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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(43)

 

 英輔は、実に落ち着いた表情で試合場に向かった。そう言えば、英輔が取り乱す姿など、一度たりとも見たことがない。

 あがり症の葵としてはうらやましい限りだ。おそらく、初めての異種格闘技戦なのに、あそこまで落ち着いているのは、選手としてはある意味十分な素質とさえ言えた。実力はあっても、試合でそれを発揮できないという人間は、やはりそこまで止まりなのだ。

「へえ、あれが葵ちゃんの言ってた柔道家か」

 急に、ひょいっと葵の後ろから浩之が顔を出す。

「あ、センパイ、ついて来られたんですか?」

「ああ、綾香から逃げてな。暇だから俺を技の実験台にしようとしてきたもんでな」

 浩之はそうおどけて葵の横に立った。

「あのう、葵ちゃん、この人は?」

 美紀以下、安部道場の面々は、まったく面識もないだろう自分達といる葵に、気安く声をかけてきた目つきの悪い選手に少し戸惑った。

「あ、紹介します。私のセンパイで、英輔さんと同じナックルプリンスに出場している藤田浩之さんです」

「ども、葵ちゃんのセンパイで、弟子の藤田浩之っす」

「弟子って、そんな……」

 葵が恐縮するが、浩之は別におかしなことを言ったつもりはなかった。

「でも、格闘技を始めてかれこれ2ヶ月ちょっとになるが、だいたい綾香か葵ちゃんから教えてもらってきたんだし、弟子と言ってもおかしくないと思うけどなあ」

 実際、浩之は日ごろの態度はともかく、綾香と葵を自分の師匠だと思っている。

 小さな師匠はちょっと照れているようだ。

「あっと、こちらの人達は、私が通っている柔道の道場の人達です」

 それぞれ思い思いに挨拶をする。日ごろからフレンドリーな性格の者が多いが、礼儀は基本的に正しいので、かなりいいかげんな浩之の自己紹介よりは丁重だ。

「もしかして、藤田さんが葵ちゃんのいつも言うセンパイって人ですか?」

 美紀が、興味深々という顔で訊ねる。他の道場の面々も、かなり興味があるようだ。

「なの……かな?」

 葵と親しい人間で、葵が先輩と呼ぶ人間は、綾香も坂下もさんづけなので、多分浩之ぐらいしかいないとは思うが、とりあえず確証はないので葵に聞いてみる。

「はい、そうですよ」

 浩之は、葵が日ごろ自分のことをどう言っているのか、非常に興味のあるところだったが、安部道場の面々の興味に比べたら、そんなことは些細なことだった。

「へえ、この人が……」

「確かに2ヶ月って自分でも言ってたよなあ……」

「ていうか、この人ほんとに格闘家?」

「葵ちゃんって、案外……」

 ぼそぼそと仲間内でかなり好き放題言っているようだが、どう見てもわざとやっているようにしか見えない。

「あの、少し質問してもいいですか?」

 切り込み隊長である美紀が、仲間内の意見をまとめたようだ。実に良いチームワークである。

「別にいいんだけど……試合は?」

「まだ始まりませんから、大丈夫です」

 言われてみれば今は丁度試合が止まっているようだ。さっきの試合で出た鼻血の清掃に時間を取られているようだ。

「えーと、まずは、エクストリームに参加していますよねえ?」

「一応は。そっちの、柔道家とは決勝でないと当たらないけどな」

 何かインタビューをしているような口調に、少し戸惑いながらも答える。

「今年の4月から格闘技を始めたというのは本当ですか?」

「ん、プロレスごっこぐらいはしたことあるけど、本格的にはそれぐらいからかな」

 「おお、すげえ」とか、「嘘っぽい」とか、後ろからまったく無責任な言葉が聞こえている。何というか、いつものメンバーに囲まれている気分にさえなる。

「得意技は?」

「まだ得意技になるほどの練習も積んでないしな……って、一応敵だから、これってスパイ活動なのか?」

 得意技を教えるというのは、格闘家にとってはけっこうなマイナスだ。もっとも、試合を一試合でも見れば得意技は容易に看破できるので、今聞かれることにあまり意味はない。

 それに、得意技さえない浩之にとってみれば、聞かれるだけ無駄というものだ。

「いえ、これは単なるジャブというか前置きで、あんまり意味はないです」

 まわりの「正直に言うな」という小声の突っ込みにもめげずに、美紀はどこからともなくペンと手帳を取り出し、真剣な目つきになって訪ねた。

「それでは、今から本番に入らせていただきます。まず……葵ちゃんとの関係はどこまで?」

「え、ええっ!?」

 今まで横でニコニコしながら聞いていた葵だったが、いきなり自分の、それも突拍子もない話に入って驚きの声をあげる。

 しつこいようだが、安部道場の口伝、「からかえる相手はからかっておけ」を美紀以下安部道場の人間は忠実に守っているだけだ。何も自分達が楽しんでいる訳ではない。

「Aですか、Bですか、それとも……意表をついてD辺りまで?」

「み、美紀ちゃんっ」

 葵は真っ赤な顔で、あわてて美紀の口をふさぐ。

「ムゴムゴッ」

 美紀は、葵に口はふさがれたが、言いたいことは全部言ったという表情だ。

「せ、センパイ、ごめんなさい。皆さん面白い人なんですけど、たまに突拍子もないことを言ってくるんで」

 こういうことにまったく免疫のない葵はともかく、これぐらいのことで動じる浩之でもなく、むしろこれに乗じて葵をからかおうかと思っている浩之は、むしろ葵よりもよっぽど安部道場に向いている人間なのかもしれない。

「ほ、ほら、英輔さんの試合、始まりますよ」

 かなり苦しく葵が話をそらそうとしているが、実際にそろそろ試合が始まりそうであった。

「仕方ないですね。この続きは英輔さんの試合が終わってからにします」

「も、もう、美紀ちゃんっ!」

 葵の手から難なく逃げた美紀は、そう言ってとりあえず葵をからかうのを一時中断する。

 こっちの騒ぎに気付いているのだろう、英輔は笑顔とも苦笑ともつかない表情でこちらを見ていたが、相手が試合場に入ってきた瞬間に、そちらを向いてこっちを向かなくなった。

「さて、実力拝見といたしますか」

 浩之も、綾香から逃げてきたばかりではなく、話に聞いていた、柔道家の実力を見てみたいがために葵について来たのだ。

 準備が整ったのか、審判が手を上げる。

「レディー、ファイトッ!」

 

続く

 

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