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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(3)

 

 そそくさと綾香が訓練場から出て行った後、浩之はあまりにも危険なこの初老の男とふたりきりになってしまった。

 確かにいつもはジジイと呼んでいたりもするが、浩之だって、この初老の男がどれだけ優れた格闘家なのかを、何となく理解していた。

 もっとも、恐れている理由は、綾香にとりつく悪い虫、つまり浩之のことだ、をここぞとばかり事故に見せかけて殺しかねないあたりなのだが。

「まさか小僧に物を教えねばならぬことになるとは、わしも思わんかったわ」

 カッカッカ、といつも通り威勢のいい笑いをしているが、その態度はどこかフレンドリーにさえ感じる。これを見て何かたくらんでいると思わない人間はいないだろう。

「ジジイ、何を企んでんだ?」

「ジジイではな〜いっ!」

 いつもの喝に、ようやく浩之は何となく安心した。

「地区大会が近いそうではないか、小僧。綾香お嬢様に手っ取り早く小僧を鍛え上げて欲しいと頼まれれば、このセバスチャン、お嬢様に頭を下げられる身体は持ち合わせておらぬ。不本意ではあるが、わしが鍛え直してやろう」

「んなこと言っても、一応俺は修治のところで……武原流だったっけか? あそこで修行してるんだけど」

「そんなもの百も承知だ。だが、それでは間に合わないのだろう?」

 間に合わないというのが、どれだけのレベルに間に合わないのかと言われれば、返答に困る。確かに綾香や葵に教えれるほどの上達はしていないが、浩之自身から見れば、ちゃんと上達しているような気もする。

 しかし、綾香がセバスチャンにわざわざ頼むということは、何かしらそのレベルに達していないということになる。

 しかし……綾香、俺にこれ以上どうしろと?

 浩之は心の中で綾香に文句をつけた。

 他人にはどう見えるかわからないが、浩之は浩之なりに、最大限に努力しているのだ。これ以上の努力というのは、ある意味自殺行為だ。

「では、まずは武原流の奥義の一つでも使ってもらおうか」

 ずいっとセバスチャンはいつも通りスーツの恰好で構える。

「んな奥義なんてそう簡単に教えてもらえるわけねーだろ」

 だいたい武原流、というより、修治や雄三が使う奥義だ。絶対人を殺すような技に決まっているのだ。セバスチャンに浩之の技が決まるとも思えないが、そう簡単にそんな技を教えるとも思えない。

「ふむ、雄三も案外ケチな男よのう。奥義の一つぐらいケチケチせず教えてやればよいものを。それとも、わしに技を知られるのを恐れたか?」

 どうも雄三とセバスチャンの間には並々ならぬ因縁があるようだが、浩之にしてみれば知ったことではない。せいぜい巻き込まれて被害を受けないように、近づかないのが吉と思うだけだ。

「んなの当然だろ。素人に奥義なんて教える格闘家がどこにいるんだよ?」

「教えて欲しくないのか?」

「はぁ?」

「おぬしは奥義を教えて欲しくないのか?」

「そりゃあ、まあ、強い技なら教えてもらうにこしたことはない……」

 と、浩之はそこで首をひねった。

 ありていに言えば裏があると思ったのだ。その口ぶりからすると、セバスチャンは奥義の一つでも教えてくれそうではある。だが、格闘家がそう簡単に奥義を教えるものなのか?

