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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(49)

 

 いつも騒がしい試合会場だが、その中でも今は一番うるさかった。ガヤガヤ騒いでいるわけでもないのに、ひそひそ声が重なって、かなり大きな音になっている。

 今地区大会一番の注目株の試合だ。落ち着かないのは当たり前だろう。

 北条桃矢。錬武館館長、『鬼の拳』の異名を持つ北条鬼一の息子であり、今地区大会、ぶっちぎりの優勝候補だ。その強さは、他のプロと呼ばれる選手が全員この地区大会を避けたことからも容易に想像できる。

 まあ、ある意味この地区大会のレベルを下げている要因とも言えなくもない。浩之にしては、非常に嬉しい話だ。

 しかも、その桃矢とは、どんなことがあっても決勝でしか当たらない上、それ以上に桃矢が決勝に残る可能性もゼロに等しい。

 武原流、武原修治。浩之の兄弟子であり、浩之の今まで知り合った人減の中で唯一、綾香を追い詰めた怪物。

 伝説の『鬼の拳』、北条鬼一の息子だろうが何だろうが、相手になるようなやわな怪物ではない。まさに、頭に角が生えていないのが不思議なぐらいの怪物だ。

 その修治も、かなりガタイはいい方なのだが、桃矢はさらにその上をいく。近くに寄れば、浩之でも見上げないといけないほどだ。しかも、その身体はただ大きいだけでなく、無駄なく鍛え上げられている。まさに日本人の体型を超越している。

 試合を見ているほとんどの人の視線は桃矢に向いているが、審判の中には驚いた顔で修治を見ている者もいる。桃矢の父親、北条鬼一は、どこか満足げな表情で遠くからその試合場を観察しているのを浩之は見つけた。

 修治の正体を知っているだろうに、自分の息子が心配じゃないのか?

 もちろん、修治も手加減ぐらいは知っているだろうが、桃矢もそれなりの実力だろう。ザコには簡単に手加減できても、相手が強くなればなるほど、手加減はできなくなるはずだ。

 ……ま、問題があるとすれば、むしろ故意に手加減をしない可能性の方が高いってことぐらいか。

 完璧に平和主義者とはひたすら真反対の方向に走る修治のことだ。良くて四肢の一本、悪ければ相手が再起不能になってもおかしくない。浩之は弟弟子だから、手加減されているわけではないが、壊れない程度には気をつかってくれているようだ。

 もっとも、本当に壊れないだけを気をつけるのが問題だが……

 言うことやること、どう見ても浩之には嫌がらせにしか思えないのだが、いかんせん、浩之もかなり打たれ強いので、反対に修治と雄三のやることがエスカレートしている感もある。

 ……まあ、事故で死ぬのが俺じゃないことだけを祈ろう。

 浩之は、目の前で行われる試合の相手にまで神経を使ってやるほど余裕のある場所にはいないのだから。

「遅くなりました、センパイ」

「ただいま、何とか試合には間に合ったようね」

 トイレプラス飲み物を買いに行っていた、葵と坂下も戻ってきた。二人とも桃矢と、そして話に聞いている修治の実力を見たかったのだろう、かなりあせって帰ってきたようだ。

「ん、そろそろみたいだぜ」

 審判が中央に立つと、まわりの人間が静かになる。やはり注目の試合は違う。他の試合を見ていた選手達も、ほとんどがその試合の方に目をやっている。

 身体を休めないように動かしていた桃矢の動きが止まり、ゆっくりと深呼吸を始めた。反対に、修治は今更ゆっくりと柔軟をしている。

 審判が目配せをして、二人を試合場に立たせる。

「レディー……」

 桃矢は、腰を落として前傾姿勢になる。その構えから見るに、いきなりタックルを狙うようだ。いや、わざわざ試合前から構えるところを見ると、もしかしたら単なるフェイントなのかもしれない。

 反対に、修治はいつも通り、右半身の状態から、右手をすっと前に構えただけだ。いかにも適当な構えにも見えるが、今まで浩之はこの修治の構えを崩したことがない。

 まだ試合は始まってはいないが、二人の戦いはすでに始まっているのだ。試合の合図は、ただ二人に、攻撃することを許すに過ぎない。

 審判が、大きく手を振り上げた。

「ファイトッ!」

 試合が始まった瞬間、桃矢はその場から飛び出していた。速い速いと思っていた中谷の横の動きよりも、さらに速いスピードで修治との距離を消した。

 本当に、瞬間後には、修治の身体は打撃圏内に入っていた。

 ブオッ!

 左足の、本当につま先の一点を軸にして、桃矢の身体がまるでコマのように回転して、右の中段回し蹴りをはなった後だった。

 というのも、浩之が気付いたときには、それはすでに修治によって避けられた後だった。風を切るというよりは、自身が竜巻のような音をたてて空振りした蹴りを、桃矢はそのまま地面にたたきつけた。

 シュバッ!

 その叩きつけられた右足を軸に、今度は左脚が後ろ回し蹴りのような体勢で、風を切り、そして空を切った。

 膝から下だけを残し、修治は身体を後ろに倒して避けたのだ。無茶な体勢で、その体勢からはどう見ても後は倒れるだけのようにさえ見えるが、修治にはその心配はなかった。

 バシンッ

 軽い打撃音と共に、修治の身体が重力を無視したかのように起き上がる。

 修治ならでは、というか、修治でなければできない怪しい技だ。完璧に後ろの相手にさえパンチを撃てるほどのやわらかい肩を使って、身体の向きはそのまま、背中ごしに片手でマットを突いて、その反動で身体を起こしたのだ。

 おそらく、見たことがない人間が見れば、何が起こったのかさえわからないような動きだ。

「味なマネするじゃない」

 どこか綾香が楽しそうに言った。さすがに綾香ほどになれば、修治が人外の動きをしても対して驚くに値しないのだろう。

 しかし、修治のやつ、余裕ありやがるな。

 あの避け方自体は、いかに避けれそうにない技さえ避けてしまう、かなり高等技術というか、かなり魔術だが、後にわざわざあんなゆっくり立ち上がる必要はない。

 あの体勢からでも、修治なら必殺の蹴りが繰り出せる。実際、道場ではよく練習している。あの人間外の動きを。

 それとも、あの桃矢の動きがそれほど良かったのか?

 二撃目も避けられて、不利と感じたのだろう、修治に追撃することなく、すでに桃矢は距離を取っている。

 実際、最初の構えもフェイントだし、わかっちゃいても俺でもひっかかりそうだが……

 二人は、浩之の判断はともかく、まだお互い無傷で向かい合った。

 

続く

 

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