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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(10)

 

 坂下は、汗だくの身体の、とりあえず顔だけタオルで汗を拭いた。もちろん、汗など拭いた後からまたどうせ流れ出すのだが、だからと言ってそのまま放っておくのもどうかと思った。

 坂下はすがすがしい笑顔で汗をふき取る。実際、気持ちいい汗だ。坂下には適量というよりは、まだまだ趣味のレベルの練習量なのだ。まあ、いつもよりは練習量が多いが、まだまだ倒れるというには生易しい。

 しかし、こうやってすがすがしい顔をしている坂下は、なかなか綺麗だ。かわいいというタイプではないが、それでもりりしい顔をしているので、こういう何げない動作もよく観察するとさまになっている。

 まあ、坂下はこの際どうでもいい。何せ綾香や葵や、着々と力をつけてきている浩之の相手を部活が終わってからもしているのだ。鍛え方が違う。というより、この空手部の中で、坂下に勝てるほどの体力を持つ者はいない。坂下が気持ちいい汗だと思うほどの汗をかいていたなら、まわりの者はすでにへたばって汗もふけない状態になっているのは目に見えている。

 すがすがしい笑顔をした坂下の後ろは、まさに地獄絵図だった。唯一、うまく坂下と戦うのを避けた御木本だけが、ぜいぜいと息をしながらも水を飲みに道場から出ようとしていた。

「御木本、あんまり水飲むなよ。疲れた身体にいきなり冷たい水を飲みすぎると、疲労がたまるし、身体に悪いよ」

「……けっ、これ以上身体に悪いことがあるかってんだよ」

 御木本は珍しく悪態をつくだけで、道場を出ていった。いつもなら散々かきまわすタイプなのだが、今回に限ってはそれだけの力も残っていないようだった。

 御木本はさぼることに関しては、変な話だがピカ一の才能を持つ。これだけ部活に参加して、これだけサボれるというのもある意味才能だろう。御木本がこの空手部の中で3番目の強さを誇るのは、単に才能があるだけの話だ。

 その御木本でさえ、この状態だ。まさに後ろは地獄だった。部員という部員が、全員へたばっていた。

 しかも、倒れている中で、自業自得なのは、一人しかいない。残りの部員や、あっちの部員に非があるとすれば、この結果を予測して止めることができなかったことだろう。そして、止めれなかった仕打ちとしては、それはあまりにもむごすぎた。

 もっとも、付き合いの長い御木本や池田でさえ、この結果は読めなかったようだが。でなければ、御木本は取り返しのつかなくなる前に逃げていたろう。

 あの池田でさえ、荒い息を吐きながら道場の端で座り込んでいる。おそらく、坂下の次に体力のある池田でさえそれだ、他の者は道場の端まで動けない状態だった。

 そして、道場のど真ん中で倒れているのは、この原因を作る原因を作った張本人、寺町だった。

 あの合同練習の後、寺町は土曜日はいつも合同練習をしてほしいと言ってきたが、坂下はそれを断った。こちらのレベルとしては、わざわざ合同練習などしていても足を引っ張られるだけの話だ。何も益がない。

 だが、それでも寺町はねばりにねばって、何とか坂下に月一で合同練習をうけてもらえるようにしたのだ。当然、向こうがこちらに来るという条件をつけてだ。

 それでも向こうの部員からほとんど文句が出なかったのは、寺町率いるあちらの空手部の意識の高さがうかがえる。そういう部分がなければ、坂下もその申し出を受けたりはしなかったろう。

 そして、今回は合同練習2回目だったのだが、寺町が急におかしな提案をしたのだ。

 一度、坂下さんのペースで練習がしてみたい。

 当然、向こうの部員から無理だという声はあがったのだが、それを寺町は半分無視するような格好で提案を通した。

 実際、坂下としてはそちらの方がよかった。これ以上練習を遅らせるのも何だったので、久しぶりにきついペースで練習をしようと考えた。

 ここで、こちらの部員はそれを、「いつものペース」と思ってしまっていた。でなければ、誰かが止めていたろう。

 だが、それには皆気付かずに、そして、坂下はそれを承諾した。それがこの結果をまねいたのだ。

「さてと、まあ、これじゃあ……今日の練習は続けられないかな」

 坂下はこまったものだと肩をすくめた。こまったものなのは坂下と原因を作った寺町以外にはいないだろうと思うのだが、坂下はさして気にもしなかった。

「……というか……何ですかこれは?」

 サボるのに全力を傾けていた御木本の次に起き上がったのは、池田や寺町ではなく、寺町のおもり役とも言える中谷だった。細身の美形だが、見た目よりもかなり気さくな性格だ。まあ、だからこそ貧乏くじを引く可能性も高そうだが。

「あら、まだ立てるんだ。しごき方が足りなかったみたいね」

「……立ては、しませんけど、いつも、こんな無茶をしてきたんですか?」

 息も切れ切れに訊ねる。坂下は首を横にふった。

「あんたのところの寺町が、私のペースに合わせるって言ってきたから、私のペースでやらせてもらっただけだけど?」

 中谷は、まわりを見渡して、とりあえず坂下以外に動く人間のいないのを確認して、一つのこと以外は何とか納得した。

 納得できないのは、そこに坂下が平気な顔をして立っていることだ。

「坂下さんはこんな無理をして、大丈夫なんですか?」

「私? まあ、けっこうきついけど、これぐらい私の友人なら難なくこなすわよ」

「……どこの怪物ですか、それは」

 まあ、怪物が集まってると言えばそうだけど。

 自分を一度なりとも倒した葵に、エクストリームチャンプの綾香に、格闘経験は少ないながら、脅威の成長を続ける浩之だ。どこに出しても恥ずかしくない面子ではある。どこに出すかは謎だが。

 そこで、ふと坂下は綾香達を自分が友人と認識しているのに気付いた。

 まあ、何と言っても最近仲いいからね。

 敵と馴れ合っているようで居心地が悪くないわけではないが、確かに最近よく顔を出している。レベルが高いので自分の格闘の糧にもなるし、葵を鍛えてやりたい、一度は確かに負けたが、まだまだ葵は自分のレベルを超えているとは思っていない、こともある。

 あれに付き合うと、一般人がこう見えるわけね。

 倒れて動かない部員を見ながら、坂下は感慨にふけってみたりした。

「まあ、普通の怪物よ。寺町じゃあ、せいぜい一人に勝てる程度だと思うけど」

「……」

 中谷の顔が絶対普通じゃないと訴えていたが、坂下はそれを見ないふりをして、道場を占領する死体をわきにどけるために動き出した。

 

続く

 

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