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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(24)

 

 思ったよりも簡単な開会式が終わり、浩之は準備運動に入っていた。

「浩之、調子はどう?」

「悪かねえけどな。どっちにしろ、俺のレベルじゃあ調子なんてあんまり関係ないだろ」

「ま、そりゃそうか」

 横で、今日は別にやることのない綾香が浩之を暇そうに見ている。

 廊下や体育館の端で準備運動をしている者は沢山いるが、午前中は男の方の試合だけなので、えらくむさくるしい状態だ。

 その中に入ると、浩之はまだしも、綾香はかなり浮いていた。さっきまでは葵も坂下もいたので、まさに両手に花の状態だったのだ。まわりの者の羨望と嫉妬の視線をひしひしと感じ、浩之としてはいつもながら少し優越感にひたっていたりする。

 しかしまあ、こんなところに出ようという物好きだ。どう見てもそういう類とは違った視線も感じる。綾香の顔を知っているのだ。

 そして、綾香といる自分も、油断はしてもらえないだろう、と浩之は思っていた。

 浩之の実力は大したことはない。綾香や葵、修治や雄三の指導を受けているとは言え、まだ格闘暦2ヶ月ちょっとの素人だ。

 反対に、まわりにいる者はどう見ても2ヶ月などというふざけたことを言いそうにない。浩之とてふざけている訳ではないのだが、実際それだけの経験期間しかないのは確かなのだ。

 俺としては、あんまり目をつけられたくはないんだけどなあ……

 浩之とて、強い者とは戦いたい。しかし、酷い言い様だが、こんな地区大会では期待していないのだ。綾香や、修治といった「怪物」のレベルまで求めるのは、酷というものだろう。

 ……って、修治は出ているんだったっけか。

 正直、当たりたくない相手である。何せ、今は何が起こっても勝てない相手だ。そういう怪物とは、練習でいくらでも戦えるのだ。今この場である必要はない。

 必要はないというか、絶対戦いたくない。浩之の正直な気持ちだった。

「とりあえず、目標は優勝ね」

 にこにことしながら無理難題をふっかけてくる綾香の言葉に、それを聞いたまわりの者が何人か嫌な顔をした。まあ、女つきでそこまで自信を持たれたら、あまりいい気分になるわけがない。

 何人かはもっと表情を険しくしているが、おそらく、綾香を知っているのだ。エクストリームチャンプの綾香の言葉に、その連れの男の実力を怖がっているのだろう。

「まあ、俺だって負ける気はないけどな。でも無茶なのは確かだな」

「またまたぁ〜、謙遜しちゃって」

 綾香が浩之の肩をぱんぱんと叩いた。

 ……どう見ても、わざとやってやがるよなあ?

 綾香を知っている者ならば、浩之の実力をきっと買いかぶるだろうし、知らなくともこんなところまで来て女といちゃいちゃしている男と対戦することになったら、けちょんけちょんに倒してやろうと思うのは、至極当然のことだろう。

 ……ぶっちゃけて言うと、浩之も修治と、あの北条桃矢以外に負けるともあまり思ってはいないのだが。

 浩之は、自分の実力をそんなに評価してはいないし、まだ2ヶ月ちょっとでどうにかなるものでもないと思いながらも、綾香や葵の実力を誰よりも評価していた。だから、反対に思うのだ。あれほどの相手はそこまでいまい。ならば、どうにかなるだろう。

