浩之は、完全に準備を終えた。
葵もあまり気乗りはしないようだが、それでも準備を終えている。もちろんいつものブルマ姿にウレタンナックルをつけた状態だ。
しっかし、葵もあんな挑発的な格好しなくてもいいのに。
ブルマなど今どきの学校でまだやっているというのもすごいが、いくら動きやすいからと言ってあれで練習しないでもいいのに、と綾香は思う。
もしかして、あれで試合出たりしないわよね?
自分がいつもここではだいたいスカートでいるのを棚にあげて、綾香は失礼なことを考えていた。しかし、確かに道着姿と、制服姿と、この体操服の姿以外の葵を綾香もあまり見たことがない。自分の試合着というのを持っていないのは普通だが、私服を持っているのかさえ怪しいと思っていた。
ま、試合用の服は私が用意してやるか。
道着で出るわけにもいくまいが、どうせ葵のことだから、そんなことは少しも考えていないのは明白だった。
「んじゃあ、準備OKね」
「おう、いつでも来い」
浩之が妙に嬉しそうに答える。このスケベは、自分の不利も忘れて葵に色々したいらしい。
もちろんそんな態度を取られれば、葵としては複雑な気持ちだろう。いや、多分葵にしても嫌ではないから余計に複雑なのだろうが。
……とりあえず、今度折檻ね。
自分が挑発しておいてあまりにもあまりだが、綾香に限らずだいたいの女の子はわがままなものだ。ただちょっと綾香が飛びぬけてわがままだというだけで。
「あの、それでルールは?」
一応、格闘技をしたいらしい葵は、おずおずとそう聞いてくる。あまりやりたくないという気持ちもあるのだろう。それでも止めないのは、やはりどこか期待しているのか、それとも、相手が浩之だろうが、組み技の相手と戦っておきたいのか。
だめねえ、私なら嬉々としてこの試合するのに。
その結果、浩之が役得をするのか死ぬのかはまた別の話だ。綾香としてはどちらにしても楽しいことになるので、この試合を受けない理由はない。
「エクストリームのルールでいいんじゃない? 目つき、金的、頭突き、肘、倒れた相手に対する打撃なし、後、別に公式の試合じゃないから、危険な技は避けてね」
「とか言いながら、綾香はすぐにラビットパンチ撃つじゃねえか」
綾香命名うさ耳パンチ、危険度の高い、そのかわり実用性も高い一撃必殺の技だ。綾香の得意技の一つでもある。
実際、後遺症が残る可能性を考えると、非常に危険な技だ。綾香も、そのところは考えて使っているつもりだが、なるほど、ぽんぽん使っている。
「私が試合するんじゃないからいいのよ。それに、エクストリームだと禁止されてないんだから、本試合では使えるのよ」
某立ち技系の大会でさえ禁止されている、「後頭部への打撃」だ。しかも綾香の場合は、腕で頭を巻き込むように打つので、避けるのは難しい。そんな技を得意技とされれば、まわりの者はたまったものではない。
「まあ、葵で言えば……何か浩之の場合崩拳受けても、次の日には元気にがんばってそうね」
「私でも、しばらくはダメージが抜けなかったんだけど」
崩拳を受けた坂下は、身体は丈夫な方なのだ。それでもしばらくはダメージが抜け切らないほど、芯に来る打撃だったのだ。
「人を怪物か何かと間違えてねえか?」
確かに、意味もなく頑丈にはできているが、崩拳を受ければ、一発KOだけは間違いないだろう。
「というわけで、エクストリームで反則でない技なら、何を使ってもいいわよ」
「はい、でも、私は普通に打撃しか使えないので」
「ま、それもそうね。よかったわね、浩之、倒したらやりたい放題よ」
「あ、綾香さん」
葵は困っているが、正直、浩之の実力では、そうそう葵を倒したりすることはできないだろう。葵にもそれはわかっているだろう。
だが、それなら浩之には?
理解はしているようだが、何故浩之は止めないのだろうか。
「よし、ルールは理解したから、すぐやろうぜ。綾香、合図頼む」
「……つまり、浩之がエロオヤジだっただけね」
「人をエロオヤジ呼ばわりするんじゃねえ。さっさと始めろよ」
「仕方ないわねえ……葵、こんなエロオヤジすぐにやっちゃいなさいよ」
「え……は、はい」
葵は、あわてて構えを取る。浩之も、いつもとは違う構えを取る。組み技系の構えだ。腕を前に出して、少し前屈した上体になる。
何だ、なかなかさまになってるじゃない。
一応基本を押さえている浩之の構えに、綾香は少しだけ見直した。
「じゃあ、いくわよ」
綾香は、声を張り上げた。
「レディー、ファイトッ!」
綾香の合図を受けて、葵が一歩前に出る。
フェイントじゃない、葵、まさか終わらせる気?
よほど触られたくない、というわけでもないだろうが、葵は試合をすぐに終わらせるつもりのようだった。素早い踏み込みから、ワンツーからの右ハイにつなげる。
パパッズバッ!
しかし、葵の方が実力があっても、それでは決まらない。何せ浩之のそれは防御の構えなのだ。しかも、葵の方がかなり実力が上とは言え、すぐに倒せるほどの差があるわけではないのだ。
それに、踏み込みが浅いわよ。
浩之は、葵の左をはじき、右をよけ、右ハイを完全にガードする。まったくダメージのない状態で、葵の先制攻撃をしのいだことになる。
まあ、でも葵にも隙は見当たらないけど。
あせっていたわけではないようで、浩之に反撃のチャンスを与えた様子はなかった。隙があれば浩之も倒しに行くはずだろうし、無理に行かないのも予測できる。
「何さ、けっこう藤田、様になってるじゃないか」
坂下が綾香に耳打ちする。ついこの間浩之のタックルを一発で落とした坂下としたら、それなりに動ける浩之に疑問を持ったのだろう。
「あのねえ、好恵。あんた、何か忘れてない?」
同じく小さな声で言いながら、綾香も、一つ思い出していた。
そう、綾香も忘れていた。浩之がすごいのは、その成長率。
「浩之は、天才なのよ。3日もあれば成長するわ」
そう、そうやって、あの賭けは浩之が勝ったのだ。浩之は、普通の人間ではない。天才であり、ほんのわずかな期間で、極端に成長するのだ。
だったら、もしかしたら、いい勝負ができるんじゃないの?
綾香は、そう思いながら試合を見た。
続く