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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(52)

 

 為す術もなく修治がマットの上に倒され、マウントポジションを取られている。そんなことは普通に考えて浩之の中ではありえなかった。

 綾香とて『三眼』を使えなければ負けていたかもしれないほどの怪物を、何の苦もなくタックルに捕らえるなど、それこそ人間のできる業ではない。

 まわりの選手や観客は、おそらくやはりという表情で見ているだろうが、むしろ、こちらの方が間違っているのだ。

「何やってんだ、修治っ!」

 浩之は思わず叫んでいた。それは修治が負けるとかどうこうよりも、修治が負けるということが、直に綾香でも普通の状況ならば負けると言われることになるのだ。それは、浩之にとって許せないことだ。

 今は何とか桃矢の手首を持って防いでいるが、それも長くは続かないだろう。

 本当に、このまま修治が負けるのか?

 はたと浩之は気付いた。もし、修治が負けたら、綾香はどう思うだろう。自分も普通の状態では負けそうになった相手が、苦もなく倒されるところを、綾香は平然と見ているであろうか?

 そんなことは、決してない。綾香なら、もし、このまま桃矢が勝つようなことがあれば、その足で桃矢に戦いをふっかけかねない。綾香は打算的なところまで頭が回るくせに、やるときは絶対に非常識に動いてくるのだ。

 そうなれば、綾香はエクストリームの出場権を失うかもしれない。いや、それだけならまだいい。もしかすると、そのまま桃矢に負ける可能性だって……

 浩之が、恐る恐る横を見ると、意外にも綾香は飽きたとでも言わんばかりに暇そうにあくびをしていた。

「お、おい、綾香。修治が負けそうなのに、そんなに余裕でいいのか?」

 綾香のことだから、それが演技でないとは言い切れないが、少なくとも浩之が見た限り、目の奥が楽しそうに笑っているということもなく、本気で暇をもてあましているようにさえ見える。

「別に〜」

「別に〜、てなあ……」

 そのやる気なさげな声に、浩之は肩を落とした。

「おまえなあ、修治が負けたらどうするんだ」

「そんなこと言われても、別に私は修治の味方じゃないから、修治が負けようと全然かまわないんだけど、それよりも先に、だいたい修治が桃矢ぐらいに負けるわけないじゃない」

 綾香の言葉が聞こえたのだろう、周りの選手が何を言っているんだという表情で綾香を見て、そしてその半数は驚いた顔をしている。綾香のことを知っていたのだろう。

「いや、俺だって修治が負けるとは思っちゃいないが、今現に修治のヤツ、マウントポジション取られてるじゃねえか」

 いかに修治が強いとは言え、その体勢から相手を返すのは至難の技だ。それが、修治をタックルで倒したほどの相手となればなおさら。

「ま、確かに余裕出し過ぎね。私でもここまではサービスしないわよ」

 綾香は、まるで修治がわざとマウントポジションを取られたかのような物言いをする。

「確かに、修治ならそんな無茶なことでもやりそうだが……」

 しかし、それでも無茶だ。いくら何でも、マウントポジションを取られてから返すなど……

 しかし、浩之はそこで気付いた。さっきから、桃矢は修治に対する攻めを止めている。いかに修治がうまく逃げていても、これは時間がかかり過ぎだ。

 いや、桃矢は、修治を攻めていないのではない、攻めれないのだ。

 修治に手首を取られたまま、桃矢は何とかそれを外そうとしているが、まったく修治の手は外れず、桃矢は不恰好に上半身をバタバタさせている。

 相手に腕を持たれたのを外すのは、意外に簡単だ。ただ、自分の身体に向かって肘を曲げればいい。丁度腕を折りたたむようにすれば、どんなに力を入れて持たれていても、すぐに外れる。

 簡単に説明すれば、てこの原理だ。普通に腕を持てば、つかんだ方の手は親指が上を向く。持たれた方は、腕を縦にするように曲げれば、相手の親指が外れるのだ。いかに握力が強くとも、親指なしでは物を握れない。

 格闘技、特に護身術や合気道では、初歩の初歩に習うやり方だ。簡単だし、効果は抜群、知っているだけで使える、技というほどのものでもないが、技術だ。

 浩之もそれぐらいは知っていたので、桃矢なら簡単に外すだろうと予想していた。しかし、修治の手はまるで鎖のように桃矢の手首に絡まっていた。

「いくら桃矢でも、手首を取られたままかける技は知らないわよねえ」

 今度は、どこか楽しそうに、綾香は意地悪な表情で言った。確かに、唯一使えそうな肘は反則だし、元より倒れた相手への打撃は禁止されている。

 浩之がよく観察すると、修治は、親指が下になるように桃矢の手首をつかんでいた。丁度相手の上からの手刀を受け止めたような感じだ。これでは、腕を引き付けただけでは取れない。反対に腕を伸ばせば同じ効果が得れるかもしれないが、この握り方は上からの力にはめっぽう強いのだ。

 しかし、理にはかなっているとは言え、修治の怪力のなせる業だろう。普通の選手ならば、それでも桃矢は外すこともできたはずだ。

 相手が悪かった、としか言い様がない。

 そろそろ周りの選手や観客も、異変に気付きだしたようだ。マウントポジションを取ったはずの桃矢が、攻めあぐねているのだ。

 最初に無茶苦茶な動きをしたのだから、修治の実力を予想してもいいものだろうが、一般人にはやはり知名度の高い選手の方が強いと思えたのだろう。まさに、後の祭りだ。

 桃矢は何とか修治の手を外そうとしているが、修治は桃矢を苦もなく捕まえたまま逃がさない。さっきまでの状況が、真反対になっているようだ。

「このままやってても、時間切れになるだけだけど、当然桃矢はそれを許すわけはないわよね」

 マウントポジションに取っているのだから、間違いなくチャンスなのだ。それをみすみす逃すようでは、桃矢の格闘家のプライドにも関わるだろう。

「でも、さっきも綾香が言ったように、持たれている手首を外さないとどうにもできないんじゃないのか?」

「そうよ。だから、桃矢は当然持たれた手首を外しに来るけど……」

 桃矢は、脚で修治の身体を挟むようにしてゆっくりと前に寄りだした。

「あのまま前に寄りきれば、修治の腕は両方とも伸ばされちゃうから、当然手首を持った手は外せるし、その後に関節技にも入れるけど……それこそ、修治の思うつぼね」

 桃矢がほんの少し腰を上げた瞬間、いきなり何の前触れもなく、桃矢の巨体が前に向かって放り出された。

 ズドンッ

 鈍い音をたてて、桃矢は背中からマットの上に叩きつけられた。

 

続く

 

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