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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(45)

 

 どうしようもない話だが、英輔よりも対戦相手の方がリーチが長い。

 もちろん、蹴りがあるのだから当たり前なのだが、英輔はさっきの攻防でそれをうまく封じた。出会い頭の前蹴りを避けられて、あまつさえつかまれそうになったのだ。相手としては蹴り技は使いにくい。

 だが、それでも柔道家のリーチは短い。ストレートにパンチを突き出すのと、相手をつかむのでは、どうしてもつかむ方が距離が短くなる。

 これがつかみやすい服などを着ていれば、相手の突き出した腕を取るという行為もできるだろうが、あいにくそんな服装を相手はしていない。浩之だって柔道家相手にそんな服装をするつもりなどさらさらない。

 つまり、最低一回は、相手の、おそらく蹴りよりは間違いなく早いパンチを避けなくてはいけないのだ。しかも、最低一回であって、これ以上に増える可能性は非常に高い。

 浩之は、英輔がどうしかけるのか非常に興味があった。単純な戦法、というより、唯一の作戦がカウンターを狙うしかないのだ。先の後ではないが、どう見ても待ち構えた方がいい。

 しかし、英輔は相手と同じタイミングで動いた。

 相手も、蹴りは警戒して出せないものの、それでも自分がまだ有利だというのを知っているのだろう。臆せずに真正面から英輔に向かう。

 これがタックルなどができるのなら、また違う戦略をとってくるだろうが、英輔は、純粋な柔道の動きしかしない。おそらく、半端な練習をするよりも、自分が実力で勝る格闘技で戦おうとしているのだろうが、それだけでどうにかなるには、エクストリームはレベルが高い。

 ほら、相手もそれをわかってるから、素早いジャブを……

 バシッ!

 鋭い音がして、ガクッと対戦相手が体勢を崩す。

 蹴りっ!?

 英輔の鋭いローキックが対戦相手の太ももを蹴り付けたのだ。しかも、さっきのローキックは間違いなく訓練をつんでいる者の蹴りだ。

 まったくの無防備な状態で受けたのだろう、対戦相手はかなりダメージを受けているようだ。一発で決まるようなものではないが、それでも十分な効果のあるローキックだった。

「おいおい、あの柔道家は蹴りまで使えるのか?」

 まんまと騙された浩之は、葵にそう聞いたが、葵は首を横に振った。

「そんな話は、私は聞いてないですけど……」

 もちろん、葵は柔道の練習しかしていないのだから、英輔本人が話さなければ分からない話ではある。しかし、打撃の格闘をしているというなら、その動きで読めたはずだ。その気配は、英輔にはなかった。

 柔道にも、打撃はある。反則ではあるが、それにまぎれるように打撃というものも存在する。相手の顔に向けて襟をつかんだまま拳を当てるとか、脚払いに見せかけた蹴り、もっと厳密に言えば、相手をひきつけると同時に自分が飛び込んでの体当たり。

 もちろんそれが目的ではないが、応用できるものはいくらでもあるのだ。

 浩之もそれぐらいは知っていたが、脚払いを蹴りに応用したところで、蹴り足はあくまで低く、太もものような高い場所を狙えるとは思っていなかった。

 パンッ

 英輔は、相手が戸惑っているのをチャンスに思ったのか、少し大振りのパンチを繰り出す。おそらく打撃格闘が主なのだろう対戦相手は、戸惑いながらも難なく英輔のパンチを受けるが、しかし、それは英輔の作戦に過ぎなかったようだ。

 いつの間にか、英輔は至近距離まで相手との距離を詰めていた。

「これは……」

 もう、そこは柔道の距離だ。打撃も、あの距離では威力を無くすし、横や前、後ろに逃げようとすれば、間違いなく足技の餌食になる。それだけの応用の利く投げ技を、おそらく英輔が持っているのはほぼ間違いない。

 あせって動けば、間違いなく投げられる。それをさっして、対戦相手は動きを一瞬止めた。その判断は素晴らしかったが、英輔にとっては有利以外の何物でもなかった。

 英輔の左手が首を抱え込むようにまわされた体勢になって、相手は決心したように腰を落とした。

 ゴカッ!

「英輔さんっ!」

 安部道場の面々や、葵が悲鳴をあげる。英輔の左腕のさらに中から、重いアッパーが英輔のあごを捉えた。相手が腰を落としたのは、何も投げ技を警戒してではなかったのだ。

 動けないのなら、この場で仕留めるのみと判断したのだ。

 さらに、追い討ちの右フックが英輔のテンプルを狙う。

 いくら力が入りにくいとは言え、至近距離でのパンチを直撃だ。少なくとも効かないわけはなかったろうが、英輔は相手に身体を預けるようにして、何とかその右のフックを掻い潜る。

 そして、まるで後ろに目があるように振り向きざまに相手の右腕をつかんだ。

 体勢万全。

 こういう異種格闘技において、これほど柔道家にとって万全の体勢はなかった。それは、反対に対戦相手にとっては、最悪の形だ。

 空いている左腕が、さらにもう一度アッパーを繰り出そうとするが、それさえ英輔に脇を絞められて防がれる。腰を落とした体勢からでは、膝も使えない。まさにこれ以上ない最悪の体勢だ。

 しかし、ここから何の投げ技に持っていく?

 この体勢では、相手を投げるのは非常に難しいように見える。いくらうまいとは言え、相手が動いてこその柔道だ。相手の力を利用しない限り、投げるのは非常に難しいし、その上相手は警戒している。これでは、相手を引き倒すのがやっとだろう。

 相手も、それを察したのだろう、いらない反動をつけて投げられるよりは、相手の動いた瞬間を狙い打撃を繰り出すつもりなのか、動きを止める。

 ここまで来れば、相手を引き倒すことはできるかもしれない。柔道家にとっては寝技に入った方が有利なのは間違いないが、もう時間も少ない、このラウンドに仕留めるには、時間が短すぎる。

 かくんっ、と英輔の身体が下に落ちる。

 相手の腰よりも下に瞬間に落ちながら、身体を左回転させて、相手の腰というよりも脚を押し、そのまま横に脚を伸ばして相手のひっかける。

 腕と首の後ろをもたれている相手は、体重と、崩された重心によって、前につんのめるように落とされる。

 ドカッ!

 投げ技にしては鈍い音を立てて、相手は肩口からマットの上に叩きつけられた。

 英輔は、相手のダメージが抜けるよりも早く相手の首に腕をまわしていた。そして、自分の柔道着を握るようにして相手の首を絞める。

 その動きは、まさに電光石火だった。動いてから僅か5秒後には、絞め技、スリーパーホールドの体勢に入って、相手を締め上げていた。

 パンパンパンッ

 相手はあわててマットを叩く。二回以上マットや相手を叩けば、ギブアップの印だ。

「それまでっ!」

 審判の声に、英輔は冷静に技を解いて立ち上がった。

 素早く、そして無駄のない動きだ。あれだけの技を、簡単にこなして、しかも審判の声にまで耳を傾ける余裕さえあるのだ。これは、間違いなく強敵だった。

「……強いな」

 その声に横を向いた葵が見たのは、嫌な顔をするわりには、どこか嬉しそうな浩之の顔だった。

 

続く

 

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