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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(2)

 

「地区大会かあ、面倒なもんがあるわねえ」

 綾香はまったく人の気も知らずに、いや、もしかしたら知っているのかもしれないが、そう言ってめんどくさそうに肩をすくめた。

「つっても、綾香は決勝大会の出場の権利もう持ってるんだろ?」

「だから面倒なのよ。まあ、大会の主催者からしてみれば、もしものことがあって優勝候補が地区大会で消えてしまうと、盛り上がりに欠けるから、こういう処置を取るのは当たり前だと思うけどね」

 エクストリームの大会は、綾香が優勝したからというわけではないが、それなりの知名度を持ってきている。少なくとも、マイナーと呼ぶには大きく扱われているし、格闘技をやっている者ならば、または格闘技ファンならだいたい知っている名前になりつつある。

 それにともない、エクストリームに参加しようとする人数は増えてきた。綾香のときは全国4箇所で地区大会があったのだが、今年はその3倍の12箇所で地区大会が開かれることになったのだ。

 それ自体はいいことだ。どんなスポーツにも関わらず、そのスポーツに人気があればあるほど、全体のレベルは上がっていく。格闘技は無名の格闘家でも強いというような、その原理に当てはまらない事象もあるように思えるが、それはやはり正しい。

 そのルールで戦うのなら、という大前提があるからだ。エクストリームのルールで戦うのなら、当然エクストリームを目指す格闘家が増えた方がいい。

 もちろん、どこの世界にも怪物はいる。エクストリームの舞台であろうと、修治はおそらく無敵であろうが、やはり武原流、忘れているかもしれないが、修治や雄三の流派だ、がもっとも得意とする場面、そういうルールの場面に比べれば、格段に実力が落ちるであろう。

 強い者と戦いたい綾香にとってみれば、人数が増えれば、その分レベルは底上げされるのでいいことだ。何せひやかし半分の人間や、実力の伴わない人間は地区大会で消えていくからだ。多くの人数から選ばれた人間は、より強い人間が残っているはずだった。

 だが、綾香としては釈然としない。

「何で私が地区大会出ちゃ駄目なのよ」

 そう、綾香は地区大会に出ることを禁止されている。綾香にとってみれば、まさに禁止されているのだ。

 地区大会では、確かにレベルは落ちる。だが、綾香に戦わないという選択肢はなかった。

 それに、口には出さなかったが、綾香には小さな不安もある。

 綾香が出るのは、22歳以下の女性を対象にした、ナックル・プリンセスと銘打たれた階級だ。これのおかげで飛躍的に一つの場所に人が集中し、女性でも地区大会が12箇所で開かれることになったのだ。ちなみに、男性、ナックル・プリンスは16箇所で地区大会が開かれる。

 22歳以下となると、大学生や、格闘技のプロも含まれる年齢だ。綾香は葵の実力が地区大会など優勝して当たり前のレベルだと思ってはいるが、世の中そううまくいかないこともあるのだ。

 葵は、天才ではないのだ。もしかしたら、レベルの高い相手と当たって負けることだってあるかもしれない。

 それは非常にまずい。しかし、反対を言えば、綾香が地区大会に出ることができれば、綾香は地区大会から葵と戦うことができるのだ。

 今葵と戦えば、10中10綾香が勝つだろう。葵はまだ完成されていない。もし、崩拳を自在に使えるようになったとしても、綾香と対等になれるかどうか怪しいものだ。

 しかし、反対に、楽しみな相手ではあるのだ。きっと、一筋縄ではいかない相手になってくれる。綾香は、葵にそれを期待していた。

「しかし、この男の方の名前何とかしてくれないか? まだ女の方はいいけどさ、俺らプリンスはちょっとかっこ悪いぜ」

 サンドバックを打っていた浩之がぶーぶーと不平をたれる。綾香の家の設備は、神社のぼろいサンドバックとは違ってウォーターバックだし、つるしている場所がぎしぎしと鳴ることもない。

「……だいぶサンドバックを打つのがさまになってきたわね」

 綾香は、素直な感想を言った。技を覚える速度と比べて、実は浩之の打撃は大した威力を持っていない。

「そうか? 誉められるとその後突き落とされるんじゃないかって不安になるんだが……」

「まあ、あながち間違ってないわよ。その打撃で、相手がKOできると思う?」

「そう言われてもなあ……俺、今まで一回も相手倒したことねえしなあ」

 そう言いながら、浩之はサンドバックを打つのを続ける。

 ズバンッ、パパンッ、ズドンッ!

