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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(27)

 

「どうぞ、センパイ」

 一分の休憩に入り、葵が何故かにこにこしながらスポーツドリンクを渡す。

「ん、ありがと」

 浩之は、それに笑顔で答えて受け取ると、一口だけ口に含んだ。試合中にそんなに多くの水分を取るのもよくないし、それに浩之は緊張したこと以上に喉がかわくこともなかった。まあ、もとより減量している訳でもないので、水分を取りたいとも思わなかったのだが。

「余裕ねえ」

 綾香が浩之の表情を見てそう感想を言う。

「まあ、あせってはないぜ。とりあえず、一応は試合にも慣れてきたしな」

「あら珍しいわね、謙遜なんて」

 綾香はそう言って笑ったが、浩之は謙遜している気はなかった。

 相手は1ラウンドでは浩之を倒せなかった。反対に言えば、浩之は1ラウンド相手から逃げ切ったのだ。もちろん反撃はしていたので、逃げ切ったというのはあまり正しい評価ではないのかもしれないが、浩之はしのぎ切った。

 その意味は思うよりも大きい。下手をすれば、何もする間もなく試合直前の硬いところを殴られて倒される可能性だってあったのだ。

 だが、この1ラウンドをしのぎきったおかげで、その可能性はほとんど皆無になった。これからは、より自分の実力を出せるということだ。

 もっとも、浩之はあまり自分の実力に関しては大きな自信は持っていないのだが。

「でもセンパイ、さすがです。こんな大舞台で、いつも通りに動けるなんて」

 葵が少し興奮ぎみに浩之をほめる。

「確かに、いつも通り動けてるみたいだけど、やっぱり綾香と同じで心臓に毛でもはえてるんじゃない?」

「綾香の剛毛さには負けるけどな」

 坂下の言葉に軽口をたたきながら、浩之は身体をほぐす。

 実際、まだほとんど疲れはない。むしろ休みを取って身体を冷やす方が気になる。

「失礼ね、無駄毛なんてないわよ」

 綾香は心外とばかりに文句を言う。確かに、あったとしても、身体の中だ。

「でも、とりあえずは言われたこと守ってるみたいね」

「あせるなってか? まあ、あせってはないけどな。すぐに倒せるような相手でもないだろうし……」

「そうですか? センパイなら倒せるような気がしますけど」

 そう浩之を大きく評価したのは、もちろん葵だった。

「そう言われても、なかなかそういう訳にもいかないよ、葵ちゃん」

「でも、客観的に見て、センパイがいつもの調子で動けるなら、十分勝てるレベルですよ」

 これが綾香なら、冷静な判断と同時に、相手に対する挑発もあるのでどうとは判断できないのだが、葵はある意味それは公平なのだ。だから、葵が言うのなら、かなりの確率で正しい。

 もっとも、それが対戦相手に聞こえたりしたら、また相手が向きになることは間違いなさそうだったが、幸い聞こえていないようだ。

「だめよ、葵。浩之を調子に乗せたら。絶対ポカするんだから」

「ポカなんかするかよ。綾香じゃある……いや、綾香は普通ポカなんかしないか」

「ま〜ね、少なくとも勝てる試合を逃すことはないわね」

 絶対の自信。それだけの自信があってなお、綾香は油断をして負けたことはない。これだから天才は、と浩之は自分を棚にあげて心の中で文句を言う。

「選手はお互い中央へ!」

 審判からの合図で、浩之は話を中断して、ひろひろと綾香達に手をふって試合場に戻っていく。

 試合中まで女の子の相手をしているので、対戦相手もそろそろ完璧に頭に来ているのか、今度は身体全体を震わせているように見える。

 ……まあ、真面目にやってるようには見えないか。

 浩之はいたって真面目にやっているつもりなのだが、相手にそれがどう見えるかはまた別の話だろう。

「それでは、2ラウンド目を開始します。レディー」

 審判の合図に、対戦相手と浩之はお互いに構える。

 ……せめて対戦相手の名前ぐらい覚えておけばよかったな。

 浩之はそんなことを考えながら、すっと手の平を頭の位置までかかげた。

「ファイトッ!」

 十分勝てるレベル……か。

 本当にそうなのかどうかは別にして、葵がそう思ってくれていることが浩之は嬉しかった。客観的に見ているとしても、ひいきして見ているとしてもだ。

 よく見ると、相手はまだ肩で息をしている。

 ……何だ、俺が不真面目なのに腹をたててた訳じゃないのか。

 身体が震えているように見えたのは、何のことはない。疲労が抜けきっておらず、肩で息をしていたのだ。

 そう言えば拳が震えていたのも……もしかして、緊張じゃないのか?

 こういう場面に何度会ったことがあるのかは知らないが、対戦相手だって慣れるほどはこんな場面はなかったはずだ。そう考えると、浩之と立場は同じなのだ。

 ……なるほど、俺と同じなのか。

 そこで初めて、浩之は相手も自分と同じ、苦しい立場にいるのに気付いた。浩之が心配しているようなことは、相手も心配しているのだ。

 それが証拠に、相手は必死な顔なのに、攻撃をしかけてこない。そう、怒っている訳ではないのだ。こちらのそんな態度に気付かないほどあせっているのだ。

 自分が息を切らせているのに、相手はまだまだ元気そうだ。今は少しでも休んで体力を温存して、3ラウンドまで持ちこたえなくては……

 浩之は、相手の考えが読めた。だから、そこまでゆっくりと休ませてやる気はまったくなった。

 クンッと浩之は軽い動作で前に出た。

 相手の右フックを、余裕を持ってかわす。

 何のことはない、隙だらけのフックだ。浩之なら余裕でかわせる。いつも通りの実力を出せていないのは、自分ではなく、むしろ相手の方だったのだ。

 浩之は上半身を素早く動かしてフェイントをかける。相手は、それに吸い込まれるようにかかった。

 左のフックをよけ、右のフックを打とうと振りかぶったところに、浩之は踏み込んだ。

 ドスッ!

 浩之の右のボディーブローが相手のわき腹に決まる。

「っは!」

 相手はダメージはあったのだろうが、無理やり身体をひねって後ろに逃げようと、腕で浩之の肩をつかんで押した。

 しかし、浩之はそれぐらいでは逃がす気はなかった。

 相手は打撃系だ、組み技に入ってしまえば勝てる。

 浩之は相手の足に自分の足を絡ませた。そして、相手が逃げようとする力を利用して、相手を倒した。

 ズダーンッ!

 受け身も取れずに、相手は倒れた。まきこむようにして倒れた浩之は、すぐに相手の上に乗った。

 勝てるっ!

 浩之は、そう確信して相手の腕をつかんだ。

 

続く

 

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