綺麗な構えだな。
浩之は、中谷の構えている姿を見てそう思った。
ここは異種格闘技の大会、エクストリームだ。そうなると、だいたいの人間が今まで試合をしたことのないような相手と戦うことになる。
慣れない格闘技を使う相手には、かなり神経を使うのだ。そのせいなのかわからないが、皆どこか構えがおかしくなる。変に前傾姿勢になったり、無駄に防御だけを重視したりする。
今の中谷の対戦相手もそうだ。服は少し薄手の空手着だが、構えや足運びなどを見る限り、おそらく柔道や、もしかしたら少林寺拳法もやっているのかもしれない。酷く右手が前に突き出されている。確かにあの体勢の相手に打撃を当てるのは難しいが、反対に自分でも攻撃し辛いはずだ。
それとは反対に、中谷の構えはすごく素直だ。
左半身の構えから、左腕はわきを守るように、下に構えられ、しかし、完璧に身体についていないその腕は、思う以上に防御の効果が高い。そして右手は軽く握られて肘がひきつけられている。この体勢からなら、速く、そして強い右のストレートが打てるだろう。
そして何より印象的なのは、その軽いフットワークだ。どちらかと言うと、空手のそれと言うよりは、ボクシングに近いフットワークだ。組み技を使う選手がいる以上、どうしてもフットワークよりもすり足の方が有利になってしまうが、中谷はそれを気にした風もない。
「相変わらず構えはいいんだが、なかなか後に続かないんだよ、中谷は」
「でも、あれって前の合同練習のときとは構えが違うみたいだけど?」
前の合同練習のときの構えは、オーソドックスな空手の構えだ。左腕はもう少し丁度顔面をカバーするように構えられていたし、フットワークなど使っているのは見たことがない。
「打撃想定、というより、空手の試合をするとなると、構えが違ってくるのは仕方ないことですよ。特に、中谷は空手にああいった「空手以外の物」を入れるのを嫌うんです」
確かに、中谷の構えは普通の空手の構えではないが、それぐらいで誰も難癖をつけたりはしないような気がした。それは空手のこととなると、かなりうるさい坂下でも言わないことだ。
「……もしかして、寺町、あんた、中谷に強要したんじゃないでしょうね?」
「……まあ、構えを注意したのは確かです」
寺町は、いつになく確信犯だったのか、そう言って言葉を濁した。まあ、普通に考えてみれば、そんな意味のないことをするのはほぼ間違いなく寺町に決まっているのだ。
「でも、実際なかなかいい構えじゃないの?」
珍しく、綾香がほとんど知らない相手を褒めたので、浩之が目を丸くする。
「珍しいな、綾香が人を褒めるなんて」
「ちょっと、私はいつも公平に評価してるだけよ。私に褒められないってことは、それだけのものがないからに決まってるじゃない」
それは綾香と比べれば、どんな人間でも目劣りするのは当然。だが、いくら綾香とて、全ての人間に対して、自分を基準に考えている訳ではない。そんなことをしたら、綾香はまず一生褒めることなどできなくなってしまう。せいぜい、年齢が上だとか、背が高いとか、どうにもならないようなことぐらいでしか、綾香に勝てる訳がないのだから。
もちろん、間違いなく採点が辛いだろうことは確かだ。
「しかし、所詮構えは構え。前に中谷が実力を出し切れなかったのは、そういう男だからです」
「そういう男?」
「ええ、実に惜しい……」
寺町が言葉を続けるよりも先に、中谷の対戦相手が動いた。
腰をかがめ、正面から中谷に突っ込んでいく。
あまり洗練された動きではないが、それでも、幾度となく練習をしたのだろう、スピードだけはなかなかの物だ。組み技を気にしない構えであった中谷が受ければ、捕まえられて倒されていたかもしれない。
パパンッ
中谷は、軽くジャブのけん制を打ちながら、後ろに逃げた。
対戦相手はそれをガードなしで受けたが、少しひるんだだけで、ダメージはないようだ。
しかし、ダメージはなくとも、それよりも何よりも、中谷が動き出したのに追いついていない。たたらを踏んで、戸惑ったように動きを止めた。
いや、対戦相手がついていけなかったのではない。動き出した中谷が、異常に速いのだ。
それは普通では一番重要だと思われる、一瞬で相手との距離を縮める縦の動きではない。相手を幻惑するように、相手に捕まらないための、横の動きだ。
浩之から見ても、素晴らしいとしかいい様のない足運びだった。ステップを踏むように軽く、しかし、それでもまるですり足のように身体が浮いていないのだ。
対戦相手は驚いたまま攻撃しようとはしない。いや、おそらくはできないのだろう。横から見ていてもあれだけ素早いのだ。目の前であれをやられたら、捕まえるのはあまりにも難しい。
トンッと、一瞬の間に中谷が相手の目の前に立つ。
「っせい!」
しかし、対戦相手も、それにすぐに反応して拳を繰り出す。反射的とは言え、かなり堂に入った正拳突きだった。
パパパンッ
しかし、軽い打撃音と共に、対戦相手は後ろにたたらを踏む。
「……速いな」
浩之は感嘆のような声でつぶやいた。
中谷の動きは、明らかに浩之のそれを上回っていた。いや、これならば、もしかしたら少しの間なら綾香の攻撃に耐えきれるかもしれない。
相手の正拳突きをかいくぐり、相手の突き出された腕を一発ではじき、視界に捕らえてから、さらに顔面に二発。しかも、全て左で打っているのに、打撃音にほとんどタイムロスがなく3発分聞こえてきた。
レベルが低いなんてものではない。この相手に、浩之はまったく勝てる気がしない。
しかも、相手へのダメージが大したことがなかったのを知っているように、深追いをしない。パンチが当たったのなら追い討ちをかけておきたいところだろうが、相手は打たれ強いようであり、おそらく、この後攻撃されれば多少の打撃を受けてでも捕まえにいっていたろう。
こういう試合なのに、あせる様子もまったくない。坂下は実力では浩之よりも下だというニュアンスを漂わせていたが、そうとはとても思えない。
中谷の試合は、まわりの者もみんな注目して見ていた。おそらく、エクストリームでもこんな綺麗に戦える人間は多くないのだろう。それは直に、中谷の実力のほどを示していた。
対戦相手も、追撃しようにも相手の動きを追いきれないのを悟ったのか、守りに入っているようだ。たまに誘いの動きを見せるが、中谷は明らかに射程範囲外で申し訳程度にジャブを打つだけで、踏み込もうとはしない。
それでも、対戦相手が拳を繰り出すと、それを左のショートフックで軌道をそらすのだ。その、言ってみれば守りのショートフックは、かなり鮮やかな動きだった。まるで、格闘ゲームでも見ているような綺麗な動きをしている。
その長身とハンサムな顔、そして鋭く、華麗な動き。
まさに絵になる男、いや、格闘家だった。
「……何よ、すごいじゃないの」
「いえ、しかし……」
坂下が感心するのに反論しようとした寺町よりも先に、横から大きくため息が聞こえた。
「大したことないわね、本当、型だけじゃない」
綾香はそう言って型をすくめた。
続く