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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(41)

 

 寺町は、ゆっくりと右の拳を上に構えた。

 二人の実力は本物であろうが、少なくとも浩之は今までこんな奇妙な構え同士の戦いを見たことがなかった。だいたい、考えただけでも理にかなってないのだ。

 どんな格闘技でも、身体に近い部分で腕を上にあげるような構えはしない。柔道はそれなりに高いこともあるが、それにしたって身体から離れてリーチを持っている。

 しかし、腕を引いた状態で拳を上に構えては、脇はあいてしまうし、ガードも遅れる。悪いことずくめの構えであるにも関わらず、おそらくこの二人はそれを好んで使う。

 いや、恐ろしいのは、それを好んで使うことではなく、おそらくこの二人が、少なくとも片方は、その構えから、浩之を遥かに上回る戦闘力を誇っているということだ。

 ……と、そんなことに感心してる場合じゃないんじゃないのか?

 浩之のいい部分なのか反省すべきことなのか、とりあえず常識的に頭が働き、この場面で選手が私闘をするのはかなりまずいのではないかという案に達しただけだ。

 しかし、北条鬼一は止める様子もないどころか、楽しそうに見物に入っているように浩之には見えた。

 この二人は、北条桃矢が予想よりもよほど弱くない限りは、優勝候補の筆頭だ。もちろん、修治の除いての話だが、それにしたって浩之が戦っても勝てるとは思えない。

 そんな二人が、こんな試合でもないような場所で私闘、まあぶっちゃけて言えばケンカをするのは、理由は色々あるがかなりまずいような気がした。

 片方、あるいは両方が怪我でもすれば、必然的に試合は面白くなくなるだろうし、浩之には地区大会優勝などという狸の皮も見えてくるところだが、そんなことを喜ぶほど浩之も落ちぶれてはいない。

 何を置いても勝たなくてはいけないが、残念ながら、今回には「強い相手に」という言葉が前につかなくては意味がないのだ。

 何より、そんなことでは綾香も納得してくれないだろう。

 まあ、ここには常識人の葵ちゃんも坂下もいるから、そんなに心配はいらないとは思うけどなあ……

 葵はともかく、坂下に関してはかなり買いかぶりなような気もしたが、それよりもすでに他人まかせにしようとしている浩之の根性も凄いだろう。

 それに関して言えば、確かに、仕方ないといえば仕方ないのだが。

 何せ止めようにも、浩之の実力ではこの二人を止めれる訳がないのだ。浩之としては止めてくれと頼まれても手を出したくない相手だ。

 さて、どっちが止めて……

 葵と坂下に救いの手を求めようとした浩之の視界の端に、浩之の知る限り、一番常識を分かっていてあえてそれを無視し続ける人間の姿が目に入った。

 そして、浩之の目に入ったときには、もちろんその危険極まりない人物は手を伸ばしていた。

 彼女が関わった以上、平穏無事に終わる、いや、終わらせるわけはないのだ。

 綾香は、寺町の空手着の後ろの襟を掴むと、寺町の膝の裏を軽く踏んだ。

 カクン

 不意な上に、これ以上ないというタイミングで踏まれた寺町の膝が別段不自然ではない方向に曲がる。不自然かもしれないのは、その後だ。

「はっ?」

 ぐしゃっ!

 寺町が間の抜けた声をあげたのと、寺町の身体が背中に入り込んだ綾香の身体を支点に綺麗な弧を描いて半回転して顔面からあまり心地よくない音を立てて床に叩きつけられたのはほぼ同時だった。

 ぐしゃっと中々グロい音を立てて床に顔面から落ちた割には、全然堪えた様子もなく、顔を押さえてすぐに立ち上がろうとしていた寺町を、綾香が上から踏みつける。

 おそらくかなりの体重差があるだろうに、綾香に上から裏水月の辺りを踏まれただけで、寺町の巨体がまるでピンで刺された昆虫のようにその場から動かなくなる。

「え、あれ?」

 寺町が、おそらくかなり自負さえしているだろうその太い腕で身体を起こそうとしても、まったく動かないのに、驚きの声をあげている。

 寺町が文句を言うことさえ思いつかないほどに素早く、完璧に隙をついた上に、華麗な技であった。

 問題があるとすれば、いきなりそんな技を仕掛け、しかも手加減も、おそらく本人はしていると主張するだろうが、できるのに顔面から落とすその性格だけだ。

 桃矢は、その拳を下に下げる、まあ、そんな暇もなかったろうが、こともなくそのままの体勢で綾香をにらんでいた。この男には睨むという目つきしかないのかもしれない。目つきの悪いと自他共に認める浩之でも、かわいそうになってくるぐらいだ。

 というのは冗談で、もちろんただ目つきが悪い訳ではない。それでは、この寺町に向けるときよりも強い、突き刺さるような殺気の理由が説明できない。

「綾香……退け」

 底冷えするような鋭い口調で言うと、桃矢は構えを解かないまま一歩進んだ。

 綾香は肩をすくめた。綾香には珍しく、少し声に軽蔑の色さえ混じっていた。

「あんたに綾香って呼び捨てにされるほど親しくなった気はないけど。まったく、こいつは浩之の獲物なんだから、横から首突っ込まないでよ」

「……あのぉ、綾香さん?」

 まるで葵ばりに丁寧な口調になって浩之は聞き返してしまった。

「何よ、浩之。浩之とはさんづけなんて遠い関係じゃないじゃない。いつも通り呼び捨てにしてもらっていいのよ?」

 どこか声が優しかったのは、何も怒りからではなく、今非常に綾香がこの状況を楽しんでいるからに他ならない。

「その言葉は、非常に俺の立場を悪くするだけだって思うのですが、気のせいでしょうか?」

 皮肉でも何でもなくついつい丁寧語になる浩之に、綾香は寺町を踏んづけた女王様状態で、にっこりと微笑みを浮かべながら返した。

「それ以外に何があるっていうのよ」

 こいつがかわいいのは認めよう、だが、こいつは悪魔だ。

 日本語的には、最初に褒めておいて後からけなした方がより程度が酷いこと表すなどと心の中で解説さえ入るほど浩之は頭をかかえた。

「あの〜、お取り込み中悪いとは思うんですが、足どけてくれませんかねえ?」

 下からの寺町の懇願らしい声も、綾香は無視、浩之は耳にさえ入っていなかった。

「やっぱりこいつ嫌だ、俺を家に帰してくれ、というか帰る!」

「あ〜ん、浩之。つれないこと言わないでよ〜。サービスするからさ〜」

「志保の真似をしても余計に不機嫌になるだけだ!」

 いつも通り大騒ぎを始めた二人を横目に、すでに戦える状態ではなくなったのを認識したのか、桃矢も大きなため息一つして、構えを下ろした。

 あきれる桃矢を見ながら、いつも通り苦笑して中谷が坂下に言った。

「……みなさん、うちの部長と同じぐらい面白い方々ですね」

 中谷がどんなに言葉を選んでも、まあ、その程度しか言えないほど、いつも通り二人はバカ騒ぎをしていた。

 

続く

 

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