 教えない、普通は教えない。当たり前だ、危険すぎる。

 しかし、誰が危険かと言うと……後で技をかけられる方もそうだが、教えられる方も……

「……もしかして、その奥義、一回で人殺したりしないか?」

「もちろんだ、何せ必ず殺すと書いて必殺であるからな」

 おいおい。

 浩之は手の動きだけ突っ込みを入れて口には出てこなかった。あまりにも突っ込みどころ満載なので、突っ込む意識が口まで回らなかったのだろう。

「やっぱり、そういう場合、教えられる方は……」

「むろん、その技を受けて、生きていたら伝承終了だ。死んだら……そのときはそれだけの実力がなかっただけよ。さて、小僧、行くぞ」

「来るなっ!」

 浩之はあわててサンドバックの後ろに隠れた。もっとも、ここはここで危険なような気もするのだが、いかんせんここでは隠れる場所がない。

「わしの奥義を今まで習得した者はおらんのだぞ、チャンスだと思わんのか?」

 それは言葉通り必殺の技を受けて無事で済む訳がない。

「思うかっ! てめえ、やっぱりこの機会に俺を殺すつもりだろっ!?」

「ふむ、それも捨てがたいが……まあ、小僧をからかうのはこのくらいにしておこうか」

 からかい程度で殺されていては、命がいくらあっても足りるものではない。

「では、何でもいいから、一撃、わしに撃ってこい」

「何でもいいって、ほんとに何でもいいのか?」

「うむ、ある程度は見ればわかるが、細かい実力は技を受けてみるのが一番良いからな。まあ、安心しておけ、いきなりカウンターを撃ったりはせぬよ」

 あまり信用に足る言葉ではないが、確かにセバスチャンは構えを解いていた。綾香ならその体勢から完全にカウンターを取るのだから、あまり信用ならないのには変わりはないのだが。

 まあ、おそらく60は余裕で超えているはずなのに、その強靭そうな身体は、浩之の打撃一つ程度では揺るぎもしないだろう。

 そう考えると、気が楽ではある。セバスチャンにしてみれば、情けないことだが、自分の打撃などなでた程度も効かないだろう。

「そういうなら……」

 浩之は、ゆっくりと腰を落として構える。普段は浩之は素早いステップからの連打を基本として練習してきた。かなり組み技も入ってはきているが、それでも基本の戦い方は素早いステップと、連打による打撃だ。

 俺がどんなにがんばっても、関節技とか取れそうにないしな……

 この打撃も、見よう見まねの技だ。浩之なりに、葵の崩拳を研究して行き着いた打撃だ。はっきり言ってろくな威力のあるものにはならなかったが、自分が考えて、作り出した、言わば、浩之オリジナルの打撃、それがどれだけのものか、セバスチャンならばはっきりとした答えを出してくれるとも思ったのだ。

 浩之は、葵の崩拳に、他の打撃にないものを一応見出していた。

 綾香の打撃は、重心は綾香自身にあると浩之には見える。しかし、葵の崩拳は、重心が、どちらかと言うと、一瞬だけ、坂下に当たった拳に移ったように見えたのだ。

 別に本当にそれが見えただけではなく、浩之がそう思っただけだ。しかし、浩之は、その打撃を自分の形として、まだまだ未熟ではあるが、創り出しつつあった。

 打撃とは、体重、つまり重心の移動による運動エネルギーだ。

 浩之は、打撃というものをそう理解していた。

 そして、簡単な物理を思い出す。てこの原理というやつだ。重心に近ければ近いほど、物は少ない力で動く。反対に言えば、これは嘘をついているのだが、重心に近ければ近いほど強い力があるということだ。

 拳に、重心を持っていく。浩之考えついた、打撃の最終地点はそこだ。この打撃は、まだ綾香にも葵にも、修治や雄三にも見せていない。あまりにも物理法則に基づきながらも、それゆえに現実としては現実離れした理論と、まだまだまったく理論を現実のものにしていないので、浩之は今まで見せるのをためらっていたのだ。

 より末端に重心を持っていく。そんな無理なことを浩之は現実のものにするつもりなのだ。

「覚悟しろよ、ジジイ」

「ふん、小僧のたわごとなど相手をするまでもないわ」

 それを合図にするように、浩之はゆっくりと息を吐いた。さっきまで練習で疲れていたはずの身体に、力が宿る。

「いくぜっ!」

 浩之は、拳をセバスチャンに向かって突き出した。

 

続く

 

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