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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(33)

 

「唯一KOできる打撃っつっても……」

 浩之は中谷の打撃に戦慄さえ覚えていた。

 確かに、打撃に威力はない。あれだけ連打していたにも関わらず、ほとんど相手選手はダメージを受けていなかった。

 浩之の実力では、中谷を捕まえるのには一苦労するかもしれないが、それさえわかっていれば、そんなに怖い相手ではない。だいたい、相手にKOできる打撃がないとわかれば、恐怖は格段に減る。そうなれば、少し無茶をしてでも突っ込んでいくこともできるのだ。

 だが、相手選手はほとんどダメージを受けていなかったにも関わらず、一撃、いや、二撃でKOされた。

 打撃の訓練を受けた者の一撃を受ければ、確かにほとんどは一撃で終わるだろう。だが、世の中には打たれ強い者もいるし、相手が同じように打撃を習っている者ならば、そうそうクリーンヒットを許したりはしない。

 ダメージを受けると何が怖いか、それは、防御が遅れてしまうことだ。ダメージが蓄積すれば、どうしても動きが鈍くなり、相手に必殺の一撃を入れられる可能性が増える。だからダメージを与えるという打撃もなりたつ。ボディーブローのように、ダメージを当てるだけを狙う打撃もあるわけだ。

 だが、中谷は一撃で相手を仕留めた。一撃で仕留めたのが怖いのではない。ダメージをほとんど受けていない相手に、一撃を入れるのが怖いのだ。

 最初から打撃を受けるつもりで向かってくる相手を打撃でKOするのは、実は非常に難しい。実際、近年の異種格闘技戦で打撃系の勝率が悪いのは、ほとんどがここに起因する。

 一発や二発もらう覚悟で突っ込んでくる、タックルをかけてくる相手をKOする、または打撃で払いのけるのは、非常に難しいのだ。

 もちろん打撃を受ければダメージは残るが、KOさえされなければ、自分に得意な、相手に不得意な組み技に持っていける。それだけで勝ったも同然だ。

 今回の相手も、すでに打撃を受けるつもりでいたし、そういう動きをしていた。少なくともそれを恐れてはいなかった。

 中谷の打撃が弱いと思って油断していた部分もない訳ではなかったろうが、中谷を警戒していなかった訳ではないだろう。あれだけ動ける相手を、警戒しない方がおかしい。

 しかし、結果中谷はKOで相手を倒した。

 向かってくる相手の打撃を弾きながら、しかも相手のあごの先端を寸分の狂いもなく、高速の左右のフックで揺らすのだ。並の打撃精度ではない。

 そう、この中谷という男が怖いのは、その目でも、そのスピードでもない。この打撃精度だ。

 打撃精度、それは打撃の要素の中では、かなり高等ではあるが、確かに存在するものである。

 打撃の基本というのは、単純に、もっと言うといいかげんに言ってしまえば、殴られれば痛い。この一点に尽きる。

 人間のどんな場所を殴っても、そこに痛点、痛みを感じる感覚、がある限り、程度の差こそあれ痛い。それが何故かと言えば、殴られるというのは生命に関わるからだ。

 では、頭を殴られるのと、胸を殴られるの、どちらが痛いだろうか?

 普通は、頭を殴られる方が痛い。何故なら、頭の方が、殴られたときにダメージが大きい、つまり生命活動に支障がき易いからだ。それは頭が急所だからに他ならない。

 これが打撃精度だ。つまり、より急所の部分を殴る。それによってダメージも、そしてKOするだろう確率も格段に上がるのだ。

 しかし、頭と胸ほど差があるならともかく、わずか数センチでも外れれば大したダメージを与えられない箇所というのもある。相手も動いているし、防御もしてくるのに、そんなピンポイントで打撃を当てるというのは、思う以上に難しいのだ。

 だから普通の人間は、狙ってはいても、そこまで正確には打てない。しかし、それでも何とかダメージは当てれるし、急所に近ければKOできたりもするので、ある意味やみくもに打撃を打つのだ。

 もちろん、綾香まで行けば、あのラビットパンチ、綾香命名であまり評判の良くない『ウサ耳パンチ』のように、見えていない相手の裏側の急所さえ狙うことはできる。あれだけのKO率を誇っているにも関わらず、ほとんど使い手らしい使い手がいないのは、狙ってできる打撃ではないからなのだ。少なくとも、普通の打撃の応酬で使えるのは綾香ぐらいのものだ。

 ある程度の威力を超えれば、別に完璧な急所でなかろうとも人間は倒せる。だが、こと打撃戦において、打撃精度の差は大きな差を生む。

 単純に両者同じ場所を殴っているように見えても、ダメージの総力が違ってくるのだ。その差は実力が均衡してくればしてくるほど効いてきる。

 そして、もし実力差があって、さらに実力的に上の方が打撃精度が高かった場合……

「中谷、なかなかやるね」

「いえ、それほどでもないです。正直、ひやひやものでした」

 謙遜ではないのだろう、帰ってきた中谷の声はどこか疲れていた。それは2ラウンドの間あれだけの動きをしてスタミナを減らしただけが理由ではないだろう。

「こういう舞台に立つのは初めてなので、ついつい舞い上がってしまってがらにもないことをしてしまいました」

 今までどこかはしゃいでいた感じさえ受けていた中谷だが、その声が今度は落ち着いていた。坂下としてはこっちの方がいつもの中谷だが、綾香達は初めて見る姿だ。

 いや、落ち着いているというよりは、勝ったのにどこか気持ちが沈んでいるようにさえ見えた。

「……部長、やっぱり、僕はこういう試合には出ない方がよかったのでは……」

 どこか後悔するような姿は、さっき小さくながらガッツポーズをした姿とは重ならない。

「人一人殴り倒して正気に戻ったみたいだな」

「……」

 坂下は、寺町の言葉に納得した。中谷は、相手を殴り倒したことを悔いているのだ。

「まあ、倒してしまったものはしょうがないだろう。だいたい、こんな試合に出るんだ、相手もその覚悟があってのことだろう?」

「はい、ですが……」

「それに、もっと他の心配をする必要もあるんじゃないのか?」

 そう言って寺町は、浩之の方を見た?

「俺?」

 何故話をふられたのかがよく分からずに、浩之は間の抜けた声をあげる。

「そうそう、浩之にKOされないように気をつけなさいよ」

「はい、肝に銘じておきます。浩之さんですか、次の試合、よろしくお願いします」

 中谷がそう言って礼儀正しく頭を下げたのを見て、浩之は、やっと何故自分が見られたのかを理解した。

「……俺の次の相手、あんた?」

 まわりの人間が一斉にうなづくのを見て、浩之は悪夢にうなされているような気持ちになった。いや、悪夢なら覚めるだろうが、きっとこれは覚めない夢だ。

 ……もし、打撃精度の高い方が実力的に高かった場合、実力の劣る相手は、何もできないままKOされる可能性がかなり高い。

 相手にとって不足……してくれてた方がいいんだけどな。

 浩之は、格闘家らしからぬことを考えながら、頭をかかえた。

 

続く

 

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