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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(9)

 

「ふむ、試合が近いのか」

 雄三はどこか独り言のようにつぶやいた。

「はい、一週間後、エクストリームの、地区大会があります」

 浩之は、ブリッジをしながら雄三の、独り言のような言葉に答える。

 古流の武術なのにブリッジとは、おかしな気もするが、首や背筋を鍛えるのにはブリッジは向いているのだ。それはどちらも格闘技にはかかせず鍛えておかなければならない場所だった。

 まあ、どこかおかしいと言うなら、お腹の上に砂袋が置かれていることぐらいだろうか。

 もっとも、それも、優に3倍はある重しを乗せて、すでに浩之と同じ時間をずっとブリッジをしたままの修治を見れば、対したものでもないのだろうが。

「それでは、今週は怪我をしないように気をつけねばな」

 そう言うと、雄三は珍しく大きく笑った。雄三にとってみれば、非常によくできたジョークだったのだろう。

 何せ、試合が近いからとか、そういうことなど、雄三にとってみれば関係ない話だろう。まず、怪我をすること自体が、雄三の中ではあってはならないことなのだ。

 それは、いついかなるときでも、自分が有利に戦えるために、身体に不利な部分を作らないという、しごく単純な考えから来て、そしてだからこそ無茶な話だった。

 もう一ヶ月近くもここにいても、浩之にはどうしても、この完璧に常識外れた考え方にはついていけなかった。その方が幸せだとも考えてはいたが。

「しかし、結局奥義の一つでも教えてやればよかったのになあ」

 まったく息を切らさずにブリッジを続けながら、修治がのんきな声で物騒なことを言う。奥義と聞けばかっこいいような気もするが、要は相手を殺して勝つような技に決まっているのだ。

 浩之は、そんなこと百も承知なので、とりあえず無視することにした。

「無茶を言うのではない」

 めずらしく、雄三が修治の非常識さをたしなめる。ただし、浩之もさして期待はしていなかった。どうせこの後、もっと危険な話が続くだけなのだから。

「まだ基本の『柄落とし』でさえ反則の世界だ。何も教えるような技がないではないか」

「……参考なまでに、どんな技ですか?」

 浩之の少しばかり危険をかえりみない質問に、修治がもったいぶらずに教えてくれた。

「合気道の技で、相手の手首を極めて、そのまま相手を後頭部から落とす技があるんだけどな、そのまま相手に身体を預けて、鼻とか首とかにひじを押し付けて、自分も倒れるんだ」

「相手の手首を極めながら、肘うちを入れることもできればなお良い。もとから受け身の取れない技ではあるが、全体重を乗せれば例え受け身を取られたとしても鼻の骨を陥没させるか喉をつぶすことが可能だ。日本刀を持った相手にかけて、その柄を相手の顔に押し付けるような格好になるからついた名前だ。当然、その体勢で倒れれば、柄が相手の顔を砕く」

 ありがたい雄三師匠の解説つきだ。

「……」

「おいおい、浩之の方から聞いたんだろ? 何あきれた顔してんだ」

 あきれたくもなるというか、いつものことながら危険な場所だ。今まで自分が生きてこれたのが不思議になることがしばしばある。

「倒れた相手に対する打撃として扱われる可能性もあるし、元よりこれは肘を使わなければならぬ。エクストリームとか言うものには使用できまい」

「ま、俺ならんなまどろっこしい技なんて使わないけどな」

 何せ、綾香と同等かそれ以上の強さの修治だ。肘を入れれる体勢であれば、他の打撃でも十分相手を倒せるだろう。

「しかし、肘が駄目となると、俺としても『切る』のは難しいけどな」

「切るって……」

 もちろん、素手で相手を切ることを言っているのだろう。どうやってやるのかは謎ではあるが、修治ならやりかねないのも確かだった。

「鍛錬不足だ。わしならば、相手の顔の皮を拳でも軽く切れるぞ」

「悪りいな、才能無くて」

 修治がふんっと鼻を鳴らす。それがどんなレベルの話かなど、当然もう浩之は無視することにしていた。どうせ自分とは次元の違う話だ。浩之としては、自分が実験台にならない限りは無視を決め込むことにしていた。

「しかし、おぬしがこんな遊びに付き合う気になるとは珍しいのお」

「?」

 浩之は、話の意味が分からずに、ブリッジの、もちろん腕ではなく、首ブリッジだ、ゆっくりと首を雄三の方に向ける。

 すでに雄三がエクストリームをさして面白くもないと思っているのは知っているが、しかし、話の内容が見えてこない。

「あの、俺がどうかしましたか?」

「浩之の話ではないわ。この、馬鹿の話よ」

 そう言って雄三は修治を指差した。十分に聡い、まあ、かなり鈍感ではあるのだが、命の危険に関しては天才的なカンを持つ浩之は、それがどういうことを指しているのかを、かなり、おそらく確定で理解していたが、世の中、自分の信じたくないことは、あえて見ないことにしたいものだ。

「それはどういう……」

「ん? いや、俺もちょっとばかりエクストリームに参加しようとか思ってな」

「……参考なまでに、修治、今何歳だったっけ?」

 浩之は生まれて初めて神頼みということをした。というか、もうすでに浩之はナックルプリンスに登録を済ませているのだ。もう変更は無理だ。

 唯一の希望は、修治が22歳を超えているということだが。

「俺か? 20歳だが?」

 どうしようもないというか、絶対無理な話だった。

「ということは……やっぱり、出場するのはナックルプリンスになるってことだよなあ?」

「そうなるな。安心しろって、もし対戦できたら、遠慮なしに決めるからな」

 どんなことをしても安心できないような、というか出場を辞退しない限り、絶対に安全でない言葉に、浩之は悪夢を見ているような気持ちになった。

「……夢ならさめてくれねえかな」

 ブリッジをしたまま浩之は自分のほほをつねった。まあ、仕方ない話なのだが、どんなに強くつねっても、その分痛かったりするので、やっぱりこの世に神などいないということを思い知るだけだったのだが。

「まったく、そんなお遊びなど、子供にでもまかせておけば良いものを。わしならば、全員に不意打ちをかけて、残った者だけでやるぐらいのことをしなければ納得できんがな」

「じじいに不意打ちを食らって生きてる方がすげえと思うがな。それじゃ犯罪者だろ?」

「なに、うやむやにする手など……」

 すでに、雄三の言葉も修治の言葉も浩之の耳には入ってこなかった。

 綾香、もしかしたら俺、生きて試合を終えれないかもしれない。

 しばらくして、浩之は精神的に力尽きてぽてっと軽い音をたてて倒れた。

 

続く

 

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