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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(19)

 

 修治は、少し話をしただけで離れていった。「俺にも他に知り合いがいてな」と言っていたが、それは単なる言い訳でしかなかったのかもしれない。

 綾香は、さっきの会話でほとんど確信を持った。修治は、やはりこんなエクストリームの地区大会になど興味がないのだ。それこそ、本当にまったく。

 修治が興味があったのは、いや、修治の目的は、葵だ。綾香はそう推理して、ほぼ確信を得ていた。

 でなければ、こんなところに修治ほどの猛者が来る理由もないのだ。

 修治は、葵の崩拳が見たかったのだ。むしろ、かけてもらいたかったのかもしれない。

 もちろん、マゾというわけではない。修治も、その崩拳を体得したいと考えたに他ならないのだ。だから、修治は見たこともないように友好的に、葵に話しかけた。

 昔の格闘家は、自分の技を見せるのを極端に嫌った。それは、技を見せるということは、その技の対策を練られたり、または真似をされて相手にも使われたりするかもしれないからだ。

 自分の技を他人に知られるというのは、それが直に命を削ることに直結する。だから、昔の格闘技はほとんどが門外不出で、簡単には教えてはもらえなかった。

 しかし、今は時代が違う。いらない知識は、ほっといてもそこらを飛び回る。今まで秘密のベールに守られていた格闘会も例外ではない。それはそうだ。今は、技を知られても、対策は練られるかもしれないが、命の危険はないのだから。

 もちろん、葵はそんなことを気にするタイプではない。通っている形意拳の老子に、技をうかつに見せるなとも言われていないし、今の時代、そんなことを気にする女子高生はいまい。

 綾香も、今まで秘密の技というのは覚えたためしがない。綾香の場合は、綾香の身体能力と才能があって初めて有効になる技が多いので、そういうところは隠す必要もないのだが、少なくとも、技の出し惜しみというものを綾香はやったことはない。

 だいたい、技を出し惜しみして負けてしまえば、意味がない。それに素晴らしい技を使えるというのは、それだけで人気の出るものだ。今の格闘界では、人気というのは重要なパラメータだ。

 しかし、こんな時代になってさえ、まだ解明できないし、多くを語られていない技というものは存在する。

 それの一つが、葵の使うことのできた崩拳だ。

 形意拳は、中国では有名な流派であり、日本でもそれなりの知名度を誇る中国拳法である。

 目的はただ一つ、一撃必殺。それだけを求める格闘技だ。

 もちろん、一撃を当てるのもそれなりの技術がいるし、どんな体勢からでもとなると、技の量も増える。何より、技は多ければ多いほど、変な話だが門下生が増えるのだ。

 崩拳は、そんな形意拳の一つでしかない。それも基本中の基本と言っていい技だ。空手で言えば正拳突き、柔道で言えば背負い投げとでも言えばいいのだろうか。

 しかし、これだけでもわかるように、それは必殺の技でもある。基本にして奥義、それが多分格闘技の本質なのだろう。

 だが、基本ではあっても、そこには幾多もの段階というものがあるのが普通だ。そして一般人は、崩拳の段階の、一番最初ぐらいしか知ることができない。

 だが、そのルールを無視して、崩拳を覚える方法がある。それは、崩拳を見せてもらうということだ。

 見ただけではコピーできない可能性もあるが、それを裏返せば、見てさえいれば、コピーできる可能性だってあるのだ。

 そして、綾香の見る限り、修治の方が、綾香より崩拳をコピーできる可能性は高いと思われた。

 タイプの違いとでも言おうか、綾香には、どうしても崩拳はマスターできなように思えた。もちろん、それは仕方のないことだ。綾香は天才だが、全てを差し置いて天才というわけにはいかない。食事をしなければいつか死んでしまうし、睡眠を取らなければ眠たくなる。そういう天才だ。

 できないこともある。綾香は自分の才能を少しも疑ってはいないが、それぐらいは理解している。そして崩拳は、そのできないことに入っている可能性が高い。

 そう、そこまでなら綾香も別に仕方ないと思う。問題は、それを自分以外の誰かが使えてしまうことだ。

 葵が使えたのは、すでに仕方ないと思えるが、修治が使えるようになるのは、綾香としては歓迎できない内容だ。

 修治なら、もしかしたら覚えてしまうかもしれない。それは、次に修治と戦ったときに、自分の勝率を下げる。

 もちろん、修治は、反対に、自分の勝率を上げるために、崩拳を覚えたかったのだ。

 強い者と戦いたいという感情と、それは矛盾するものかもしれないが、綾香としては、戦略のレベルで、修治が有利になるのを防ぐことに疑問はない。

 まあ、本当のところは、自分が使えない技を、他人が使えるようになることに不満があるだけのような気もしないでもないが、綾香としては、それでもいっこうにかまわない。

 何せ、綾香は無茶苦茶にわがままなのだから。

 綾香のそんな心の中を知ってか知らずか、または興味ないのか、坂下が興味深々という表情で話しかけてきた。

「あの男が、綾香と対等ねえ」

「あのままやってれば私が勝ってたけどね」

 ほんの少しだけ強がりな部分もあるが、実際、あのままやっていれば、綾香の勝つ可能性は高かった。何せ、綾香は反則技を使っていたのだから。

 できることなら、次は反則技なしで勝ちたいわね。

 それは、他の人間ならまだしも、綾香にしてみればそんなにわがままではないような気がした。それだけのものが、自分にあることぐらい、綾香は理解しているのだ。

「一度手合わせ願いたいものね」

 坂下は、嬉しそうにそう言う。綾香と同等ということは、自分ではどうやっても勝てない相手だということは理解しているつもりなのだが、それはそれ、これはこれだ。興味という意味なら、坂下はその興味を止める理由はない。

「でも……強そうな人でしたね」

「身体はね。私ら女とは比べ物にはならないし」

 強そう、というのは、やはり体格を見て言うしかない。大きければ強い、それが案外的外れな意見ではない。多くの格闘技が体重別に分けられているのを見ても一目瞭然だろう。

 それが全てではないから、綾香は強いし、修治は見た目以上ということになるのだが。

「さてと、こんな地区大会じゃあ、私が顔を出しておくような選手もいないし、とりあえず観客席にでも……」

「一応セコンドは許されてるんだろ? それなら俺か葵ちゃんのセコンドについとけよ」

 綾香のアドバイスは、それを試合中に実行できるかどうかは別にして、的確なものだ。セコンドにいれば心強いのは確かだ。

「試合が始まるまでよ。選手じゃない人は開会式では並ばない……」

「あ、坂下さんじゃないですか!」

 そのとき、一際大きな声で坂下を呼ぶ声があった。

 坂下の知り合いで、こんなところで大声を出す恥知らずは……思うよりも沢山いるような気もしてきたが、今回に限って言えば一人しかいない。

「応援に来てくれたんですか? いや〜、光栄だなあ」

 はっはっはといつもの独特の笑いをしながら近づいてきた男を見て、綾香は顔を押さえている坂下に訊ねた。

「お知り合い?」

「できれば他人でいたいところだけどね」

 そう言って、坂下はため息をついた。

 

続く

 

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