作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(46)

 

 天才とはそういうものなのか、他人への配慮が足りない。

 浩之は心の中でそう悪態をついた。もっとも、直に文句を言うと殴られる可能性が高いので、心の中に留めておいたのだが。

 だいたい、俺が葵ちゃんと戦って勝てるわけがないのだ。

 ぶつくさと準備運動を続けながら、浩之はふてくされていた。

「もう、浩之。何そんなふてくされてるのよ」

 綾香が、まるで自分は関係ないと言わんばかりの口調で言う。それこそ自分がそういう状況に浩之を持っていったことを完全に無視していた。

「てめえ、俺が葵ちゃんに勝てると思ってるのかよ」

「そりゃ無理でしょ。葵と浩之じゃあ、実力が違い過ぎるし、浩之の組み技はまだまだものになってないもの。だから好恵に簡単に倒されたりするのよ」

「言っとくけど、私だってこんな素人に負ける気はないよ」

 綾香は簡単に言うが、坂下を負かせる者などそう多くはいないのだ。もし浩之が組み技でなくとも勝てたのなら、浩之はエクストリーム出てもそれなり以上結果を出せる実力があることになる。

 男と女の違い、そんな言葉では片付けられない領域の話なのだ。実際、綾香に勝てる男など、浩之は思いつかない。あのバケモノだと思った修治さえ、あの調子では倒されたかもしれない。後に残るのは雄三か、もしくはセバスチャンか……

「なら、何で俺が戦わないといけないんだよ。勝敗は決まってるじゃねえか」

 今更女の子に無様に負けるのをどうとは思わないが、浩之とて痛いのは嫌だ。葵のことだから、こういうときに手加減をしたりしない。いらないところでも生真面目なのだ。

「仕方ないでしょ、組み技使える人がいないんだから。とりあえず、雰囲気がつかめるだけで十分だから、ね?」

 綾香が、ちょっとねだるように首をかしげて言う。それは、実際浩之とて見とれてしまうぐらい綺麗だった。

「しょ、しょうがねえなあ」

 それにつられてしまう自分が情けないということもあるが、しかし、浩之は承諾するしかなかった。惚れた弱みというやつ……でもなさそうではあるが。

「……ん、待てよ。綾香、お前がやればいいんじゃないのか?」

「私?」

 綾香は正直に驚いた声をあげた。

 しかし、考えてみれば、この天才にかかれば、組み技であろうと簡単にこなすのではないか、浩之にはそう思えた。実際、打撃だけでエクストリームを勝ち進めるとは思えない。

 だが、綾香の言葉はもっと上を行った。

「だめよ、今の状態で私がもしエクストリーム形式で葵と戦ったら、勝っちゃうもの」

「っ!」

 今度は、浩之が驚く番だった。

 浩之の意見も、一緒ではあった。もしエクストリーム形式で戦えば、いや、それが空手であろうとも、葵は綾香には勝てない。少なくとも現時点では。

 葵の崩拳は、確かにすごい打撃だ。だが、綾香は常にそれの上を行ける。

 威力の上ではない、勝つための、上だ。

 役者が違う、そういうものではない。綾香が規格外過ぎるのだ。綾香との付き合いが長くなるほど、切実に浩之はそれを感じていた。

 しかし、それでも、それを綾香がはっきり言うとは思っていなかった。綾香は、何のかんの言っても、葵のことを気にいっているし、目かけているのだ。

 浩之が葵の方見ると、黙って口をつぐんでいる。しかし、目は燃えていた。葵には、やはりそれが事実だということがわかっているのだ。

 坂下も、横の方で、何も言わずに立っている。坂下とて、綾香には勝てない。葵は坂下に一度は勝ったが、それが確実とは言いづらい。

 だが、綾香の場合は、確実に、葵に勝てた。

「葵には、もっと強くなって欲しいのよ。私としても、やっぱり強い相手と戦うのは楽しいしね。でも、今私が本気を出したら、面白くないじゃない」

「……それは、ここだと本気を出してないってことか?」

「そんなの」

 綾香は、別に何を考えている風もなく、言い切った。

「あたり前じゃない」

 本気ならば、死人が出ている。浩之も綾香の実力をその程度で認識していたが、それさえ甘かったのかもしれない。

 正直、今は浩之でも綾香の本気を予想できないのだ。『三眼』は、その瞬間の強さだけでなく、綾香の地力でさえ押し上げてしまったのだから。

「とりあえず、役不足かもしれないけど、組み技の経験をしておくのはいいことよ。それだけでも、かなり実力あがるわ」

「……はい、センパイ、よろしくお願いします」

 葵は、しごく真面目な顔で浩之頭を下げた。その姿は、綾香の言った言葉に傷付いているようにさえ見えた。

 ……でも、それは見えているだけだ。

 そんなこと、浩之にもよくわかっている。その目を見ればわかる。葵は、まったくへこたれてなどいない。

 こうなると、浩之には断れなかった。実際、自分は組み技を重点的に練習しているのだし、綾香を除けば坂下よりはできるはずだ。

 弱くても、葵ちゃんの経験にはなるか。

 そう自分を納得させる以外はなかった。それに、それを言葉に出してまで、葵を強くしたい綾香の気持ちもわかる。

 心ないことを言っているようでも、綾香はやはり天才、そこまで考えているのだ。

「じゃあ、頼んだわよ。寝技に持ち込んだら、何をしても私が許すから」

「……待て、何でもいいのか?」

 浩之が、ゆっくりと綾香の方を振り向く。

「いいわよ、何をしようと、練習中の事故だし」

「あ、綾香さん、何を言ってるんですかっ!」

 葵があわてて綾香の言葉を止めるが、浩之は心ここにあらずと言った感じだった。

「葵ちゃんに色々……」

「セ、センパイも何想像してるんですかっ」

「ここにも変態がいたか。綾香、こういう輩はさっさと蹴り殺すのが吉だと思うわよ」

「え、私は面白いと思うけど」

 少なくとも、この集まりは、かなり平和そうだった。

「いいから葵もさっさと準備して。浩之、かなりやる気みたいよ」

 浩之は止める間もなくいそいそとウレタンナックルを手につけている。何か手がわきわきと動いているような気がするが、気のせいだろう。

「ほ、本当にするんですか?」

「当たり前じゃない、これも葵のためよ。あきらめて、返り討ちにしてやるといいわ」

 そう言って綾香は、意地の悪そうな表情で笑った。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む