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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(8)

 

「ありがとうございました〜!」

 一同礼をして、今日の練習は終わった。

 葵は、深々とお辞儀をして、頭をあげると、フウッと大きく息をついた。

 身体の隅々まで行き渡るような疲労。しかし、気持ち悪くはない、むしろ、心地ち良い疲労と言ってもよかった。

 葵はまだ若いせいなのか、それともそういう性格なのか、身体を鍛えるということが苦にならないタイプだった。むしろ、自分の身体がこれで鍛えられていくことに喜びさえ感じる。

 もっとも、無駄に身体を鍛えても仕方がないのも、それなりに理解している。オーバーワークは筋肉を縮めてしまうだけだし、筋肉のつけすぎは、身体を硬く、重くしてしまい、素早い動きの妨げになってしまう。

 葵の体質では、筋肉のつけ過ぎということはまず起きないではあろうが、オーバーワークによる筋肉の収縮は気をつけなくてはいけない。一度それで浩之のマッサージのお世話になったこともあるように、葵は気負いすぎると、どうしてもオーバーワークになってしまう傾向にあるのだ。

 だが、今はそんな心配はなかった。確かにエクストリームが近づくにつれて、ひしひしと自分の中に緊張が生まれてくるのを葵は感じてはいたが、それ以上に、今はそれを喜んでいる自分の方が大きいのだ。

 余裕があるわけではない。地区大会とは言え、葵が中学のときに出ていた空手の試合とはまったく次元の違う戦いが待っているはずだ。しかも、葵の中学のころの大会の成績はあまり良くない。

 余裕を持てる状況ではないのに、葵は今が何故か非常に楽しく感じられていた。だからこそ練習に身が入るし、そうやってどっしりと構えて練習してやれば、何倍も成果が上がる。

「お疲れ様」

「あ、英輔さんお疲れ様です」

 練習が終わってすぐに話しかけてきたのは、藤木英輔。高校2年で、この安部道場で、間違いなく高校生では実力トップ、柔道2段を持ち、1年ながらにして全国ベスト8まで行った実力者だ。

 しかし、それだけ強いに関わらず、ごつい体をしているのかというとそうでもなく、むしろスレンダーと言ってもいいほどの肉体を持つ。

 あまり男子とよく話す方のタイプではない葵だが、この道場に来てから何かと世話を焼いてもらっているし、浩之に似た匂いを持つ英輔を、葵もまんざら嫌いではなかった。まあ、だからと言ってどういう訳ではないが、少なくともその実力は、間違いなく本物だ。

 その優等生のような態度の中に隠れたあふれ出る「強さ」を、葵は感じていた。

「どうだい、今日は誰か投げれたかい?」

 葵はあははと小さく笑って答えた。

「まだまだ私じゃあ皆さんを投げたりできませんよ」

「まあ、松原君の相手をするのは全部この道場の実力者ばっかりだろうしねえ。先生がその方がいいって言うんだから、反対する気はないけど、もうちょっとゆっくりやった方がいいんじゃないかな? 実力者と戦うのもいいけど、相手を投げて自信をつけるってのもある意味必要だと思うけど」

 英輔の言うことももっともだとは思う。特に、葵は自分でもよく分かっているのだが、強さに安定感がなく、バラつきがある。その日の精神状態に大きく影響されてしまうのだ。

 だから、今は調子がいいが、もし試合前に気になることがあったら、あまり実力を出せないだろうと自分でも理解している。しかし、理解していてもどうしようもないということは多々ある。

 それが証拠に、葵は昔は試合になるたびにあがってしまい、実力の半分も出せずに負けてしまうことを繰り返していた。

 実際、浩之と会わなければ、今でもそうだったろうことは、自分が一番良く知っている。

「大丈夫です、皆さんの強さを、私はよく理解しているつもりですから」

 強い者と戦って負けることを、葵は恥には思わなかった。綾香をずっと見てきたからだろうか、自分よりも強い者は、星の数ほどいるのだ。ならば、負けてしまうことの方が多いはずだ。

 もちろん、負けてそのままでいるには、葵の闘争本能は弱くはないが、それでも、一回の負けで自分を捨ててしまおうなどとは思わない。

「負けるってことは、次へのステップですから」

 葵は自分が天才でないことを重々承知している。天才でないということは、最初は天才に負けるということだ。

 だが、葵は反対に、最後まで天才に勝てないとは思っていない。実力の世界は、確かに天才は有利だが、それは有利なだけで、絶対ではない。

「いつか、皆さんを投げれるようになるつもりですし」

 それは、葵らしくない発言だったのだろうか?

