アーミーパンツにTシャツ一枚のラフな格好で、修治はいつも通りの表情で立っていた。
もちろん、これからすぐに試合のあるという緊張感もなければ、試合に臨むような格好でもない。わざわざこんな一般的には恥ずかしい格好をしている浩之とは大違いだ。
「てか、修治。そんな格好で試合に出るのか?」
動き難い格好ではないものの、あまり試合用の服とは言えない格好だ。実際、浩之にこんな格好を勧めるぐらいなのだから、修治も当然試合着を持っているはずだ。
「いや、どうせすぐ帰るんだから、着替えるだけ面倒でな」
「帰るってなあ……」
浩之は、修治がすぐに帰ると聞いたので、もしかして試合放棄をするのかと思っていた。まさか一回戦目の相手が修治より強い訳はなく、それが例え桃矢でもだ、負けて帰るってのは不可能に思えた。実際、修治が負けるとは思えない。
「試合放棄するんなら、さっさと帰ればいいだろうが」
「いや、まあ、記念に一回ぐらい試合に出とこうかなとか思ってな」
記念に試合に出られて、負ける身になってみればたまったものではない話だ。相手が誰だろうと、修治が勝つだろうし、エクストリームでは、例え勝った方が棄権しようとも、負けた者が試合に出られることはない。敗者にはエクストリームは厳しいのだ。
「そりゃ、修治が優勝候補をつぶしてくれれば、俺にも勝つ目はあるけどなあ……」
色々な人間の実力を見て、少なくとも、綾香のような無茶な人間は今までいなかった。どうにか間違えば、浩之だって地区大会優勝の目さえかすかながら見えてきたのだ。
桃矢が強いとなれば、それを修治が倒せば単純に浩之の役に立つ。さらに、その後で修治は帰ろうと言うのだ。願ってもない話だ。
しかし、浩之にとっては、有利な話ではあるが、情けないことには変わりない。自分で倒せない相手が他の選手と当たって負けて、自分が有利になるというのは、いかにも情けない話だ。
「じゃあ、何か。俺が全試合出たらどうなる?」
「それは……」
考えるだけでも恐ろしい話だ。
修治は強い。今さら言うまでもないが、あまりにも強い。そして、綾香の実力がエクストリームチャンプのレベルであり、男とやってさえおそらく勝ってしまうだろうその怪物と、修治は互角以上に戦うのだ。
そんな怪物がエクストリームに参加すれば、正直、試合が壊れる。何せ、優勝はほぼ決まったも同然だ。
エクストリームチャンプとは言え、綾香は女、しかも高校生であり、それよりも強い人間などいくらでもいそうなものだ、と考えられないでもないが、浩之はそんなまやかし事に耳を貸すつもりはまったくなかった。
本当の怪物は、男だろうが女だろうが、体格が大きかろうが小さかろうが、そんなことを完璧に無視してくれるのだ。今までずっと浩之はそれを見てきた。
そしてここにいる綾香と修治は、本当の、本当の意味での怪物なのだ。
「まあ、浩之の実力じゃあ無理かもしれんが、一応は浩之の優勝できる要素ぐらい残してやらないとな。それに、言ったろう、遊びに来たって?」
「まったく、こんな場所で遊ばないで欲しいわね」
綾香は軽く肩をすくめた。自分はこの場、エクストリームの場を格好の遊び場にしているくせに、自分のことは棚に上げているようだが、いかにもな言い様だ。
「そう言うな。今俺とまともに戦える人間なんて少ないんだ。暇になったんだから、これぐらいの遊び許してくれよ」
「ま、相手が浩之じゃなくて、あのいけすかない桃矢だから特別に許してあげるわ」
浩之は別に桃矢のことを悪い人間だとは思わなかったのだが、どうも綾香には受けが悪いようだ。戦い方が面白くないとは聞いたが、少しかわいそうになってくる。
何せ、綾香に嫌われるだけならまだしも、桃矢は、一回だけの修治の遊びに付き合わなくてはいけないのだから。
不意に、浩之は自分達に近づいてくる殺気に気付いた。最近は皆気配を消して近づいてくるので、珍しいことだ。
まあ、ここまで自分のことを悪く言われているのだ。むしろ、平然と近づいてこられた方が何か嫌な感じがする。
「あまく見られたもんだな、俺も」
まるでプロレスラーのような上半身裸の格好で、すでに体には玉粒の汗が浮かんでいる。入念に準備運動をやった証拠だ。
さっきの寺町のときにもまして、殺気をはらんだ桃矢が、修治と向き合うように立った。修治も大きいのだが、桃矢の体格はさらにその上を行く。それも脂肪ではなく、鍛え抜かれた筋肉だ。普通の目から見れば、その格好も相まって、桃矢の方が格闘家としては優れているように見えたろう。
「俺の相手が、遊びか」
今にも殴りかかりそうな表情で、桃矢は修治を睨む。
「そうだな……」
修治は、鋭いその眼光に付き合う気はないのか、軽く流しながら笑った。
浩之には、この後の修治の反応が手に取るように分かった。というか、修治の性格上、こういうときにこれ以外の反応をするとは思えない。
「遊びにもならんだろうな」
「っ……」
あ〜あ、やっぱり言っちまったよ。
浩之は桃矢の膨れ上がる殺気をうっとおしくながめながら思った。
当然、桃矢などには全然興味がないという綾香も、ケンカごしになる桃矢の雰囲気に興味深々だ。もっとも、綾香の興味はいかにして桃矢が負けるのか見ることと、単純にケンカが好きだというどうしようもない類のものでしかないのだろうが。
「正直、遊ぶんならあの寺町とかいうヤツとやりたかったな。あっちの方が面白そうだ」
おそらく、修治のことだから、どこからか寺町達とのやり取りを見ていたのだろう。盗み聞きはあまり褒められたことではないが、挑発するにはもってこいだ。もちろん、挑発も褒められたものではないので、フォローのしようもないのだが。
ズバンッ!
不意打ちで、しかも第一発目としてはあまりにも鋭く重い音に、まわりにいた者の視線が全員修治と桃矢に集まる。
「何だ、なかなかいい拳振るうじゃねえか。試合も、この調子でやって欲しいもんだな」
不意打ちであったが、修治はもちろん予測していたし、所詮その程度の不意打ちでどうにかなるものではなかった。浩之にはほとんど見えなかったストレートの右を、修治は難なく手の平で受け止めていた。
とりあえず、俺とは次元の違うところで戦ってるのはわかるが……
「ま、ちと気が早いぜ。まだ試合は始まってないんだからな」
「……そうだな、続きは試合でつけてやる」
桃矢は、スッと腕を引くと、背を向け試合場に向かった。
「んじゃ、そろそろ俺も行ってくるか」
修治は、それを追うように試合場に向かう。その二人の姿はまったく対照的に浩之の目には写った。
続く