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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(28)

 

 受け身も取れずに倒れた相手を見て、浩之は確信した。

 勝てるっ!

 いかにさっきまで組み技の片鱗さえ見せてはいなかったとは言え、浩之程度の不意打ちの投げ、というほどのものでもない無理やり後ろに押し倒しただけの技にかかるということは、相手は投げに精通していない。

 手を取って関節技に持っていけば、まず間違いなくかかる。投げに精通していないということは、それは直に組み技に精通していないということだ。

 しかも、エクストリームの試合場はマットはひかれているものの、基本的には硬い。こんなところで投げを受ければ、ダメージで少しの間は動けないはずだ。ダメージが抜けない間に関節技に持っていけば、まず間違いなくかかる。

 腕を取って、浩之はまだ覚えたての腕ひしぎ十字固めに入ろうとした。まだまだ身体にしみつくほどの技ではないが、自分の持っている関節技では一番効果のある技だ。

 が、浩之は最後までその技に入れなかった。

 誰かが浩之の背中にまわり、技を阻止したのだ。

 この体勢からでは、腕ひしぎ十字固めは決まらない。あくまで、この技は自分が身体をそらすような格好にならなければ決まらないのだ。つまり、いくら相手の腕を自分の股に挟んで、相手の身体を脚で完璧に押さえても、まだ痛くもかゆくもないのだ。

 浩之は、しかしすぐにはあきらめなかった。その体勢から、今度は相手の腕を手羽先のように曲げて決めようとする。技の名前までは覚えていなかったが、一度だけ修治にかけられた技だ。

 しかし、浩之が相手の腕を決めるよりも一瞬早く、浩之の腕をつかんで技を止める。

「ブレイクだっ!」

 そのときになって、浩之は初めてその言葉が耳に入っていた。

「ブレイクだ、離れなさい!」

 さっきから浩之の技を阻止していたのは審判だった。相手の方は、さっきから反撃してくる様子さえ見えない。

「え……」

「立ち上がって、元の位置に戻って!」

 審判の叱咤のような言葉に従って、浩之は訳も分からないまま、のろのろとその指示に従って立ち上がると、状況を把握しようと頭を動かした。

 相手には、ちゃんとダメージを当てていた。あの投げをもろに受けただろうから、脳震盪はなくとも、ダメージで間違いなく1、2秒は動きが止まるはずだ。

 わずかの時間だが、猛練習をつんできた浩之にとっては、ほとんど試合を決めれる時間だ。確かに、腕ひしぎ十字固めに入るのに、少しはもたついたが、それでもまだ相手からの反撃、いや、反応さえなかった。あのまま後ろに倒れれば、間違いなくギブアップをうばうことができたはずだ。

 しかし、試合は止められ、浩之は訳も分からず立たされていた。

「あ……」

 何故かざわつくまわりの中の音から、葵の驚いたような感嘆の声だけが聞こえた。

「早くっ!」

 審判が、誰かに大きな声で何かを言っている。試合中だと言うのに、何人も浩之の戦う試合場に集まってくる。

 浩之がぼーっと立っていると、くるっと審判が振り向いて、大声で宣言した。

「それまでっ!」

 わぁっ!!

 ドッと体育館の中が沸く。

 タンカを持った審判や、この危険きわまりない試合のために呼ばれたドクターがかけよってくる。すでに何人かは対戦相手のまわりを囲んでいたが、うかつに動かすと危険だと考えているのか、静観しているだけだった。

 浩之は、まだ状況がつかめないまままわりを見渡す。

「君、もういいんだよ。次の試合があるから下がって」

 タンカで対戦相手が運ばれても動こうとしない浩之に、たまりかねたのか審判が話しかける。

「でも……」

「君の勝ちだ。次の試合がつまっているので下がって」

 ……勝ち?

 浩之は、その言葉にさえまだ実感がわかなかったが、とりあえず言われるままに試合場を後にする。

「センパイっ!」

 感極まったという感じで、いまいちさえない顔をしている浩之に、葵が抱きついてくる。

 やばっ!

 ものすごく嬉しいのだが、こんな体勢を綾香が許す訳もなく、この次に待っているのが綾香の鉄槌だと思った浩之は、身体を固くした。

 しかし、身構えた浩之の思惑とは別に、綾香を見ると、何故か綾香も嬉しそうに笑っていた。しかも、何か非常に満足している顔だ。

「浩之」

「は、はいっ」

 情けないことだが、浩之は蛇ににらまれた蛙のような声をあげた。

「私のいいつけは守らなかったようね」

「いいつけ……」

 まあ、確かに今は葵ちゃんがだきついてきてるけど、これは不可抗力というか役得というか、葵ちゃんからの行為な訳で、まさかそれを避ける訳にもいかないから、とりあえずこれは見逃して欲しいというか、やっぱり無理だろうかなとか……

「3ラウンド、フルで戦えって言ったじゃない」

「……すまん」

 しかし、浩之も謝ったは謝ったが、綾香の声が優しい、言うなれば「しょうがないなあ」と言っているような顔だったので、正直驚いていた。綾香の嫉妬深さは浩之のよく知るところである。

 パチパチパチと、坂下もいつになく優しい顔で手を叩いている。

「なかなかやるねえ、藤田。ま、いつも私らを相手してれば当然だけど」

「それは案に自分のことほめてるんじゃない?」

「綾香の自信過剰には負けるけどね」

 綾香の軽い突っ込みに、坂下は負けじと言い返す。確かに、綾香の自信過剰、いや、自信有言は、極端と言ってもいいぐらい酷い。

「センパイ、凄いです。投げ技一つで勝つなんて、エクストリームではそんなにあることじゃないですよ」

「ん……ああ、相手が受け身に失敗したのもあるけどな」

「浩之、何さえない顔してるのよ。私の言いつけを守らずに2ラウンドも早々に勝ってきちゃったけど、とりあえず、勝ったのよ」

「勝った……」

 ああ、そういや、俺、さっきまで初めての公式戦とかやってたな。それが勝った……勝った……勝った?

「……まじで?」

「まじで? ってねえ、1試合目、誰よりも早く決着がついたのよ。もうちょっと胸をはってもいいと思うわよ」

 ……そうか、俺、勝ったんだ。

 ここまで来て、浩之はやっと自分の状況を理解した。

「……っよっしゃっ!」

 浩之は、大きくガッツポーズを取った。

「目標の一回戦突破もクリアしたし、これで安心して負けれるぜ」

「……あのねえ」

「そんなことないですよ、センパイ。センパイならもしかしたら優勝ってことも」

 葵が尊敬の眼差しで浩之を見ながら言うと、浩之ものったのかわっはっはと偉そうに笑った。

「葵ちゃんもそう思うか? いや〜、俺ももしかしたらって気になってきたぜ」

「こいつ、すぐ増長するんだね」

 坂下があきれた声で言うのに、綾香は賛同するように肩をすくめる。

「ま〜ね……ときに、浩之」

 さっきまでの増長はどこへやら、浩之はそのほんの小さな声の変化に完璧に反応して、身体を硬くした。

「いつまで抱き合ってるのよ」

 その言葉の後、葵が顔を真っ赤にして離れるのと、綾香の拳が浩之を襲うのと、どちらが速かったか。ちなみに、坂下の判定は引き分けだった。

 

続く

 

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