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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(42)

 

 葵は一人で人の波を掻き分けて歩いていた。

 さっきのちょっとした、普通で考えればそれだけでしばらく大会の運営に支障がきそうなことがあった後だが、さすが葵というか、その程度のことはなれている。だいたい、あの程度で驚いているようでは、葵のいる世界はまともに生きていけるわけがないのだ。

 それはそうだ。一番の諸悪の根源が尊敬する人なのだから。

 まあ、それは置いておいて、葵は珍しく皆から離れて一人で人を探していた。

 ただし、探してはいるのだが、何せ人が多い。葵は背が高い方でもないし、小柄な方なので、こういう人ごみの中では人を探し辛い。何より、探している相手がどこにいるかもわからないのだ。いくらこの体育館の中にいることがわかっていても、この体育館自体、かなりの大きさがあるのだ。それを人ごみの中から人を探し出すというのは、非常に大変だ。

 もっとも、探している相手は、かなり見つけ易い人物のはずではあった。この男だらけの中で、女の子の固まっている場所を探せばいいだけなのだから。

 もう試合も始まるだろうし、試合場の方に来ていると思うんだけど……

 さっきの中谷の話にも出ていたし、詳しくは聞いていなかったので、この地区大会に出るかどうかもさだかではなかったが、今は間違いなくいるはずだ。対戦表も確認した。これで同姓同名というギャグはないだろう。

 きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていると、すぐにその集団は見つかった。ごつい男の中で、やはりその集団は目立つ。おそらく、一緒に来た女の子達はこんな試合には出ないだろうから、私服であり、道着やボディースーツのような格好ばかりのその場ではこれ以上ないぐらいに目立っている。

「みんな〜」

 葵は、気軽にその集団に声をかけた。また女が増えるのかと、まわりの、おそらくもてないであろう男達は、その女の子、もちろん男もいるのだが、に囲まれた人物をうっとうしそうに、またはうらやましそうににらむが、葵はそんなことまでは見ていない。

 それに、本人はどうかわからないが、少なくとも取り囲んでいる女の子達もそんなことは気にしていないようだ。

「あ、葵ちゃん、探したよ〜」

 葵よりももっと陽気に話しかけてきたのは、いつもは柔道着なのだが、珍しく、まあ当たり前だが、私服でおしゃれをしている美紀だ。

「あれ、まだ試合の用意してないんだ」

「うん、試合は午後からだから。準備運動も念入りにしたいから、英輔さんの試合を見たら着替えようかと思ってるけどね。英輔さん、調子はどうですか?」

「うん、まあまあだね」

 葵が挨拶をしに来たのは、その女の子5、男2に囲まれた真ん中にいる、細面の柔道着に身を包んだ男、藤木英輔にだ。

 1年でいきなり全国8位に入り、今年は優勝の期待も大きい柔道の天才だ。

 いつも通り、優等生然とした表情に、どちらかと言うと柔和な表情を保っているが、その目には秘めた闘志の感じられる、おそらくかなりの「格闘家」だ。

 もちろんまわりにいるのは、言わずもがな、葵の通う柔道道場、安部道場の面々だ。さすがに全員集合という訳にはいかないが、主要と思われる若い「強い」メンバーは全員来ている。

 もっとも、いくら強いと言われる安部道場の中でも、こんな大会に出るような無謀な人間は一人しかいないようだ。同じ歳ぐらいの残りの男二人は、私服で、どう見ても試合に出る気はないようだ。女の子の試合までにはまだ時間があるので、着替えていないだけという可能性もないでもないが、そんな奇特な女の子は、葵ぐらいしかいないだろう。

「がんばってくださいね。応援してますから」

「ありがとう、松原さんに応援してもらえれば、100人力だよ」

 少しおどけたように、でも嬉しそうに英輔は笑った。おそらく、この英輔が葵のことをいたく気にいっているのはまわりから見ればほぼ間違いないが、何せ葵はまったく気にしていないようだし、英輔も表情をいつもの柔和な顔から変えないので、真偽のほどは確かではない。

「でも、葵ちゃん、英輔さんの応援には来ないんじゃなかったっけ?」

 美紀の言った言葉は、おそらく一言多かったが、この場にいる当事者達は、一般的に見てもかなりお人好しなので、それぐらいで怒るどころか、一言多いとさえ思わなかった。

「私のセンパイとは決勝戦まで勝ち残らないと対戦できないので、それまでは心おきなく応援できますよ」

 葵はえらく嬉しそうにそう言った。

 浩之のことは、葵にとっては非常に大事だが、英輔のことも葵は尊敬しているのだ。この二人が戦うのは、葵の心情としては心苦しい。

 だが、決勝まで当たらないとなれば、少なくとも対戦するときには、どちらも地区大会を抜けれることが決まっているので、少しは気持ちが楽になるというものだ。

 実際、英輔の前で言ったように、英輔と浩之が対戦すれば、葵は浩之を応援する。応援はするが、英輔のことを別に嫌っているわけではないので、心苦しいのだ。

 しかも、二人とも、おそらく決勝まで残るだけの実力があると葵は見ている。下手をすれば、すぐに対戦するということもありえたのだ。それが、決勝まで伸びたというのは、十分良い知らせだった。

 もっとも、その葵の表情を見て、まわりの安部道場ご一行は「あ〜あ」という顔や、「何もとどめを刺さなくてもいいのに」という表情をしていたりもする。おそらく、それに気付いていないのは葵ぐらいなものだ。

 英輔は英輔で、いつもの表情をほとんど崩さないので、本当にとどめをさされたのかはよく分からないのだが、安部道場に伝わる口伝を、皆実行しているだけだ。

 口伝、「からかえる相手はからかっておけ」

 意味はまったくないが、楽しい道場ではあるのかもしれない。

「そうか……君の先輩と、戦ってみたいものだけど、決勝まで残るってのはなかなか難しいだろうしね。でも、チャンスはそうないだろうから、がんばらないと」

 決勝まで当たらないということは、すでに葵のセンパイ、浩之の試合は終わっているのだが、英輔の口調はそのセンパイが一回戦で消えたとは思っていない口調だった。

 葵がそれほどまでに言う人間を、英輔もおそらく甘くは見ていないのだろう。

 まあ、もしかしたら葵の元気そうな表情を見て、負けてはいないだろうと判断しただけかもしれないが。

「皆は見てなかったの? 私のセンパイ、最初の試合で相手を投げてKOしたのよ」

「へ〜、確か、その先輩って、空手が基本じゃなかったのか?」

「さすが葵ちゃんの先輩というか、すごいね」

 見てはいなかったようだが、安部道場の面々は素直に葵の言うセンパイを口々にほめる。

 これも柔道経験者だからの言葉だろう。柔道経験者から言わせれば、投げ技は、必殺技にはなりにくいのだ。

「それは、僕も本気でがんばらないといけないかな?」

 そう言う英輔の目には、完璧に闘志が宿っていた。葵の話は、よけいに英輔をやる気にさせたようだ。もっとも、葵はだからと言ってそれを悪いことだとは思わなかったが。英輔は、敵というわけではないのだから。

「じゃあ、そろそろ僕の一試合目だから、よかったら応援してくれるかい?」

「はい、もちろんですよ」

 葵が元気に答えると、英輔は嬉しそうに笑って、試合場に向かった。

 

続く

 

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