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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(50)

 

 オオオオオォォォ

 いつにない大きな歓声とも感嘆とも取れる声が響いた。

「何だよ、あれ。トリックでも使ってるんじゃねえか?」

「すげえ、人間じゃねえ」

「勘弁してくれよ、あんなのと戦わなくちゃいけないのかよ」

 観客と選手達は、浩之に聞こえるだけでも、口々に好き勝手に言っているが、仕方のないことだ。浩之もそれを責める気になるどころか、一緒にまざって何か気の聞いた一言でも言ってやりたいぐらいだ。

 修治はもちろん普通どころか、どこの達人も真っ青の動きをしたが、桃矢もどうして中々、動きがいい。いや、良すぎる。それは一般的な格闘家のレベルではない。

 前傾姿勢からタックルを狙うと見せかけて、まったく違った右の中段回し蹴り、これは間違いなくリーチが一番広いから使ったに他ならないだろう。そこから、蹴り脚を床に落とす。これが難しいのだ。確実にKOを狙うつもりで威力を込めていた中段回し蹴りを、途中で落とすなど、無理もいいところだ。落とした蹴り脚を軸足にして、それはつまり、蹴りと踏み込みを同時に行ったということだ、さらに威力を上げた後ろ回し蹴り。

 一回目の中段回し蹴りを避けたところで、普通の選手なら逃げ足を全て使い切っているだろう。普通ならそれでもいい。中段回し蹴りを放った後なら、相手にも隙があるだろうから。

 だが、桃矢は、その逃げ足の残っていない相手に、あの大技から、さらに大技につなげる無理にもほどがある二段構えを狙い、実行してきたのだ。

 実際、修治も反撃を狙ってのことだろう、逃げ足を残していなかった。修治が本気で逃げれば逃げれただろうが、大技をタダで見逃すような男ではない。

 あの技を逃げるには、あの状況では危険を承知でもう一歩踏み込むしかない。失敗すればカウンターで受けてしまうかもしれないが、ガードしたところで、体勢十分、恐ろしいことにあれで体勢十分なのだ、の後ろ回し蹴りのダメージを殺せるわけがない。

 しかし、修治は平気で、膝から上だけを後ろに倒した。確かにもう一つの逃げ方ではあるが、あの後間隔を置かずに立ち上がるのは、修治ならではだ。

 修治が人外の動きをするのは別におかしくない。浩之も何度も見てきた。しかし、桃矢もまさに「マンガのような」連続技をかけてきたのだ。

 場内がどよめくのも仕方ない。もしかしたら、本戦の決勝戦だってこんな試合は見れないかもしれないのだ。平気で常識を無視する二人の選手に、まさに場内は釘付けだった。

 桃矢は、修治の様子を伺うでもなく、また構えを変える。

 あれは……

 空手にしては、異常に高い構え。

 両の拳を、まるで天を仰ぐ鬼の角のように、高く構えた、格闘技にはいびつな、ただ綺麗というならば、まさに綺麗な、矛盾した構え。

 鬼の、拳。

 北条桃矢の父親、錬武館館長、北条鬼一の異名となった、格闘技という「理」から、大きく外れた伝説の拳。

 オオオオオォォォォォッ!

 その構えを取ったことで、さらに館内が沸く。

 おそらく、ここで試合を見ている者のほとんどが知っているのだろう。北条桃矢と、父親である北条鬼一を。

 さっきは、何のかんのあって「鬼の拳」同士のケンカは見れなかったが、北条鬼一が言ったように、桃矢が鬼の拳にこだわるのならば、試合でもそれは見れるということだ。一格闘家として、浩之も、その鬼の拳には並々ならぬ興味がった。まさか、修治を倒したりはできないであろうが、また格闘技の真髄を一つ見れるかもしれない、と。

「鬼の拳……ねえ」

 しかし、湧き上がる場内、目を輝かせる葵や坂下、真剣な顔で試合を観察する浩之に比べて、綾香は相変わらずあまり興味がなさそうだった。

「どうしたんだ、綾香? やっぱり、鬼の拳なんて大したことないのか?」

 綾香は桃矢と戦ったことがあるそうだから、そのときに鬼の拳の威力は見ているのだろう。綾香と桃矢、今の段階では、どう見ても綾香に軍配が上がるが、その綾香は理にかなった技をいくらでも駆使してくるのだ。鬼の拳などという理にかなわない技ではあまりにもハンデが有り過ぎるのだろうか。

「北条のおじ様の鬼の拳は、私も何度も見せてもらったことがあるわよ。あれは、理とかそういうのをだいたい無視してくるから、私でも油断できないけど……それの物まねじゃあ、私にはあんまり怖くないわね」

「……」

「何よ?」

 非常に何か言いたげな浩之の顔を見て、綾香はじと目で訊ねる。

「いや、綾香と比べること自体が、何か無茶というか無理難題というかだいたい根本から間違ってるとか思ったり思わなかったり……」

 綾香は心外な、という表情をして、ただ一つだけ間違いないことを考えついた。

「でも、相手にしてるの、アレよ」

 綾香が指差した先には、格闘技界では伝説の、『鬼の拳』北条鬼一の息子に、その鬼の拳を向けられているわりには、どこか、というよりかなり楽しそうな浩之の兄弟子がいた。

「アレと戦うんなら、私以外の誰を基準にするのよ」

「えーと……とりあえず、師匠ぐらいを」

 それもかなり無茶苦茶な話だが、戦っている相手が、間違いなく無茶苦茶なので、仕方のない話だ。

「ま、私は今まで北条桃矢の鬼の拳なんて見たことないわよ」

「……へ?」

「だから、鬼の拳なんてやったこと見たことないわよ。あの男の基本的なファイトスタイルは、スタンダードな万能型の選手の取る戦略と言ってもいいわ。打撃が有利なら打撃を、組み技が有利なら組技を、うまく掛け合わせてくる、そういう選手よ」

「でも、あれ? てことは……」

 無防備、というよりも、伝説のわりにはどこか冷静に見ると滑稽な構えのまま、桃矢は一歩修治との距離を狭める。修治は、その場から動かない。

 まだどちらの射程範囲でもないのか、どちらも動きを見せない。

 息を呑む場内、ゆっくりと距離を縮める桃矢に、まったく変わらずにいつもの構えのままの修治。

「……じゃあ、あの構えって何なんだ?」

 浩之は、その疑問に対する答えをすぐに導き出したが、それはあまりにも大胆で、いや、むしろそれ以外の方法がないほどに間違いなく有効な手だった。

 もしかしたら、少しなりとも、修治にさえ効くかもしれない技だ。北条鬼一という、伝説が大きければ大きいほど。

 次の瞬間、桃矢の身体が動いた。

 

続く

 

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