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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(44)

 

「レディー、ファイトッ!」

 まずは、どちらも構えたまま動こうとしない。様子見と言ったところか。浩之としては、ゆっくり観察できるので助かる展開だ。

 英輔という柔道家の方は、こんな異種格闘技戦に、律儀にも柔道着を着ている。こういう試合で厚い服を着るのはかなり不利なのだが、そこまでは考えていないということか。

 構えはおそらく柔道をするときそのままだろう、両手を前に突き出して、身体は半身というよりは正面を向いている。

 対する相手の方は、ガタイもいいし、かまえも左半身で、来ている試合着も身体にフィットした、こういう試合専用の服だ。

 まず、柔道着はまずい。こういう異種格闘技では、絞め技というのは非常に大きなファクターをしめる。打撃ではまず決まらないので、仕留めるには関節技を狙う。

 しかし、関節技よりも怖いのは、絞め技だ。

 打撃は、ある程度の我慢もできるだろうが、本気の絞め技が入ったとき、人は2、3秒もあれば十分気を失う。

 首を絞めるというのは、人間の力を直に相手の急所に入れれる、まさに本当の意味で「殺す」技だ。しかし、その殺す技も、手加減次第では、人に怪我をさせることなく気絶させることができる、非常に安全で、使い勝手の良い技となる。

 柔道は、相手を「制する」技を最も得意とし、絞め技などはその中でも1、2番目に効果の高い技だ。よって、その練習量も多い。

 柔道家が異種格闘技で勝とうとするならば、間違いなく絞め技に頼るのが正しい。

 問題は、柔道の試合ではともかく、普通の異種格闘技戦では、柔道着のような襟のある服を誰も着てこない。

 柔道をする者にとって、相手が服を着ているということは、自分の手にナイフがあるよりもよほど心強いのだ。

 相手をつかみやすく、当然投げ技も出しやすく、絞め技にも使える。

 服という、一般社会では必ずと言っていいほどあるものが、柔道家にとっては一番の武器となりうるのだ。

 しかし、自分が着るとなるとまた話はややこしくなってくる。

 服を着ることによって、相手にも有利になってしまうのだ。当然というか、相手にとっても、服を着た相手の方が掴み易いに決まっている。

 しかし、英輔は柔道着という、まるで相手につかんでくれと言わんばかりの服を着て試合に出ている。これは致命的とさえ言えた。

「英輔さん、大丈夫でしょうか?」

 葵も、それに気付いたのか、さっきとは違い、少し不安そうだ。

 もっとも、葵を不安がらせたのは、その服装というより、おそらくはその構えだろう、と浩之は思っていた。

 英輔の構えは、人間の中心をつないだ線、正中線が正面を向いている。

 正中線には、人間の急所が集中している。格闘技をやっている人間が身体を斜めに構えるのは、その正中線を隠すためという理由があるのだ。

 これは、当然ながら打撃を使う格闘技になれば必ずと言っていいほどやられていることだ。反対に、組み技だけの格闘技は、これとは反対に正中線を隠すことを忘れてしまう。

 柔道、レスリングなどによく見られる状態だ。まあ、レスリングならば上体が寝ているので、少なくとも顔以外は打撃では狙い憎いのだが、柔道の場合、上体が寝ないので、余計に急所をさらけ出している格好になっている。

 確かにわずかな機微だが、試合を決めるのは十分な機微だ。それが、あの英輔には欠けているように浩之には見えた。

 しかし、そのわりには落ち着いているな……

 単に自分の置かれた状況が分からないのか、それともそれが元々の地の顔で変化できないのか、英輔の顔にあせりはない。こういう試合に出ることは、年齢も考えると、まずまったくなかったろうに、その落ち着きぶりはある意味気味が悪い。

 対戦している相手にとってみれば余計にだろう。しかも、不思議なのは、打撃で非常に急所が狙い易いことだ。誘われているのでは、という疑問が頭から抜けないのではないだろうか。

「……動くな」

 対戦相手が、意を決したのを、浩之は表情から読んだ。あまりそういうことが顔に出るのは褒められたことではないが、試合中ならば気付かない変化かもしれない。

 世に、一刀足と呼ばれる距離がある。主に武器などを扱う武術で使われる言葉で、一歩踏み込んで、武器が届く距離のことを言う。つまり、リーチの長さだ。

 少なくとも、その一刀足は、柔道というつかみ技を得意とする英輔よりも、対戦相手の方が広い。それを対戦相手は自分の有利と見たのだろう。

 一歩、二歩、ほとんど瞬間に、相手は英輔を制空権内に収めていた。中々長い一歩に、思う以上に素早い動きだ。

 あの対戦相手の方も、中々の実力者だ。

 今は横から見ているからまだしも、対戦して、あれだけの縦の動きをされたら、浩之としても倒すのには、かなり苦労するのは予想できる。

 そして、そのスピードを殺さぬまま、必殺の前蹴りが英輔の鳩尾を狙って蹴り出された。

 ズバッ!

 風を切る激しい音を出して、しかし、相手の鋭い前蹴りを英輔は横に避けていた。それどころか、相手の蹴り脚をつかんでいる。

 ……相手の蹴り脚をつかむだぁ?

 相手の右の前蹴りを左に避け、つかむというよりは、腕に乗せるという状態で、英輔は相手の脚を制していた。

「ゼッ!」

 鋭い掛け声と共に、対戦相手はその脚の浮いた状態から、前に体重をかけてその脚を持ち上げられないようにしながら、声以上に鋭い裏拳を放つ。

 ほとんど顔面と言うよりは首を狙った裏拳に、下に逃げることもできず、英輔は相手の脚を後ろに引くようにしながら逃げる。

 裏拳は避けたが、そのせいで腕に力が入らず、体重をかけられたこともあって、つかむところのない相手の脚が腕から離れる。

 その振り向きざまのフックを、さらに英輔は横から回り込むようにして避け、一瞬で距離を取る。あの中谷とは異質のものだが、その横の動きはまさに異常だった。中谷がフットワークで距離を取るのに対し、英輔の動きは、それよりもさらに上体の動きがない。つまり、重心が安定しているのだ。さすがは柔道家、と言うべきか。

「中々やるなあ」

 浩之は素直に英輔を評価した。相手の打撃をあれだけうまく捌くのだ。評価しない訳にはいかない。それに、対戦相手の動きを見る限り、相手の方も中々の選手だ。

 これは、ある意味本気で対策を練っておいた方がいいかもなあ。

 自分が決勝戦に残れるかどうかはともかく、修治が本気で戦わなかったら、この男が決勝に残るのでは、と浩之は本気で思った。それほどの動きだ。

 対峙した試合場の二人は、今度は言い合わせたように、両方同時に動いた。

 

続く

 

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