試合日和というのがあるのかどうかは別にして、もしあるとすれば、今日はそんな日だろう。この季節にしては暑くもないし、雨も降っていない。かと言って快晴というわけでもなく、適度に太陽が隠れるような調度良い天気だ。
エクストリームの地区大会をするには、もってこいの天気だ。
もっとも、試合が行われるのは室内なので、暑い寒い以外の天気はさして関係ないのだが。
「沢山人がいますね」
葵が、もの珍しそうにまわりをきょろきょろとしている。落ち着きがないのは、まあ、エクストリームの舞台は葵も初めてなので仕方ないのかもしれない。
「そう? 本戦と比べると、大したことないけど。場所もこんな場末の体育館じゃないし」
本戦と比べれば、確かに観客の人数は少ない。何せ、エクストリームの去年の試合は、日本武道館で行われたのだ。今年も、本戦はその予定である。
「しかも、こんな4つも試合場作って、並行して試合させたりしないわよ」
「あのなあ、本戦と予選だろ。まったくの素人も沢山出るんだ、いちいち1試合ずつ試合してたらいつまでたっても終わらないだろうが」
この予選でも、かなりの人数が来るのだ。しかも、それを1日で全てこなそうとするのだ。無理も出るというものだ。
ちなみに、本戦の方は、今年から大学生以下の階級別は他の日程でやることとなった。それでも男女4つの階級が、二日で全ての試合を終わらせる予定になっている。
まあ、プロレスやボクシングの試合ではないので、入場に時間をかけたりするのはせいぜい準決勝ぐらいからで、案外と試合は早く進む。
「まあ、私は本戦でも決勝以外には1分もかけなかったから、そのスピードなら1試合ずつやっても終わるかもね」
「相変わらずというか……無茶なことを言うよ、綾香は」
我一人常識人とでも言わんばかりに、坂下が大きく肩をすくめる。
「そういう好恵は何で来てるのよ?」
「葵の応援だけど、悪い?」
「いや、あれだけエクストリームを嫌がってたわりには、どういう風のふきまわしかなと思ってね。やっと認める気になったみたいね」
部活では恐ろしくて誰も、御木本を除いて、そんな口を坂下にたたけない。が、単純に、綾香は坂下よりも強いから、それを口にできるのだ。
だが、坂下は坂下で、まともに綾香の相手をする気はこれっぽっちもなかった。
「葵の応援だよ。後、私の知り合いにも、出るやつがいてね、活でも入れてやろうかなと思ったのよ」
本当に正直に言うと、坂下にはエクストリームに対する興味があった。本当に強い綾香という人物を坂下は知っているが、その他にも、強い弱いに関わらず、多くの格闘家に会ってみたいと思うようになってきているのだ。もちろん、それが良い、悪いというわけではない。が、綾香に知られるのはそれはそれで癪にさわるのは確かだ。
「へえ、まあ、好恵の知り合いだから、空手だと思うけど、そんな酔狂なやつもいるんだ」
「酔狂って、綾香も葵も空手出……いや、まあ、確かにあいつは酔狂っぽいけどね」
坂下の言っているのは、言わずもがな寺町である。とりあえず坂下にKOされるのが目的なのではという登場人物ではあるが、あれはただのバカではない。そういう意味で、見てみたいと思わないわけではなかった。
もっとも、疑うべくもなく、酔狂で、絶対にバカなのは確かなのだろうが。
「で、さっきから何か俺達注目されてるような気がするんだが……」
もちろん、この組み合わせで街中を歩けば、注目されない訳はない。綾香は超絶美人と言っても言いすぎではないし、葵も並のアイドルなどではかなわないほどかわいいし、清楚さで言えば、おそらくアイドルなどかないもしないだろう、坂下も背が高く、美形という感じで、女の子達がほっておかない姿をしている。
この面子にかこまれれば、それは男の方が見劣りするのは仕方のないことだ。まあ、浩之だから何と持ちこたえられていると言ってもいい。
が、今の注目は、そんな感じとはかなり違っていた。何というか、羨望というよりは、むしろ、畏怖や敵意に近いものがある。
そんなことも分からないのかという口調で坂下がその疑問に答える。
「そりゃそうだろ、綾香はチャンピオンなんだろ。ここじゃ顔が知れてて当たり前じゃないか」
言われればもっともである。その強さは尋常ではなく、下手をしなくともそこらの男、格闘をやっているこの場所にいる男でさえも、ほとんど相手にさえならないほどだ。羨望を通りこして、畏怖すら感じるだろう。そして、視線の何割かは、綾香と戦うことを視野に入れなくてはいけないのだ。
下手をすれば、今この場で喧嘩、言い方を良くすれば、個人的な試合、を吹っかけられても別段不思議ではない雰囲気だ。
綾香はワイシャツにミニスカートの下にスパッツをはいた格好で、ラフと言うよりは、どちらかと言うとおしゃれにしているように見える。今日は単なる観戦で、もっと言うなら、彼氏の試合を見に来ただけ、そう言わんばかりの格好だし、それが証拠に、さっきからいつもよりも浩之にべたべたしている。
が、浩之は知っていた。その服の下は、綾香の戦闘服だということを。レスリングのような身体にぴっちりとつく服を着込み、すぐにでも試合ができるようにして来ているのだ。
今日は、個人的にでも綾香が試合をするようなことはないとは思うが、あったときは、綾香は嬉々として試合に臨むだろう。というか、綾香はむしろそれを望んでいると言ってもいい。
人の試合見てると、綾香は好戦的になるからなあ。
綾香が好戦的になったときに、一番被害を受けやすい位置にいる浩之としては、誰も喧嘩を売ってこないことだけを祈るばかりだ。それが浩之にとっても相手にとっても一番安全と言えよう。
まあ、どこにでも好戦的な人間はいるが、特に格闘技をやっているとなると。
「よお、来たみたいだな」
その普通に聞けば少しも好戦的に聞こえない言葉に、はっきりと綾香の雰囲気が一瞬で好戦的になったのに浩之は気づいたというか、気付かされた。
「あら、お久しぶりねえ、何しに来たの?」
あくまで穏やかな顔で、穏やかな口調だが、それは間違いなく、敵に対する声だ。
おそらく、この試合場の中で唯一、綾香に対抗できる男は、綾香の友好的な表情に隠されきれていない、好戦的な目を、何なく受け止めた。
「……よお、修治。こんなところに何か用か?」
浩之としては、たまたま通りかかっただけと言ってくれれば、どれだけ救われたことか。
「ま、ちょっとした遊びさ」
聞くまでもなかったが、修治は嬉しそうに、もちろん好戦的な表情でだ、笑った。
続く