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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(48)

 

 浩之の上達は、確かにバカげたレベルではある。

 未だ一度も綾香、坂下、葵の3人には勝ったことがないが、今のままでも空手の大会に出せばそれなりの結果を出すことができるだろう。むしろ、それ用に練習、つまり坂下の下で空手のための練習を1ヶ月もすれば、地区大会程度ならまず優勝できるだろう。

 つまり、単純に浩之の戦う相手が悪いのだ。

 浩之は、ある意味めぐまれた状況にいた。まわりを見渡せば、どこを見ても強い相手しかいないのだ。それがどれほど強くなるのに恵まれた環境か。

 もちろん、問題がないわけでもない。あまりに勝てないと、そのうち格闘技が嫌になってくる可能性もあるからだ。

 浩之の場合は、精神的にはタフそうなので、そういったことはまだまだ先の話のようだが。

 さて、私の見込んだ天才は、どれぐらい私を驚かせてくれるのかしら?

 葵の打撃を、ことごとく、余裕なのかギリギリなのかはわからないが、避ける浩之に、綾香は熱い視線を送っていた。それだけ、浩之になら期待してもいいと思った。

 葵の上半身だけのフェイントを見切って、浩之は動かない。後ろに避けるのはいいが、それでは反撃できないのだ。それがフェイントだとわかっているのなら、そしてそこに隙がないのなら、単純に反応しない、それが一番いいのはわかってはいるだろうが、普通は反応してしまうものだ。

「こらー、浩之。攻撃しないといつか負けるわよ〜!」

 綾香が声援というよりもやじを言っても、浩之はまったく反応しない。無視しているようにも見えないでもないが、もしかしたら、本当に葵の打撃を捌くので精一杯なのかもしれない。

 しかし、葵も攻撃が淡白である。浩之との実力差があるなら、押し切ることも可能だろうに。

 綾香がそんなことを思った瞬間だった。

「せいっ!」

 ザッ!!

 しびれを切らしたわけではないのだろうが、葵が一歩いつもより深く踏み込む。

 うかつと言うにはあまりに速い踏み込みから、身体が前進する力を利用した斜め下からの、振り切るような掌底。

 浩之のガードをまるですべるように抜け、そのまま浩之のあごを狙う。

 ビュヒュッ!!

 鋭い風を切る音をたてて、葵の平手打ちのような掌底が空を切った。

「っ!」

 驚いたのは、そこにいた4人全員だった。

 浩之は、葵の初めて見る打撃に。葵は、その打撃を避けられたことに。そして、綾香と坂下はその二人の攻防に。

 葵はその驚いた分、連続した攻撃ができずに、浩之は避けた状態でバランスを崩し、一瞬、どちらも何もできない空白の時間ができる。

 しかし、体勢を整えたのは、葵の方が早かった。もう一歩前に踏み込み、突き上げた腕を振り下ろす。変則の、裏拳だ。

 ビュッ!

 浩之は、腰を落として、それを下に避ける。そのまま、手を地面について、葵の脚を、自分の脚で絡め取ろう身体をひねる。

 葵は、反射的に浩之の脚の射程外に飛びのいた。

 トッと、身軽に葵が着地する。それと同時ぐらいに、すでに浩之は立ち上がって体勢を整えていた。どちらにもつけいる隙はなかった。

「……何なの、あの動きは?」

 坂下が、搾り出すように声を出して綾香に訊ねた。

「さあ、どっちの動きも、私も初めて見るわよ。どっちも隠してたんじゃないの?」

 実際、綾香も二人のあんな動きは見たことがなかった。

「あのアッパーみたいな掌底、腕の動きが変だったし」

 浩之が、決して打たれたくないという防御の構えで対応していたのだ。あんな大降りな掌底がガードを抜けるような隙はなかったはずだ。しかも、葵の掌底は、素人がパンチを打つときに一度拳を振り上げるような、身体の後ろに引くためがあった。いくら踏み込みが速かったとは言え、それがガードを抜ける理由がわからない。

