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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(39)

 

「俺もさすがにあのころの実力では、せいぜい素手の高校生を3人ほど相手するのがやっとでした。ですが、そのときは十数人の、しかも武器を持った高校生に囲まれて、4人目までは何とか倒したんですが、それまででした」

 もともと、現代格闘技は多人数を相手にした戦い方を教えていないし、そもそも想定していない。今の格闘技の世に出る場所は試合場しかないのだから当然なのだが、多人数に襲われれば、当然不利だ。

 それを考えれば、それでも中学生で高校生を4人も倒すのが凄いと言える。綾香みたいな天才ならまだしも、普通の中学生なら、一人も倒せず負けることになるだろう。

「まあ、今まで何人も倒してきたので、リンチに遭う覚悟ぐらいはしてましたが、やっぱりやられっぱなしってのは楽しくないですね」

 そう言う寺町が楽しそうなのは、おそらく錯覚ではないだろう。

「それで、その場に現れたのが、この方でした」

「そうか、そんなこもあったかなあ」

 北条はまだ思い出さないようだった。

「何しろ、そんな場面なんてかなりの数あったからなあ」

 さらっと危険なことを言う北条は、まかり間違っても門下生の子供などには見せれないだろう。

「何だ、おじ様、ちゃんと人助けもしてたのねえ」

 綾香がこれ以上ないぐらいに意外そうな顔をしたので、北条は顔をしかめる。

「綾香君、やはり君は俺のことを誤解しているようだね。この北条、弱きを助け強きをくじく……」

「まあ、その後俺も一撃でやられちゃいましたけどね」

 はっはっはと嬉しそうに寺町が笑う。

「……ものすごく弱きもくじいているみたいだけど?」

「やはり人違いじゃないのかい?」

 北条はそれにしれっと返す。まあ、ここまで来てそんな無茶をする人間が他にいるとも思えないので、人違いは間違いなくないだろうが。

「あのとき、あなたが打ち下ろしの正拳突きで俺をリンチにしていた者をまるで紙屑のように叩き伏せるのを見て、リンチ後でボロボロだった俺ですけど、つい火がはいっちゃいましてね。お恥ずかしい話ですが、助けてもらった相手に殴りかかったんですよ」

 北条を弁解するわけではないだろうが、寺町は自分に非があると言う。

「部長、昔から後先考えない人だったんですねえ」

「中谷、お前には何度も話した話だろうが」

「まあ、聞いてはいましたけど……『鬼の拳』そっくりでも、まさか北条鬼一本人が夜の街にチンピラ狩りに出ているとは思いませんでしかたから、話半分に聞いていましたから」

 寺町は嘘をつく人間ではないが、何かの思い違いということならかなりやりそうな人物ではある。高校生十数人を叩きのめすような人間はそう多くはいないだろうが、それでも北条鬼一に会う可能性に比べれば多いだろうから、別人だと思っていたのだ。

「あれから、俺はあの打ち下ろしの正拳に魅せられました。あの打撃に近づくため、どんなきつい特訓にも耐えました。それで、それなりに使えるようにはなりましたが……まだまだあのころ見たものには届いてないと自分でも思いますよ」

 あれでまだまだ、と言われると、浩之の立つ瀬がない。浩之のどの打撃を持ってしても、あの打ち下ろしの正拳には届かないのだ。

「いや、君はよくやってるよ。その歳で、それだけ練られた打撃にたどり着く人間が、この世界にはそう多くはいないだろうからね」

 少なくとも、今だ浩之はそこにたどり着いていない。むしろ、ここにいて、その場所にたどり着いているのは綾香と葵だけかもしれない。坂下とて、総合力ではまだまだ寺町に負けることはないが、ただ一発の威力、そしてその完成度という意味では、寺町の打ち下ろしの正拳突きの域には達していない。もっとも、それでも勝つのは坂下だろうが。

「俺はこの『鬼の拳』が一番自分に合っていると思って、ここまで来たが、君にとっての得意技が、これである必要はない。俺の所でも、こんなもの誰にも教えていないよ」

 それは有名な話だ。北条鬼一は、誰にもその『鬼の拳』を教えない。

 北条鬼一の名前と同じだけの知名度を持つ『鬼の拳』だ。格闘技をやっている者なら、それにあこがれない者が出て来ないわけがない。

 しかも、それはただの冗談でなく、まさに鬼と呼ぶにふさわしい威力を持って伝説を築き上げてきたのだ。錬武館の中ならば、間違いなくそれを神聖化する者さえいる。

 だが、北条は誰にも『鬼の拳』を教えない。

 相手に自分の技が知れれば、格闘家としては不利になる。格闘技をやっている者にとってはしごく一般的な話だが、『鬼の拳』にいたってはその一般的な常識を平気で無視する。

 それはそうだ。ただ殴るだけなのだから。

 打撃も、何度も見せればそれは効力を弱めてくる。軌道とかタイミングとか、同じ人間のすることだ、研究すればするだけ癖が出てくる。

 それを教えた人間なら、それはなおさらのことだ。人に教えるには、自分のやっていることをよく理解しなくてはいけないし、教えられる方は、教える人間の技を何とかして盗まなくてはならず、一生懸命研究する。

 北条の使う『鬼の拳』は、そういうのとは違う。確かに何度も見て技を盗むこともできるだろう。北条自身が教えることもできるだろう。

 だが、北条はこう公言している。

「ただ殴るだけだ。見たまま、コツも何もない」

 それを示すかのように、北条はまったく『鬼の拳』を出し惜しみしない。どんな小さな子供にも見せてやるし、どんな弱い相手にも使う。

 ビデオにも取られているし、何人もの格闘家や研究家がそれを隅々まで研究したろう。

 だが、出てくる答えは一緒で、ついでに研究した結果、北条鬼一の『鬼の拳』を打破した者は、少なくとも未だ知られていない。

 ただ殴っているだけ。

 格闘技を知れば知るほど明らかになっていく、おそらく間違いないのだろうこと。どんなに工夫を凝らした技より、力まかせの一発。

 嘘でもあり本当でもあるそれを正しいものとするのは、その人間の技の威力でしかないのだ。

「こんな愚にもつかない殴るだけの打撃に、それほどこだわる人間は、俺一人でよさそうな気もするが、まあ、世の中には、数人は変わり者がいるってことか。君とか……」

 北条は、扉の方を指差した。浩之はまったく気付かなかったが、そこには一人の男が、張り詰めた表情で立っていた。

「うちのせがれとか、変わり者はいるというわけか」

 北条鬼一の息子、北条桃矢は、鋭い目つきで寺町をにらみつけた。

 

続く

 

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