうしようか」

 その口調に、浩之は何か嫌な予感を覚えた。綾香が興味を持つようなことは、だいたいにおいてろくなことがないのは、短い付き合いでも承知済みだった。

 しかし、だからと言って助かるかといわれれば、そんなわけはないのだが。

「浩之が相手すればいいだけじゃない」

 

続く

 

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