「多分、身体を盾にして見えにくくしたんだろうってところまではわかるんだけどね」

 坂下も、素人どころか、かなり強い部類に入る空手家だ。打撃の性質は、見ればそれなりにわかる。しかし、それでもどこかおかしい、それだけではないと感じているのだ。

「私もあんまり使わない打撃なんだけど」

 綾香は、そう付け加えて説明した。

「腕をしならせるようにして、相手のガードの隙間に埋め込んだんだと思うわ。直線の動きと、斜めからの円の動きを組み合わせて、普通のパンチにはない軌跡を描いたみたいね」

 いわゆる、ボクシングのフリッガージャブに似た打撃だ。パンチの出所が見え難く、避けるのはかなり難しい。

「ボクシングのフリッガージャブみたいなもんね」

 坂下も、それにすぐに気付いた。打撃は、一応最近は他の格闘技でも調べるようにしているのだ。

「うん、そうね。でも、葵のオリジナルと言ってもいいんじゃない? 普通、ジャブでKOを狙ったりしないわよ」

 葵は、完全にKOを狙っていた。だからこそ、それまで気のないような打撃を続けていたのだ。それまでに、少しでも油断させるために。その、新しい技を打つまで、相手が怪しまないために。

 でも、それだと、葵、大人しい顔して浩之KOするつもりだったってわけよね。

「オリジナルって、どこらへんが?」

「フリッガージャブみたいに、おかしな軌跡を描いたわりには、ちゃんと掌底になってたでしょ」

「……ああ、なるほどね」

 坂下には多くの説明は必要なかった。

 掌底というのは、張り手、つまりビンタと呼ばれるものとは、基本的に打撃として違うものだ。

 ビンタがふりをつけて、円、横の動きで威力を出すのに対して、掌打は、手首を直角にすることにより、直線の威力を完全に逃さずに相手に叩き込む。

 フリッガーは、スナップを効かせるもので、掌底とは似ても似つかない技だ。それはそれで良いのだが、葵は、掌底の威力を、うまく腕をしならせて消すことなく、ガードを抜ける打撃を編み出したのだ。

「あれをどこで覚えたのか知らないけど、すごい技ね」

 坂下とて、あれをいきなりやられると、避ける自信はない。一撃で決められるかどうかは別にしても、不利な状況に追い込まれるのは予測できる。

「威力はいくぶん落ちるかもしれないけど、掌底は掌底だし、ガードを抜けるのはうざいわね」

「でも、藤田もよく避けたよな」

 浩之は、いきなりガードを抜けてきた掌底を、身体をそらして避けたのだ。そのかわり、バランスを崩したのだが、浩之はそれに逆らわず、わざと自分で倒れた。次の反撃につなぐためだ。

「あれは、単なる浩之本人の反射神経よね。まあ、最近何かと身に危険が多いみたいだから、反射神経も上がったんじゃないの?」

 反射神経で避けれたのも、綾香の声が聞こえない、または完全に無視するほどに集中しているからこそだ。

 浩之、スケベ心出してるかと思ったけど……

 今の浩之は、真面目そのものだった。きりりとしまった表情には、綾香も惚れ直そうかと思うほどだ。

 葵に、勝ちたいのかしらね。

 おそらく、そうなのだろう。後輩であり、しかし、格闘家としては先輩であり、何より強い葵を、浩之が倒したいと思っても、何も不思議ではない。

 そのためというわけでもないのだろうが、浩之は腕をあげている。打撃だけでなく、組み技を入れただけで葵と対等に戦っているのだ。それは、賞賛に値する。

 しかし、綾香は意地悪く笑った。

 でも、ちょっと葵に勝とうってのは、気持ちが早いと思うわよ。

 綾香の心の声など、まったく無視して、浩之の反撃が始まった。

 

続く

 

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