作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(52)

 

 ズッン……

 鈍い音をたてて、浩之は地面に叩きつけられた。

「っ……!」

 背中を強打し、浩之は一瞬息ができなくなる。それでも頭を打たずに済んだのは、並外れた運動神経と、修治に鍛えられて、少しでも受け身を覚えていたからだろう。

 だが、実際のところ、頭を打たなかったというだけで、受け身は失敗していた。背中を強打してしまうと、それでKOされることは無くとも、息が止まって、動きが取れなくなる。

 その後は、例えさして寝技の練習をしていない葵だろうが、まったくの素人でないのだから、仕留めるのは簡単な話だ。

 決着は、すでについていた。

「そこまでよっ!」

 綾香がそう言って試合を止めるまでもなく、葵は浩之に手を貸していた。それは手加減とか、そういうものではなく、もう決着がついたことを、葵も浩之も理解したからに他ならない。

「大丈夫ですか、センパイ?」

 葵に手を貸してもらって起き上がったはいいものの、浩之はすぐにはしゃべれなかった。それもそうだろう。浩之の受けたダメージは、どう見積もってもKOを免れない量のはずだった。今意識を保っていられるだけでもすごいことなのだ。

 というわけで、今の浩之に大丈夫かなどと聞く葵も、かなり問題があると言わざるおえない。もっとも、倒れた相手を蹴り殺そうとした綾香と比べれば、まだまだ優しいものなのかもしれないが。

「あそこまでやっといて大丈夫も何もないと思うけどね」

 坂下のみ、そういうことにはかかわっていないので言いたいことを言っている。しかし、坂下も合同練習に来るどこかの無謀な男を何度かKOしているのだから、絶対に人のことが言える立場ではないはずなのだが。

 色々突っ込みたいことは沢山あるのだが、何しろ、突っ込むべき立場の浩之はダメージを受けすぎて動けない状況だ。ただ黙って聞き流すしか手がない。

「あ、浩之倒れたわよ」

「ああ、センパイ、しっかり意識を持って!」

 一度起き上がったまではいいが、それを保っていられるほどの力も残っていなかった浩之は、思い出したようにその場に倒れこんだ。

 葵があわてて浩之が頭から落ちるのを止める。投げられたときはとっさに頭だけは打たないようにはしたが、今の状況ならそんなこともできずに倒れるのは明白だった。

「しかし、浩之、全然相手にならなかったわねえ」

 半分意識を失いかけている浩之を指先でつつきながら綾香が拍子抜けた声で言う。

「浩之のことだから、もうちょっと相手になるかなとか思ったんだけどね。さすがにまだ無理だったかな?」

「私には、藤田の動きは悪くは見えなかったけど?」

 坂下がついこの間相手をした御木本にはまだまだ遠く及ばない動きではあるが、それでも空手部でも坂下、池田、御木本の3人ぐらいしか反応できそうにない動きだった。それは、坂下から見て誇っていい動きだ。

「ま、相手が悪かったってことじゃないの?」

 そういいながら、綾香はぺしぺしと浩之の頭を叩いている。浩之が意識を保っているのか確かめているようにも見えるが、多分単に遊んでいるだけであろう。

「まさか、葵が組み技相手にでもここまでやるとは私も思ってなかったわよ」

 浩之の上達もすごいものがあった。わずか、それこそ数週間で、あそこまでの動きをするのだ。それを才能と言わず、何を才能と言おうか。

 だが、それを葵が上回るほど強かったというだけだ。最近まで空手一筋だった葵が、何故ここまで成長したのかは綾香も不思議には思ったが、葵の実力が本物なのは疑いようもない。

「しかも、どう見たって浩之をKOするつもりみたいだったしねえ?」

 綾香が、横で難しい顔をしている坂下に同意を求める。

「私も、あそこまで葵がえげつない攻撃をするとは思ってなかったよ。もしかして、綾香の悪い癖がうつったんじゃないのか?」

 坂下が本当に心配そうな顔で葵を見るので、綾香は半眼で坂下をにらみつけた。

「何よ、私の悪い癖って?」

「普通のひねくれ者なら、好きな相手には意地悪してしまうもんだけど……」

 いや、藤田を好きなのはきっとそうなのだろうが、と坂下は心の中だけで言っておくことにした。いくらワイルドな性格の坂下とて、この二人のケンカというものは見たくはない。

「綾香の場合、相手のことが好きだろうが嫌いだろうが関係なくボコボコにするからね。それで何度私が被害を受けたことか……」

 綾香は確かに頭のめぐりがいい。それは坂下も認める。認めるが、はっきり言って頭のめぐりが良すぎる。どんな相手にケンカを売っても、勝てるとふんでいる感があるのだ。実際、綾香にケンカを売られて破滅したバカもちらほらといる。

 まあ、綾香にケンカを売って破滅したやつは、本人が悪いに決まっているが、坂下が仲裁に割ってはいることもある。そういうときは、なまじ確信犯である綾香を相手にするのは疲れると言うか、勘弁して欲しい。

 何せ手加減という言葉を知っていてなお無茶をする綾香だ。そんな綾香の、悪い癖というより、ただはた迷惑なその性格が葵に伝染しているとしたら、世界の、もちろん坂下から見ての、世界はお先まっくらだ。

「人聞きの悪いこと言わないでよ。私が本気でボコボコにする気があったら、もうすでに何人か殺してるわよ」

「フォローにも何にもなってないこと言わないで欲しいね。だいたい、あの素直だった葵がこんななったのも、どう見たってあんたのせいじゃない」

 言い合いを始めた坂下と綾香を横に、実は葵はちょっとだけ幸福な気持ちでいた。

 二人が、仲むつまじく口ケンカをしているから?

 否、やはり、葵にはかなり綾香の性格がうつってきているのかもしれない。葵は、実はまったく二人のことをそっちのけにして喜んでいた。

「……」

「言ってはならないことを……確かに最近の葵はちょっと反抗的だけど、それぐらい許容範囲じゃない」

「許容範囲とかそんなことが問題なんじゃない。責任持って昔の葵に戻せ」

「私が何で責任持たなくちゃいけないのよ。勝手についてきたのは葵よ。葵は、自分の考えでひねくれたに決まってるじゃない」

「……」

「綾香、さっきから全然葵のフォローしてないように見えるんだけど?」

「当たり前じゃない。私は思ったことをそのまま口にしてるんだから」

「ったく、こんなんだから葵がひねくれるんだよ、なあ、葵……」

「……」

 葵は、二人のケンカに興味がないのか、ほけーとしている。

「おーい、葵〜?」

「ほら、好恵があんなこと言うから、すねちゃったじゃない」

「それを言うなら絶対あんたの責任だと思うけど……別にすねてるわけじゃなさそうだけど」

 そして、二人は葵の幸せそうな顔の正体に気付いた。

 まったく身動きの取れない浩之に、葵は膝枕をしていたのだ。

「ちょ、ちょっと葵、それは私のものよ。勝手に膝枕は条例違反よ」

「だめですよ、綾香さん。センパイを動かしちゃ。ダメージがたまってるんですから」

「この子は自分でやっといて……」

「……まさに、綾香そっくりだね。私としては、早くこの病気から回復して欲しいところだけど」

 実にうらやましい状況のはずの浩之だが、うなされているのを、3人とも気付かなかったのか無視したのか。

 少なくとも、もう少しの間は膝枕のままだろう。それがいいことなのかどうなのかは別にして。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む