 自分に対する自信ではなかったが、それは非常に大きな自信となって、浩之を妙に落ち着かせていた。初めての公式戦だ。もっと緊張してもよさそうなものだが。

 そう、浩之はまったく緊張していなかった。きっと、横で綾香や、しかしやはり緊張した葵を見ているから、身体が勝手にそれを日常だと勘違いしているのかもしれない。

 綾香いわく「鋼の心臓についでに毛がぼうぼう」だそうだが、その言葉は辞退した上でそっくりそのまま綾香に返してやりたいところである。

「というわけで、目標1回戦突破でいいだろ?」

「志が低すぎるわよ。そんなんじゃあ、期待できないわねえ」

 綾香が、大きくため息をついた。この場合、ため息をつきたいのは絶対に浩之の方なのだが、綾香がそんなことを気にする訳がない。

「対戦相手に恵まれれば、決勝戦ぐらいまでは行ってもらわないとね」

「んな無茶な……」

 修治と、実際に戦ったことはないが、あの北条鬼一の息子の桃矢がいるのだ。うまいぐあいに対戦相手に恵まれる可能性も低い。

「葵が対戦表もらってくるのが楽しみね」

 綾香がそこだけどこかうきうきしながら言った。

 エクストリームでは、公平を期すために、対戦表は当日、試合の始まる前に配られる。相手の対策が立てれないのは不利ではあるが、それは相手も一緒だ。それに、強い相手のことは、対戦するかどうかは別にして事前に調べておくぐらい、当たり前のことなのだ。

 その点、浩之は完全にこの大会をなめきっている。

 坂下がわざわざ情報を持ってきてくれたにも関わらず、色々あって結局見ることがなかった。だから、北条桃矢が出ることさえ知らなかったのだ。

 修治みたいな無体なほど強い人間を見ていると、相手のことを調べておくのがバカらしくなってくる、というのも、少なからずはあったが。

「センパ〜イ、もらってきましたよ〜」

 葵が軽やかに、走ってくる。手には、おそらく対戦表であろう紙を持っていた。その後を、あまりやる気もなさそうに普通に坂下が歩いてくる。

 まわりのやっかみの視線がより強くなったような気がした。いや、実際そうなのだろうが。

「見せて見せて」

 綾香は浩之が見るよりも素早く葵からその紙を取ると、しげしげとそれを見た。

「ふ〜ん……な〜んだ、がっかり」

「よし」

 浩之は、対戦表を見るまでもなく、小さくガッツポーズをした。

「何よ、まだ見てないじゃない」

「少なくとも、綾香が残念がることは俺にとってはプラスなのは間違いないからな」

 綾香のことだ。修治と一回戦で当たるのなら手を叩いて喜びかねない。別に浩之に負けて欲しいという訳ではないのだろうが、綾香とはそういう女だ。

「正解、とりあえず、修治と戦うには決勝戦まで行かないと無理ね」

 浩之にとっては理想的な展開である。修治と戦っても勝てる訳がないのだ。しかし、決勝まで当たらないということは、決勝まで行ける可能性が、少しでもあるということだ。

 何より、一回戦で当たって、浩之の低い目標も達成失敗、という事態にならなかったのが何より良い。

「ほら、さっさと俺にも見せろ」

「仕方ないわねえ、ほい」

 綾香が手首をふると、紙とは思えないスピードで飛んでくるが、浩之は予測していたので、さして驚かずに、飛んできた紙を起用につかんだ。

 浩之はシードではなく、優勝するためには5回勝たなくてはいけない。

 しかし、運がいいのか、決勝まで進まないと、修治にも北条桃矢にも当たる可能性がない。

「というかこれは……」

 浩之は、修治の一回戦の相手を見て、ある意味、一番楽な状況になっていることに気付いた。それは、浩之だけでなく、このナックルプリンスに出ている全ての選手についてだ。

「北条桃矢って、あの北条のおじ様の息子?」

「おじ様って……まあいいか。お前なら知り合いでもおかしくないしな。それにしても、武原修治、対、北条桃矢……事実、この一回戦が決勝戦じゃないのか?」

 修治の相手は、北条桃矢なのだ。

「有名な選手なんですか?」

 格闘技には詳しいはずなのに、葵が首をかしげる。まあ、北条の名前はともかく、浩之も今までその息子については聞いたことがなかったので、仕方ないのかもしれない。

「そうね……まあ、好恵と同レベルってところかな?」

「……何かすごいんだかすごくないんだか分からなくなってきたんだが……」

 綾香の評価は、むしろ浩之を混乱させそうだった。

「とにもかくにも、これで首はつながった。これで当初の目的、一回戦突破が現実身を帯びてきたぜ!」

「がんばってください、センパイ、応援してますっ!」

 低い低い浩之の志に、しかし葵の応援だけは元気だった。

 

続く

 

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