 いいや、それこそが、葵らしいのだ。いつもは、確かに控えめなように見えるかもしれないが、自分と相手、それをえこひいきなしで見ることができる選別眼と、どこかわりきれる強靭な心を、確かに兼ね備えている。

 だから、本当に強い綾香を尊敬し、まだ結果は出ていないが、天才である浩之を心から慕うのだ。

「うーん、いい顔で笑うなあ」

「そ、そうですか?」

 そんな自信に満ち溢れた葵の表情に対する英輔の感想に、葵はちょっと顔を赤らめて下を向いた。そんな態度は、さっきまでの様子とはまた違った意味で新鮮である。

「君を見てると、僕もエクストリームに挑戦することにしたのは間違いじゃないなって思えるよ」

「そうですよね……って、英輔さんもエクストリームに!?」

「うん、先生のすすめもあってね」

 にこやかな顔で言う英輔だが、その目の奥に燃える闘志は、やはり彼は格闘家なのだと、葵はどこか納得していた。

「英輔さんなら、予選は簡単に通過できますね」

 それは、葵としては最大のお世辞ではあった。柔道が強ければエクストリームで通用するなどという、そんな簡単な話ではないのだ。打撃対策もしなくてはいけないだろうし、投げには必殺の威力があるとは言え、そう簡単に決まるものではない。

 もっとも、実際問題として、そんなことを十分超えれる実力は、英輔にはあるとは葵も思うのだが。

「わー、英輔さんも葵ちゃんと一緒の大会出るんですか?」

「え、ほんと?」

「おいおい、その話俺は聞いてないぜ」

 わいわいとその話をききつけてまわりに人が集まる。それもそうだろう、葵がここに来てエクストリームはそれなりにこの道場の中では話題になるようになったのだ。葵が熱心に説明したということもあるが、柔道をやっている、少なくとも健康のため以上には、者にとっては、格闘技の話は、けっこう興味をそそられるものなのだ。

「みんなで応援に行きましょうよ、葵ちゃんと英輔さんのために」

「あ、それいいね」

 葵としても、ここの道場の仲間が応援に来てくれるのは嬉しかった。もうここの道場の仲間とは本当に仲良しなのだ。

 ただ、葵は少しだけ気になることがあった。

「英輔さん、出るのは、高校生の部ですか?」

「いや、ナックル・プリンスとか名前がついてた、22歳以下の部だけど」

 やはり。英輔の性格から言って、そういうことになるだろうとは思っていた。

「それで、松原さんに応援してもらえると嬉しいんだけど……」

 微妙な物言いだったが、葵はそれには気づかなかった。というか、葵には葵で気になることがあったのだ。

「ごめんなさい、もちろん、普通は英輔さんの応援しますけど、私のセンパイが、その階級に出るので、もしセンパイとあたったときは応援できません」

「そうか、まあ、そのときは仕方ないよね」

 英輔はさして気にした風もなかったが、まわりの者は肩をすくめたりひそひそ話をする者もいた。まあ、英輔が簡単にふられたと思っているのだろう。

 ふられたのは、実際そうなのだが、葵としてはそんな気はさらさらなかった。何せ、綾香の恋人のような立場にある浩之だが、それでも葵としては浩之しか見ていないのだ。

 顔もかわいいし、性格も素直だし、礼儀正しいし、今頃見かけないいい子なので、葵は自分が思っている以上、いや、自分では少しもそうだとは思っていないのだろうが、かなりもてるのだ。

 もっとも、今の状態ではあからさまな態度をとったところで、気付いてはもらえないだろうが。

 何せ、葵には、エクストリームと綾香と浩之しか見えていないのだから。

「それじゃ、お互いがんばりましょうね」

 葵の屈託のない笑顔に、英輔も、心の中ではどうとは言えないが、とりあえず笑顔で返した。

 

続く

 

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