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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(4)

 

 それは、くり出したというよりは、やはり突き出したと表現した方が良かった。

 遅いのだ。綾香や、いつもの浩之の打撃から言っても、その動きは蚊が止まれるほどに遅い。

 しかし、浩之は少しもふざけてなどいない。浩之の、本気の打撃だ。もっとも、実験段階であるのは本人も自覚していたが。

 それに、遅いと言っても、セバスチャンのそのまったく老人には見えない分厚い胸板に当たるまでに1秒もかからなかった。

 くら……えっ!

 実験段階でも、それはそれで浩之が行える最大の威力を込めた、本当の全力だった。

 まず、いつもとは比べ物にならないほどのゆっくりとした、今の浩之にはそう感じられた、拳にふれる感触がある。

 冗談ではなく、浩之はそれを瞬間瞬間で感じ取っていた。

 ズ……ンッ

 そして、いつもとは比べ物にならないほどの、遅いが、重い感触が腕を伝わる。

 成功した、浩之は一瞬そう思った。何故なら、その感触は今まで浩之が一度たりとも経験したことのない打撃の感触だったからだ。

 だが、そう思うのも、やはり一瞬の出来事だった。

「ふんぬっ!!」

 パアッン!

 セバスチャンの気合いと共に、浩之の、細身ではあるが、小柄というには大きい身体が、まるでダンプにはねられたかのように吹き飛ばされ、そのまま壁に叩きつけられた。

 ズダンッ!

 浩之は、その一瞬で床でなく、壁で受け身を取った。

 しかし、完全に受け身を取れたわけでもなく、したたかに背中を壁に叩きつけられ、ついでに床にずり落ちてお尻を打った。

「いててててっ」

 浩之は、そう言いながらも、すぐに立ち上がる。背中を打ったので、息はつまったが、立てないほどのダメージは受けなかった。

 それよりも、そんな無茶苦茶なことをやられても、大して驚いた様子が無い方がどうかしていたのかもしれない。

「くそっ、無茶しやがって」

「ふん、打撃を弾き飛ばされるなどという体たらく、小僧、それでもお主、身体を鍛えておるのか?」

 セバスチャンは、確かに何もしなかった。いや、何かはしたのだが、確かに手は出さなかった。気合いと共に、浩之の拳を身体ではじいたのだ。

 それこそ、達人の域の技だ。相手の打撃に合わせるようにして、身体を硬直させ、その勢いを乗せて相手をはじくなど、プロの格闘家であろうともできるものではない。

 だがまあ、セバスチャンならそれぐらいはやるのではないかという気持ちがあったので、浩之は大して驚かなかったのだ。だいたい、その程度のことで怒っていたら、綾香の半恋人の立場にもなれないし、修治や雄三の相手もできるわけがない。

 そして何より、セバスチャンは達人の域の技を見せてはくれたが、綾香の『三眼』と比べれば、大したことのない技だ。

「で、俺の実力はどんなもんだ?」

「ある程度予想はしておったが、やはりまだまだ話にならんな」

「そうだろうけどさあ」

 浩之は、半分あきらめの境地に立ってセバスチャンの言葉を受け入れた。まだ格闘技を本格的に習いだして2ヶ月と少し、どんなに努力をしたところで、成長などたかが知れている。そして浩之は、自分が努力するということに向いていないことをよく熟知していた。

「しかし、お主、さっきの技は誰から教わった? まさか、雄三が教えたのではあるまいな?」

 さすがはと言ってもいいだろう、セバスチャンはさっきの打撃の変化に気付いたようだった。もしかしたら、ある程度何をしようとしたのかもわかったのかもしれない。

「ああ、さっきのは自分で考えたんだ。葵ちゃんの崩拳を参考にしてな。まだ綾香にも師匠にも見せてないんだから、秘密にしておいてくれよ」

「ふむ、形意拳の崩拳か。あれがどういう原理かなど、このわしとて知れるものではないが……それが小僧の、いや、お主の答えというわけか」

 セバスチャンは、一瞬ゾッとするような表情をした後、急に笑い出した。いつもの笑い方で、さも面白そうに。

「かっかっか、面白い、面白いぞ。見よう見まねで、重心の位置の移動などという物理法則も無視しようかという物を使うのか」

 やはり、セバスチャンには浩之が何をしようとしたのか理解できたようだ。普通ならば、たかが一撃を受けた程度では理解などできないであろうが、そこはセバスチャンだ、驚くほどのことでもない。

「で、俺も自分で考えて練習はしてんだけどさ、ジジイ……セバスチャンはこれが使い物になると思うか?」

「そんなもの、使い物にはなりはすまい。格闘技というものはシンプルなものだ。どんなに考えたところで、1000回正拳突きを練習した方が強くなる」

 予想できる答えだ。セバスチャンほどの怪物でもそう言うしかないだろう。所詮、才能などというまやかしに支配されるのは素人程度だ。

「ま、そうだよなあ。悪かったよ、さっきの技は忘れてくれ」

「そうすぐに答えを出すものではない。あの打撃、面白かったと言っただろう。わしはあんなもの、役にはたたんと思うが、練習次第では、使い物になるではないのか?」

 そういうセバスチャンには、少しからかっているような気配さえある。関心しているのか、バカにされているのかいまいち反応がはっきりしない。

 浩之は、思い切って聞いてみた。

「で、バカにしてるのか、感心してるのかどっちなんだ?」

「どちらもに決まっておろうが。どこの世界にあんなバカげた技を使おうというものがおろうか。しかし、それを思いつくのは非常に面白いといえよう。そして、もしそれを使いこなせればこれはこれで面白いと思うぞ」

「使いこなせればって言われてもなあ……」

 この技は、浩之は重心の移動を意識して練習はしているが、本当に重心が移動しているのかなど、絶対にわからないのだ。ましてや、あまりにも理論的には恥ずかしいし、全然使いこなせていないので、まだ他人にはなるべく見せたくはなく、練習する時間も少なくなる。

「後10年も練習しておれば、それなりに形になると思うぞ」

「10年って……」

「不思議がることもあるまい。一から自分で格闘体系を作ろうというのだ。その程度の年月でも低くみつもっておるのだぞ」

 もっともである。それだけ、浩之の考えたものが異質なのだ。

「まあ、わしは、それよりもお主の気になる部分がある。先にそちらをどうにかするのが先決であろう。そうしなければ、本物の強敵には勝てぬぞ」

 セバスチャンは、急に真面目な顔になる。浩之も、その気迫につられるように顔を筋肉を引き締める。きっと、それが綾香が浩之をセバスチャンにまかせた最大の理由なのだろう。

 セバスチャンは、神妙な顔で言った。

「お主、本当に相手を殴り倒す気があるのか?」

 

続く

 

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