 けん制と言うにはいささか威力の高い「長い」ストレートから、一瞬間をおいて左右のワンツー、そこから右中段回し蹴りにつなげる。

 リズムのいい、良い打撃だ。動きによどみもないし、何よりどちらかと言うと大振りの技が多いのに、安定をほとんど崩していない。浩之という天才だからこと実現できるバランスの良さだ。

 おそらく、どんな部活に入っても、格闘技の部活ならばまず絶対にエースをはれる実力が、浩之にはあると綾香も思っている。

 おそらく、一番強いだろう。それがスポーツであるなら。

 浩之の弱点、綾香はもうそれにとっくの昔に気付いていた。だが、それを口に出すのはためらわれた。

 浩之は、優しすぎるのだ。

 きっと、本人は絶対に認めないだろうが、浩之は優しすぎる。それが格闘技の試合とわかっていても、女の子には全力の打撃を打てない。

 もし打てたとしても、葵や坂下、綾香には絶対に勝てはしないだろうが、それでも、打てないのと打たないのでは、天と地との差がある。

 浩之は、打てないのだ。そして、全力で打てないというのは、格闘家にとっては致命的と言ってもいい弱点だ。

 スポーツなら、浩之は間違いなくかなりの成績を残せるだろうが、それが実戦、威力を求めていくものに近づけば近づくほど、浩之は実力を出せなくなっていく。

 エクストリームでは、浩之がもっとも苦手とする領域で戦うことになるのだ。

 だが、綾香はそれを直に指摘しない。浩之の良さの一つに、その優しさが入っている以上、惚れてしまった彼女は、自分の欲求のために、浩之に犠牲になってもらうしかなかった。

 きっと、浩之はそれでも天才だから、いいところまではいけると思う。だけど、決勝大会まで出れるかどうかは、危険なところだった。

 修治の道場に通っているのだから、その部分の進歩もあるとは思うが、それだけでは、正直不安でもあった。

 特に、綾香はわがままだったから、好きな男の子には強くあって欲しかった。

 それはもう、滅茶苦茶なわがままだった。

 最低でも、自分と同じぐらい強くあって欲しいなど、いくら綾香でも分を超えているというものだ。

 だが、綾香は分をわきまえなかった。そんなものが、あるとなど生まれてこのかた思ったことのない天才には、それを理解するのはあまりにも無理な話だったのだろう。

 そして、綾香はその目的を少しでも早く達成するために、そう、綾香はその目的を達成するつもりなのだ、今日浩之をここに呼んだのだ。

「でも、調子はよさそうね」

「まあな、そりゃあ綾香や修治にしこたまいじめぬかれたからなあ。それを乗り越えれば少しは自信がつくってもんだぜ」

 浩之は軽口をたたきながら、その傷だらけの身体で、サンドバックに拳を打ち込んだ。

 すっと綾香が浩之の傷に触れる。

「綾香?」

 少しだけ息を切らした浩之は、綾香の何とも言えない表情に、口を閉ざす。

「こんなに傷だらけになっちゃって……ごめんね」

 浩之は、どこか皮肉げに、綾香はようやくそれが浩之の照れ隠しの顔だということを最近理解した、綾香に笑いかけた。

「なに、俺が望んだことさ。強くなりたい、綾香の役に立ちたいってな」

 本当に、バカがつくぐらいの優しい男なのだ。もっとも、その優しさも、綾香相手だからこそという部分だってあるのだろうが。

 だが、おそらくものすごく残念なことなのだろうが、バカだった。

「これから始まることについて、先に謝っとこうと思ってね」

「はぁ?」

 訳のわからないという返事をしながらも、浩之の直感が、今ここから逃げ出すことを浩之に要求していた。

 いつもならばある程度直感には抵抗してみるのだが、浩之は今日だけは、その直感を信じて、ありていに言えば、逃げようと思い、走り出そうとした。

「おお、小僧、来たか」

 その渋みのある、体格のいい初老の男の声に、浩之は、自分の直感を、あと5秒早く信じてやればよかったと、いつも通り後悔した。

「じゃあ、セバスチャン、浩之の教育お願いね」

「お嬢様の頼みなら、仕方ありません。小僧、覚悟しておくのだな」

 綾香の笑みが、今日も悪魔の笑みに見える、うららかな初夏の日だった。

 

続く

 

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