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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(7)

 

 美紀は、自分の右襟を右手でつかみ、左手を高い位置で突き出した状態でかまえた。それに対して、葵はどちらかと言うと空手に近い構えを取る。

 美紀の構えは、普通の柔道の構えだ。突き出した左手は、相手の右襟をつかもうとしており、反対に、自分の襟を持った右手は、相手に自分の右襟をつかませないためだ。

 葵の構えは、単にいつもの自分の構えがやり易いからそうしているに他ならない。柔道には柔道の構えがあるとしても、葵が強くなりたいのは柔道ではないのだ。

 柔道はすり足と言っても、かなり軽快に動く。それも、ほとんどバランスを崩さないでだ。良い位置をつかめばほとんど勝ちが決まるという状況から、手の捌きも驚くほど早い。葵が本気で打撃を使ったとしても、なかなか当てれるものではない。

 体重移動も、そして細かな動きも、そこは葵の知らないことばかりだった。

 だが、反対に、空手と柔道、同じ格闘技であるからには、同じ部分もある。

「シッ!」

 美紀が葵の奥襟、首の後ろの襟のことだ、を狙って素早く手を突き出してくる。それはKOを狙っていないだけで、あたかも打撃のような鋭さがある。

 葵は、その手をはじいて、何とか奥襟を掴まれないように逃げる。葵も隙をうかがって、果敢に美紀の奥襟を取ろうとするのだが、それも簡単に弾かれる。

 実力、これは格闘技の実力という意味だが、美紀では葵の足元にも及ばないのであろうが、今は柔道という特殊な環境の中だ。その中では、葵と美紀の実力は、少しばか美紀の方が上のようだ。

 パシィッ!

 鋭い足払いが、葵の足をすくう。蹴りに似たその足払いは、ダメージはないが、葵のバランスを少なからず崩させる。まだ組んでいない状態なので、決定打にはならないが、それでも、美紀との実力差がありありと出てしまう攻防だ。

 バランス崩した葵に、美紀は素早く手を伸ばす。

 奥襟を掴まれる前に、相手の袖を掴んで阻止はしたが、美紀はそんなことを無視して、力まかせに葵の奥襟を掴んだ。

 ここが、葵がまだ慣れない柔道の機微だ。確かに技も重要だが、時には力まかせで持っていくことも必要となる。空手では、打撃の威力は、実はそこまで腕力とは係わり合いのない、まったくとは言わないが、思う以上に、ものなのだが、柔道は違う。

 美紀は、葵との体格差を利用して、葵を上下左右にふる。葵も、何とかそれを防ごうとするのだが、体格差もあれば、技量にも差があり、美紀に振り回される。

 柔よく豪を制す、柔道の歌い文句ではあるが、そこには、レベルの低い部分だけでなく、かなり高い部分でさえも、豪は素晴らしい才能なのだ。

 しかし、葵としても、このままやられる気はなかった。まだ一度も投げれたことはないが、それでも、もう少しのところまでは追い詰めているのだ。

 葵は美紀の内の襟を掴むと、その胸元に飛び込んだ。

 柔、つまり身体の小さい者にも、柔道は有利な技を提供してくれていた。奥襟はつかまれてはいるが、それでも葵の小さいわりには強い身体は、素早い動きで美紀を背中に背負う。

 そして、そのまま相手を腰に乗せて、前に前転させるように投げようとした。

 柔道でも1、2を争う有名な技、背負い投げだ。身体の小さい者が、自分より大きい者を投げようとするときに最も有利になるように考えられたとしか思えない技だ。

 だが、美紀はそれを腰を落として耐える。

 葵の技への入りは早かったが、美紀はそれを予測していたようだった。そうなると、葵よりも下の位置に腰を落としてしまえば、そして柔道特有の、「投げられにくい」体勢になってしまえば、葵にはどうしようもない。

 下手にこのままの体勢でいると、腰を後ろから持たれて裏投げで投げられる可能性もあったので、葵は素早く体を戻し、腰を後ろに下げて防御の体勢になる。

 柔道の性質上、組んだ状態で腕を伸ばして、腰を後ろに引いた状態で、相手に技をかけるのはほとんど無理だ。しかし、その判明、低いレベルでは、その体勢に入ってしまえば、技などほとんどかからない。特に、腰を低く落とした相手に技などかかりようがないのだ。

 だが、反対に言えば、それは逃げにも重なった。だからこそ現在のオリンピックでは、そういう体制になることをあまり好ましく見られないし、注意を受ける可能性もある。

 だが、葵としては仕方ないやり方だった。何故なら、技かけた後が、一番狙われやすいのだ。葵はすでに何度も技の抜け際を狙われてこの美紀に投げられている。

 葵と美紀の実力差では、投げ技などそう簡単には決まらない。何せ、もし硬い床やアスファルトの上でやれば、相手の命にかかわるような技だ。むしろ、うまくかからない方が安全なのかもしれない。

 しかし、当然そういうわけにもいかないので、何とか相手を投げようとする。すると重要になってくるのが、技のかけ際や、腕の引き、そしてフェイントだ。

 美紀は、葵をぐいと引っ張ってバランスを崩させる。葵もそれだけで崩れるわけにもいかないが、美紀はこれにフェイントも織り交ぜてくるのだ。

 ぐっ、と美紀は葵を自分の方に引き寄せようとする。奥襟を掴まれて、首の後ろから引き込まれるように引かれる葵は、思う以上に力を入れないとそれに対抗できない。

 葵が引かれないようにふんばると、その瞬間に美紀は後ろに葵を引く。

 その一瞬のフェイントで葵がバランスを崩した一瞬をついて、美紀は葵の懐に飛び込み、葵を腰に乗せようとする。

 そのままふともも辺りを足で弾くようにして、相手を倒す、大腰だ。他の格闘技では腰投げと呼ばれる技だ。

 だが、葵もそれを何とか耐える。

 が、美紀はそのまま葵の右足に自分の右足をひっかけ、体重を後ろに預けた。前に投げられるのを耐えていた葵は、その素早い動きについていけず、後ろに倒れる。

 パーンッ

 柔道独特の小気味良い受身の音を立てて、葵は見事に倒された。

「いっぽ〜ん」

 美紀がどこか間抜けな口調で言うまでもなく、見事な一本負けだ。最近は何とか防いでいたのだが、久しぶりに綺麗に一本を取られてしまった。

「まだまだっ!」

 葵はすぐに立ち上がって美紀と組み合う。別に試合をしているわけでもないので、一度投げられた程度では終わらないのだ。

 葵は投げられたにも関わらず、果敢に攻めるが、いま一つ決まりきらない。

 もちろん、葵もそれが何のせいかは分かってはいるのだが、どうしようもないということはあるのだ。

 フェイント、葵に足りないのはそれだった。

 柔道では、フェイントで相手の予期した反対の方向に投げるか、連続で技をかけて相手を追い込むか、つかんだ襟を引いたり押したりしてバランスを崩させるか、この三種類でしかまず投げが決まることはない。力まかせにやったところで、そう簡単に投げは決まるものではないのだ。

 腕力は重要ではあるが、絶対ではない。だからこそ、柔よく豪を制すという言葉ができたのだろう。

 葵は、息の続く限り美紀を攻め立てたが、やはりまだその3つの物を満たせていないので、投げは少しも決まらなかった。

 それでも、少しは美紀がバランスを崩す場面があるのは、やはり日ごろから鍛えて作り上げた体力の結果だろう。

 そうやって、葵はまた力尽きるまで練習にあけくれた。

 

続く

 

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