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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(22)

 

 浩之は、あまり着慣れていない服に少し戸惑いながらも、準備を整えた。

 浩之の出る22歳以下の男子の部、ナックルプリンスは午前中にあるのだが、それでもシードも含めて30人近くの人数が勝ち抜き戦をして優勝までを決めるのだ。

 他の年齢の部もあるので、いくら試合場が4つあっても、こんな朝早くからら、夕方と言うよりは、夜に到達するまで時間がかかる。しかも決勝戦と3位決定戦は一つずつ最後に行われるので、それを見ようと思えば、最後まで残っていなくてはいけないのだ。

 もっとも、浩之は、その試合に出る選手として残っておきたいのだが、まあ、そう簡単にはいかないことぐらいはわかっている。

 とほんど満員のロッカールームから浩之は出てきた。

 まわりを見るが、綾香や坂下、葵の姿はない。葵の試合は午後からなのでまだ準備するには早いだろうから、おそらくどこか観客席に席でも取りに行っているのだろう。

 浩之は、改めて自分の姿を見た。

 見慣れない服だ。どちらかと言うと、タイツと言った方がいいのかもしれない。足のたけはひざ上までで、上半身にはない。今はシャツを着ているが、試合になれば脱ぐ。

 修治の選別と言うか、今は武原流ではこれが正式な戦闘服だそうだ。実際は、上半身にも同じように身体にぴったりとつくタイツがあるらしいが、あまりかっこいいものではないので辞退した。

 浩之は空手着でも買って着ようと思っていたのだが、綾香にも、そして道場では雄三にも止められたのだ。

 少しでも服が厚い方が、防具にもなるのではと思わないでもなかったが、少なくともこういう素手の試合では、服はない方がいいらしい。

 単純に、服は邪魔なのだ。自分の動きを妨げるというより、相手にとって、服というのは非常に便利な凶器と化すのだ。

 その一番の例が柔道家を相手にしたときだ。柔道では、基本的に相手の服をつかんで投げる練習をしているし、絞め技も相手の服があってこそという技が多い。

 よく総合格闘の世界では、上半身は裸のことが多いが、あれは意味がない訳ではないのだ。服を着ないだけで、相手の組み技の効果をかなり削ることができる。

 少し考えて欲しい。柔道の絞め技には、自分の腕で相手の首を絞める裸絞めというものがあるが、相手が服を着ていれば、太い腕ではなく、もっと首に入りやすい細い布の縄で首を絞めるのと同じ効果が得られるのだ。それに、ただ手で腕を握るより、服を握った方が力が入れ易い。

 そう言われ、浩之は恥ずかしいと思いながらも、こんな格好をしているのだ。

 だが、はっきり言ってここではこの姿は全然目立たない。何せ、そんな格好は当たり前なのだ。試合前だと言うのに、上半身裸で歩いている者もけっこうな数いる。

 恥ずかしくないのかと浩之は疑問に思ったが、自分が目立たないのはいいことなので、とりあえず納得しておくことにした。

 しかし、実際浩之は目立つ。細身の身体は引き締まってはいるものの、格闘家には見えないし、顔は綾香や葵が見惚れるほどには良いのだ。

 歩いていれば、午後の試合にでる選手なのだろう、女子もけっこういるが、ちらちらと視線を感じないでもなかった。

 総合的に見て、格闘をやっている者はそんなに顔はよくないだろうから、浩之が目立つのはある意味仕方のないことかもしれない。

 もっとも、視線に気付いた浩之は、綾香の連れとして目だってしまったのだろうとぐらいしか思わなかったのだが。

「よお、ちゃんとその格好してきたんだな」

 振り返ると、よく見た大男が立っていた。

「そういう修治は、普通の格好みたいだが?」

 修治の格好はひざまである短パンにシャツの、来たときと変わらない格好だ。そろそろ開会式もあるだろうに、全然準備をしていないようだ。

「ああ、どうせ長いこといるつもりはないから、着替えなくてもいいだろ?」

「長くいるつもりはないって……試合にでるんだろ?」

「一応はな」

 いいかんげな返事が返ってきたので、浩之は修治の言葉の意味を考えた。まず考えられるのは、選手の全員をとりあえず倒しておいて、飽きて帰るのではということだ。修治の実力なら、浩之も含めてそれだけのことぐらいは平気でやれるだろう。

「……で、結局何しに来たんだ?」

 修治は、いつもの口ぶりよりは常識的なので、そんなことはする訳はないと思うが、すぐ帰るつもりなら、わざわざ来なくてもいいような気がした。

「知り合いに会いに来たって言ったろ? あっちは忙しいらしいから、こんな機会でもないと会うのは無理だからな」

「誰に会いに来たんだ? まさか、女って訳はないと思うが」

 修治からはそう言った浮いた噂はないというか、道場に通うようになって修治が女性と一緒にいることを見たのは、修治の母親だけだ。

 顔も悪いとまではいかないのだし、彼女ぐらいはいてもいいような気もしたが、女っ気には事欠かない浩之と比べるのが間違いなのかもしれない。

「だといいんだがなあ。会いに来たのは中年の親父なんだよな、これが」

「へー、そんな年齢でも試合に出る人もいるのか」

 格闘技に限らず、スポーツというのは年齢制限が厳しい。頭や技術には熟練という言葉が出てくるが、身体能力はどうしても年齢とともに衰えていくのだ。

 中年と言われるということは、修治の意地悪さえなければ、40は近い年齢だろう。そんな人間が選手として来ているというのは、ある意味凄いことだ。

「……と思ったが、考えてみたらどっかの道場の先生ってこともあるのか」

「まあ……選手じゃないわな」

 修治は困ったものだという表情で頭をぽりぽりとかいた。

「うちのじじいの次ぐらいに厄介な相手ではあるけどな」

「師匠の……次ぃ?」

 修治の祖父であり、浩之の師匠である雄三は、言うに及ばず、かなり厄介な相手である。実際に戦うところは見たことがないが、おそらく実力は修治と同等か、それを上回るはずである。

 ついでに、その性格にもかなり問題のあるお茶目なおじいちゃんだ。その次といえば、かなり問題のある人物なのは予想に難くない。

「見てみたいような、絶対会いたくないような……」

「お、噂をすれば……」

 修治は、人だかりのできている方向を指差した。何故かそこにだけ選手や記者が集まっている。というか、地区大会にしてはその記者の人数は多すぎるような気がした。

「あそこに本人とその子供がいるぜ」

 

続く

 

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