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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(51)

 

 桃矢の拳が、修治の顔面に向かって一直線に放たれた。

 その拳自体の動きは、浩之にも認識できた。おそらく、修治ならば問題にならないスピードだ。この程度、あの怪物にしてみれば止まっているようなものだろう。

 実際、修治はその拳を易々と受けた。

 だが、拳の動きは見えたが、浩之には桃矢の身体の動きは見えなかった。拳よりも速く、桃矢の身体は修治に飛び込んでいた。

 やっぱりかっ!

 それだけでも、浩之の予想が当たった証明にはなったが、どうせそのときにはすでに、桃矢の作戦は成功してた。

 完璧に修治の巨体の腰を捕らえた、修治よりもさらに身体の大きな桃矢のタックルに、修治は後ろに倒れる。

 ズダンッ

 音をたてて修治の身体がマットの上に倒れた。

 修治が、テイクダウンッ!?

 それは、信じられない光景だった。あの修治が、タックルで倒されたのだ。人間外の強さを誇り、あの綾香さえ追い詰めた修治が、まさかこんな地区大会で、自分の使う技以外で、背中をマットにつけるとは、思っていないどころか、想像の範疇になかった。

「まさかっ!?」

 それは、桃矢の動きに関して言えば浩之の予想通りの展開ではあったが、浩之は結果をまったく予想していなかったので、予想していたにも関わらず、そう声をあげた。

 桃矢のタックルは確かに一流と言っていい動きをしていた。浩之は、桃矢のタックルを横から見ていたにも関わらず、見えなかったのだ。

 あの鬼の拳は、何のことはない、単なるフェイントだったのだ。

 伝説にまでなる北条鬼一の『鬼の拳』。それの凄さは、伝説ではなく、見たことのある修治になら、かなり現実味を帯びている脅威であろう。

 修治自身は、「今戦えば勝てる」とは言っていたが、それが少なくとも楽勝だとは言わなかった。それほどの強さが、鬼一にはあるということだ。

 そこに、その鬼一の息子が『鬼の拳』の構えを取るのだ。いくら修治とは言え、警戒はするだろう。そして、その大きすぎる伝説の技を、桃矢は惜しげもなく、単なる張子として使ったのだ。

 拳に相手を集中させておいて、自分は超高速のタックル。それはかわせるレベルの技ではなかった。それが証拠に、あの修治さえそれを避けることができなかったのだ。

 いかに修治とは言え、グラウンド(寝技)で下になってしまうと、不利なのは間違いない。それが、修治をタックルで倒してしまうような猛者ならなおさらだ。

 もしかして……修治が負ける!?

 ありえない話……ではない、とは浩之は思わなかった。否、思えなかった。修治が負けることなど、相手が綾香以外にはありえない。

 しかし、現に下になっているのは、どう見ても修治だ。

 桃矢は、当然修治を倒しただけでは満足していない。倒したと言っても、転がせただけだ。自分が上にいるとは言っても、油断のできる相手ではないことぐらいは知っているだろう。すぐに修治の上に乗ろうとした。

 桃矢が狙っているのは、言わずもがな、マウントポジションだ。この体勢に入ってしまえば、エクストリームが倒れた相手への打撃を禁止していようが、ほぼ完全に勝敗は決まる。

 関節にしろ、絞め技にしろ、マウントポジションに入った方が断然有利なのだ。むしろ、のっかられているだけでも、相手は消耗していく。

 マウントポジションに入られると、どうしようもないのだ。脱出方法は、目つきや鼓膜破りなどの完全なる反則技か、またはこのようなラウンド制の試合ならば、1ラウンドが終わるまで持ちこたえるという方法がある。

 しかし、1ラウンドが終わるまで、まだ2分近く時間は残っている。桃矢ほどの使い手にとってみれば、マウントポジションを取った相手を仕留めるにはわけない時間だ。

 まあ、いくら何でも修治がマウントポジションなんて取られるわけないか。

 マウントポジションは、確かに決定的な形ではあるが、入るまでには防御方法はいくらでもある。相手の胴体に脚をまわすというのはその最もよく見られる体勢だが、これだともしうまい方が下になると、下の選手の技が決まってしまうことさえある。もう、有利というには言えない話になる。

 『鬼の拳』という最大のフェイントには引っかかってしまったかもしれないが、修治は怪物で、しかも、綾香との戦いを見る限り、得意技は打撃よりもむしろ組み技の方だ。雄三と修治がグラウンドの練習をしているところも何度も見たが、当然驚くべき動きをする。

 その修治が、まさかグラウンドでほぼ負けが決まるマウントポジションなどに取られるわけが……

 そう思った瞬間に、すでに桃矢はマウントポジションに入っていた。

 ワッと歓声が、後からついてくるようにあがる。あまりの桃矢の技のスピードに、他の選手や観客の目がついていかなかったのだ。実際、浩之にも追いきれなかった。

「……っておいおい、まじかよ……」

 桃矢は、完璧に修治をマウントポジションに切って取っていた。

「えっと、これ、決まっちゃいますよねえ?」

「……ああ、多分ね」

 修治の実力を、綾香を追い詰めたという話から信じ切っていた葵と坂下は、信じられないことが起きたように、二人とも呆けていた。

 この二人にとって、綾香の実力は絶対だ。今まで追い詰めることさえできなかった、まさにこの世に現れた最強と言う名の不条理だ。その綾香を追い詰め、互角以上の戦いをする人間が、まさかマウントポジションを取られるとは、夢にも思っていなかった。

 もちろん、浩之にだって信じられない光景だ。まさか、修治が負ける日が、こんなに早く、しかも相手が綾香でなく起こるとは、想像だにしなかった。

 時間はまだ1分半ある。この試合、決まる。

 マウントポジションの状態から、それを返すというのは、絶対できないわけではないのだが、まず無理だ。実力があまりにも離れていればまだしも、実力が均衡しているなら、返せることはほとんどない。だいたい、実力が離れているなら、最初からマウントポジションなどには取られたりしない。

 それでも、少しの時間でも惜しいのか、桃矢はマウントポジションに完璧に入ったのを確認すると、すぐに修治の首に腕をまわそうとした。これからは、どう見ても桃矢の独断場だ。上からなら首をつぶすようにスリーパーホールドがかけれる。そうなれば、勝敗はおのずと決まってくる。

 修治は、その伸ばしてきた桃矢の右腕の手首をつかんだ。倒れているので、浩之のところからは表情は見えないが、その動きはいつもの修治の動きだ。

 桃矢は、さらに空いた左腕を伸ばすが、修治は器用に左腕も手首を取った。

 確かに、この体勢ならば、いかに桃矢が組み技がうまかろうとも、そうそう技をかけれない。だが、握られた手首を外すなど、桃矢にとってみれば朝飯前の話だ。

 時間はかせげるだろうが、このままでは、修治は負ける。

 浩之は、信じられないものを今見ている気分だった。

 

続く

 

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