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最強格闘王女伝説綾香

 

二章・修練(55)

 

 何となく、浩之と二人きりになるのは久しぶりのような気がした。

 日はすでに落ちかけて、土手のまわりには人影もない。せわしない雑踏も、離れたところから聞こえる帰宅の車の音も、どこか遠い国の話のように伝わってこない。

 ここは、現世から切り離されたように、変な雰囲気だった。

「綾香、そんなに22歳以下の部ができて嬉しいのか?」

 おそらく、綾香本人が気がついていないと思ったのだろう、浩之は土手に座ったまま尋ねた。

 むろん、そんな訳はない。綾香は、自分の顔が、ほころんでいることぐらい百も承知だ。

「それもない、とは言い切れないわね」

 本当は年齢、体重、性別さえも無視して、本当に強い相手と戦っていたい。しかし、それはある意味、無茶なわがままだ。綾香にだって通せないものが、それは「まだ」という意味は含まれるが、通せないものがあるのを理解している。

 それを考えれば、今度のことは、綾香にとってはかなり希望に近いものだ。高校生相手では、正直もう満足できなくなっているのだ。

 年齢が上がれば、この若さならまだまだ強い者がいるはずだものね。

「まったくよ、この暴力お嬢様は、強い相手と戦えるってわかっただけで、そんなに嬉しいのかねえ。俺にしてみれば最悪だせ。いくらいつも怪物に相手してもらってても、俺がそれに合わせて強くなっていくわけじゃないしな」

「誰がいつ暴力を振るったのよ。格闘技と暴力は違うわよ」

 浩之は肩をすくめた。それでも脇をしめて、綾香の肘打ちに供えているあたり、かなり今までの苦労がうかがえる。

「俺をどつくのは、格闘技なのかよ?」

「あら、浩之をどついても誰も文句言わないし、それぐらいいいんじゃない?」

 綾香にとってみれば、親愛のスキンシップみたいなものだ。たまに本気で殺そうとしていることもあるが、まあ、本気なだけで、今のところ浩之は死んでいないので問題ないだろう。

「俺が文句言うだろ、俺が」

「却下ね。特に葵に色目使ってるときは」

「うっ……あれは色目じゃなくて、単なる冗談で……」

 身に覚えのある浩之は、少し言いよどむ。確かに葵にちょっかいを出して殴られることは多い。ただ、葵に冗談を言うのも、けっこう命がけなのだ。葵は冗談を理解しないこともあるので、綾香にやられる前に葵にやられることもあるのだから。

「ついでに言っとくけど、私が嬉しい理由は他にもあるのよ」

「何だよ?」

 まったく、少しはムードというものを理解して欲しいわ。綾香は自分の行動や言動は全て棚に上げて浩之の鈍感さに心の中でため息をついた。ある意味、綾香のその雰囲気をつかむというのは、一つの道を究めるぐらい難しいだろう。

「ここに二人で来るのって、ちょっと久しぶりだったじゃない」

「ん? ああ、そういや少しの間ここに来てなかったな」

「前は、けっこう二人で来てたじゃない」

「そうだな。最近何かと忙しくて綾香と二人で遊びに行くってのもなかったしなあ」

 浩之が本格的に格闘技をやるようになって、確かに二人が顔を合わせる時間は大して変わりはなかったが、二人きりで遊びに行く時間は極端に減った。練習場所はどうしても学校の裏の神社か、綾香の家になるのだが、神社なら絶対に葵がいるし、綾香の家は綾香の家でセバスチャンやセリオがいるので、二人きりというのは難しい。

