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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(46)

 

 審判は英輔の勝ちを宣言したが、対戦相手はすぐには動こうとしなかった。いや、動けないのだ。肩を押さえたまま、その場にへたり込んでいる。

 にわかに試合場があわただしくなって、審判が肩を押さえている選手の様態を診ているようだ。

 タンカは運ばれてはこなかったが、そのまま他の係の者に連れられるようししてその選手は退場していく。

 英輔は、それを心配そうに見つめて、対戦相手が試合場を降りるまで、その場から動こうとはしなかった。対戦相手を心配しているのは明白ではあったが、浩之にはある意味白々しくさえ思えた。

 あれだけのことをやっておいて、心配も何もないだろうが。

 綾香がよく対戦相手を心配するのは、別に悪い意味で本気で心配などしていない。それなら、最初から綾香は手加減する。浩之を心配そうに見るときなど、その最もたる例だ。綾香は、自分で相手を傷つけるだけの技を使っているのを知っている。

 英輔の技も、ほぼ確実に相手を傷つけるであろうと思われる技だった。

 柔道の投げ技の中でも、大外刈りと同じほど、いや、怪我という面においては、もっと危険な技、体落としだ。

 技自体は、むしろ基本の技だ。相手の前で反転して腰を落とし、脚を横に伸ばしてそこに相手の脚をひっかけて倒す。むしろ背負う系統の技が主流の昨今では、この技を使う者はそう多くないが、相手の力を利用して、最小の力で相手を投げるという意味では、柔道らしい技である。

 しかし、この技は、柔道の技の中ではかなり危険な技だ。

 背負うタイプの技は、相手を上に跳ね飛ばさないとうまく投げれない。しかし、その派手な動きに反して、その方が受け身が取りやすい。

 だが、体落としは、身体の回転が少ない。一回転というよりは、頭や肩から突っ込んでいくという格好になる。しかも体勢が以上に低い。

 回転が弱く、姿勢が低い。それは、投げ技としては非常に危険なのだ。

 動きが少ない方が危険という、普通は逆のように感じることが、こと投げ技においては成り立ってしまう。

 それは何故かと言えば、肩から落ちるからだ。肩の後ろは筋肉も多く、プロレスなどでは受け身に使う場所はここになる。だが、肩から、前に落ちるのは非常に危険だ。

 柔道で一番骨を折りやすい場所は鎖骨だ。もちろん、鎖骨自体も骨の中ではかなり折れやすいものではあるのだが、丁度鎖骨がある場所、肩の前の部分は、筋肉がない。

 ここから落ちれば、どんな屈強な男でも骨が折れておかしくない。だから、柔道では頭を打たないのと同じぐらいに、肩から落ちるのを避けようとする。

 頭は、確かに急所ではあるが硬い。投げを受けてもろに落ちても、首がどうにかならない限り、少し休んでいれば治るが、肩の骨がおれてしまえば、休んだぐらいでは治らないのは当然だ。

 もっと危険なことに、比較的、柔道をやっている者にとって相手を肩から落とすのは簡単なのだ。何せ、こんな試合では綺麗に投げて一本を取る必要はないのだ。自分の体重を使い、うまく「巻き込む」ように投げれば、肩から落とすのは簡単だ。もっとも、相手が同じ柔道家ならば、それでもうまく身体を回転させて受け身を取るだろう。

 安部道場の面々が投げでKOしたと言ったとき驚いたのは、そこらに由来する。何せ、ちゃんとした受け身が取れれば、例え危険な角度で投げられても、硬い物の上で投げられても、何とか受け身を取ってダメージを最小限に収めるのだ。

 だからこそ、柔道をやっている者は案外投げ技の威力を低く見る。決まればこんな試合でも一撃で終わるのを、畳の上と、うまい受け身で今まで過ごしてきた人間には理解できないのだ。

「やった、英輔さん勝ったね」

「まあ、余裕ぽかったよなあ、さすがだよ」

 安部道場の面々は嬉しそうにはしゃいでいるが、浩之はある意味寒気を感じていた。

 相手に怪我をさせてしまうのは仕方ない。そういう試合だ。反則も使っていないし、何も責められることはない。相手を故意に怪我させたというなら、当然恥ずべき行為だ。もっとも、そんなことばかりしていれば、本物の「格闘家」にほどなくかなりの教訓になるダメージを受けて倒されるのは目に見えている。

 しかし、英輔の態度は、それが危険であることを知っていて使ったのか、それとも、反射的にそれが有利と思って使ったのか、判断しかねる。

 葵の人を見る目は確かだ。わざと危険な業を使っておいて、心配そうに相手を見るふりをするなどという人間の近くに、葵がいるわけがない。

 ……もし、とっさにあれだけの動きができたっていうなら……

 浩之にとって、かなりの強敵だ。おそらく、対戦の状態から見るに、浩之とあたることはないだろうが、戦ったとしても、かなり苦戦するだろう。

 まあ、他の相手に比べれば、「間違いなく勝てない」相手ではないので、まだ何とかなるかもしれないが……どうせ、「間違いなく勝てない」相手を倒さないと、英輔は決勝に進むことができないのだ。さして心配する必要はないだろうが。

 英輔が、安部道場の面子の賞賛に、少し照れながら帰ってくる。

「やりましたね、英輔さん」

 葵も、素直に英輔の勝ちを喜ぶ。自分のときは抱きつくほどに喜んでくれたので、別にライバル意識をするわけではないが、浩之は少しだけ優越感を感じたりもした。

「いい試合だったぜ」

 浩之も、素直に英輔を賞賛することにした。実際、投げ技からの絞め技に入るまでのスピードとか、自分の道着をうまく使った絞め技、相手の意表をつくローキックなど、実力はかなりのものなのだ。あの体落としは、おそらく反射的に出てきたもので、狙ってはいなかったのだろうと判断した。

「ああ、ええと、あなたが、浩之さんですか?」

 実に穏やかな表情だ。浩之は親友の雅史の顔を思い出した。英輔から、そのやはりどこか隠し切れない闘志に燃えた瞳を抜くと、雅史にそっくりだ。

「ああ、藤田浩之だ、よろしく」

「藤木英輔です、よろしく。お話は松原さんから聞いてます。対戦表から見たところ、試合をするには難しい場所にいますが、お互いがんばりましょう」

 そう言って握手を求める。実に好青年だ。浩之とは比べ物にならない。

 浩之は、別に何かおかしなことをすることもなく、握手をした。

「お、修羅場か!?」

「正々堂々とは、またうちの英輔さんもかっこいいなあ」

 また何か安部道場の面々が横の方で言っているようだが、浩之は聞き流すことにしておいた。ここの面子がこういう人間ばかりなのはさっき学習したばかりだ。

「じゃあ、私達行きますから、また後で」

「じゃ〜ね、葵ちゃん」

「彼氏と仲良くしろよ〜」

「だ、だから彼氏とかじゃないですよ」

 最後の最後まで、葵はからかわれっぱなしだった。

 

続く

 

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