「仕方ねえんじゃないのか? ズブの素人がエクストリームに出ようってんだ。どうしても即興でも時間をかけるしかないだろ?」

「ま、そうなんだけどね」

「あ、もしかして綾香、最近かまってやらなかったから、すねてたのか?」

 浩之は冗談半分で言った。半分なのは、確かに最近、綾香といる時間が減ったのは確かなのだ。それを浩之も、正直に言うとさびしくもあった。

「すねてるってわけじゃないわよ。浩之をエクストリームに出す以上、私も助力は惜しむつもりはないわ。何せ、私の一番弟子なんだから」

「一番弟子って……葵ちゃんは?」

「葵は一人立ちしてるもの。浩之は修治の道場に行ったりはしてるけど、葵や私におんぶにだっこでしょ?」

「……返す言葉もない」

 浩之の上達は素晴らしいと綾香も思う。だが、浩之はまだ葵や綾香に教えれることはないのだ。それを綾香はいつも証明しているし、葵にまで証明された。

 そこまでやられても、少しも浩之は悪い気はしていない。

 負けるのは、自分が弱いから。綾香や、葵よりも弱いからに他ならない。

 そして何より、浩之はちょっと自分の趣味が変わっていることに薄々気付き始めてた。

「あれだけやられても全然へこたれる様子もないし……もしかして、浩之マゾ?」

 綾香の夫をするなら、きっとマゾの方が楽しいだろうな、浩之ははっきり失礼なことを考えていた。綾香が弱者を横に置かないのはまた別の話だ。

「あのなあ……俺は、お前も、葵ちゃんのことも尊敬してるんだぜ。俺が勝てないのは確かに俺が弱いせいもあるけどな。それ以上に、お前や葵ちゃんが強いからだってよく理解してるんだよ」

 弱いことは、確かに格闘技をやっている者にとっては恥ずかしいことなのかもしれない。だが、綾香や葵に負けるのは恥ではない。

 いつかは勝ちたい相手が、今の自分に勝てるほど弱い訳が無いのだ。

「へえ、尊敬って言葉は初めて聞くわねえ」

「俺も、格闘技の楽しさを一応知っちまったからな。綾香のこと、これでも格闘家として尊敬してるんだぜ」

 そこ言葉に嘘はない。浩之は綾香を尊敬している。その、無茶苦茶な行動も、そのわがまますぎる性格も、綺麗な顔も、天才なことも、最高に、最強に強いことを。

 だからこそ、横に並びたいと思うのだ。

「綾香、このさいだからは、はっきり言わせてもらうぜ」

「何よ?」

 綾香は、少しだけ期待した。キスはしても、それがどこか告白につながらない。そんな二人の関係には、ちゃんとした言葉が必要だから。

 これ以上にないぐらい自信にあふれ、怖いものがないと言い切るであろう、綾香が待ち望むというのもおかしな話だが、綾香は待った。

「俺は、いつか、綾香、お前を……」

 それは、少しも甘い言葉ではなく、浩之のただ決意。

「お前を、倒したい」

 うまくいかないものね。綾香は、仕方ないとは思ったが、ため息を止めはしなかった。やはり、自分から動くしか手はないのだろう。でも、それでも。

「それは無理よ。だって、私、強いもの」

 まだ、愛の告白の時間じゃない。まだまだじらさないと。

「私が負けたことは少ないけど、私が本気で戦って負けたことは、一度だってないわよ」

 きっと、この世界で一番自分にとって色々な意味で強敵となる相手だ。まだまだ、遊ぶ要素は多く残っている。

「わかってるよ、だから倒したいんだろ?」

「浩之もたいがいわがままねえ。私に勝てるわけないじゃない」

 綾香が生きてきて、綾香の前でそう言葉に出した者は多い。だが、その相手誰もが、綾香には満足できる相手ではなかった。

 浩之は、満足できる相手。

 存分に、味わいたいのだろう、わがままな私は。

「とりあえず、最低エクストリームぐらいは優勝しないとね」

「……ま、今は無理だな。後10年後ぐらいなら何とかなるか?」

「それも無理なんじゃない?」

 綾香は、いつのまにか重ねられた浩之の手を、強く握っていた。

 別に私が何かしたわけじゃないけど、一度手に入れたものを、私はそう簡単に手放したりしない。

 浩之は、最高の天才。私の知る限り、私と同等にまで来れる唯一の人間。

 私が、浩之に惹かれるのは必然。浩之は、強いから。

「だから、とりあえずは、ゆっくり久しぶりの二人の時間でも楽しまない?」

「ま、それも悪くないわな」

 そう言って、二人はただゆっくりと、その場所で座っていた。

 お祭りの前の、ほんのわずかな、ゆったりとした雰囲気。

 お祭りが悪いと言っているわけではない。お祭りはお祭りで楽しいのだ。綾香としては、どっちも逃せない。

 浩之という楽しみと、エクストリームという楽しみ、綾香はどっちも手に入れたい。

 何せ、綾香は、世界で一番わがままな天才なのだから。

 

二章・終わり

 

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