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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(53)

 

 体育館全体がどよめく。

 体格の大きな人間が集まっているこのエクストリームの大会においても、桃矢の巨体は郡を抜いていた。

 その巨体が、ものの見事に宙を舞ったのだ。

 いや、その巨体が宙を浮いたのが問題なのではない。その宙を浮いた選手が北条桃矢であり、かつ、マウントポジションに入って完全に有利な状態で、それにも関わらずに投げられたからだ。

「ほら、言わないこっちゃない」

 綾香はさも当然と言わんばかりに肩をすくめている。

 桃矢の取った行動は、間違いではなかった。手首を持たれて技がかけれなかったので、マウントポジションの優位を使って、脚で相手の身体を挟んだ状態で前に寄り、腕を関節技に取るつもりだったのだ。

 だが、修治はそれを狙っていた。腰が浮いた瞬間、これだけはいくら桃矢がうまくとも、どうしようもなく、動こうと思えば腰が浮いてしまうのだ、を狙って、腕の力とブリッジでまるで巴投げのように桃矢を後ろへ放り投げたのだ。

 腕の腕力もさることながら、その切れるブリッジは、さまに神業だ。

 対して威力のある投げでもなかったので、桃矢にはダメージはほとんどなかったろうが、それでも桃矢はあわてて立ち上がる。

 反対に、修治は余裕を持って、ブリッジの体勢から、ゆっくりと、腕を使わずにブリッジの力だけで起き上がる。

 立ち上がってすぐに振り向いた桃矢と違い、修治は背中を向けるような格好だったので隙だらけではあったが、桃矢はそこに飛び込めない理由があった。

「あそこまで実力差を見せ付けられたら、桃矢じゃ、向かっていけないわよ」

 修治や綾香が凄いことは、浩之も重々承知している。承知した上で、普通の練習では果敢にも立ち向かっていくのだが、試合でもそれをする勇気はない。それは、試合になれば綾香が手加減なしになるということもあるが、負ける戦いと分かっていれば、どんな人間でも普通は攻めれない。攻める気が萎えてしまうのが、普通の人間の反応だ。

 鋭い、しかし、悔しそうな桃矢の表情は、ありありとそれを示していた。

 桃矢は、この二人に比べれば、あまりにも普通の人間なのだ。

「しっかし、修治も酷いことするわねえ。実力差はわかってるんだから、さっさと倒してやった方がよっぽど相手も楽なのに。こんな遊びに出てきた上に、相手を弄ぶのはどうかと思うけど」

 綾香の言っていることは、あながち間違いではないが、しかし、修治の動きは、そんな簡単に言ってしまってもいいものだとは到底思えなかった。実際、観客も選手も、横で見ている葵も坂下も、半ば呆然としている。

「何というか……外れちゃいましたね」

 葵が呆然としながらそれを口にだした。

「ああ、外れたというより、外したんだろうなあ」

 坂下も、驚きを隠せなかった。坂下は確かに空手一辺倒であるので、余り格闘技全般に詳しい訳ではないのだが、それでも、桃矢の体勢がマウントポジションと言われる体勢であり、その体勢に入ってしまえば、勝敗はまず決まってしまうことを重々承知していた。

 それをいともあっさり返すとは、修治をよく知っている浩之とて無理だと思ったのだ。他の人間は、綾香を除いておそらく全員想像もしなかったろう。

「綾香と同等かそれ以上って聞いていたから、確かにこれぐらいはやってもおかしくないとは思わないでもないけど……こんな怪物が試合に出てもいいの?」

 修治の存在は、このエクストリームにおいても、パワーバランスを崩す。というより、こうなってしまえば、もうおそらく誰も修治を倒すことはできないであろう。あれほど凄いと言われ、プロでも敬遠した北条桃矢の、マウントポジションをあっさりと返してみせたのだ。他の選手でも、おそらく似たり寄ったりだろう。

「タックルに取られたのも、わざとって訳か」

「どうかな? あのタックル自体は私でもひっかかっちゃうかもね。北条のおじ様の『鬼の拳』は注意するには十分な強さだから。でも、もし修治が本気なら、あの程度のタックルじゃあゆらぎもしないわよ。多分、上からの打撃か、下手をすれば片手一本でつぶされるわよ。特に修治は腕力で言えば私よりも数段上だからね」

 綾香の腕力はその細腕からは想像もできないほど強いが、それも修治と比べれば下なのだ。つまり、その腕力に、綾香と同等以上に動くスピードのある身体。そして、その鋭い技。いかにしてあの怪物を倒せるというのだろうか。

 実際に今、その怪物を前にして、今回大会の優勝候補というより、ほぼ間違いなく優勝してくるだろうと思われていた北条桃矢が、自分が勝つ可能性がないと判断して、攻めれないでいるのだ。

 無謀に向かっていくだけが戦いではないが、どんな戦略を使っても、桃矢は自分が勝てる気がしないのだ、どう攻めろというのだろう。

 桃矢が動かないのを見越してか、かわりに修治がゆっくりと構えを取る。

「結構やるんで、ついつい遊んじまったが……もう終わりか?」

 浩之達は、試合場のすぐそばにいたので、修治のその話声が聞こえた。

「君っ!」

 試合中に話をするというのは、普通ではありえない話だ。あったとしても、どう見ても挑発しているだけに見える。今回も、審判がそれを見咎めて注意する。

 しかし、審判の注意にも修治はまったく気にした様子もなく話を続ける。

「おっさんの『鬼の拳』をフェイントに使ったまではまあいい。北条のおっさんのアレの怖さは、俺は骨の髄まで知っているからな。実際あれには俺もひっかかった。だが、その後のタックルがいただけない。あの程度の工夫のない技じゃあ、俺は倒せないぜ」

「……そう言いながら、倒れただろうが」

「君達っ!」

 修治の挑発に、桃矢ものってきたようだ。というより、ここまで言われて黙っているような人間なら、最初からここには立っていないだろう。

「おいおい、わかってんだろ? 俺が本気なら、あの程度のタックル、簡単につぶせたことぐらい」

「くっ……」

 桃矢の顔がゆがむ。マウントポジションを返されたのだ。自分の何の芸もないタックルが決まる相手ではないことぐらい理解していた。

「君達、試合中に話をしないっ! 失格になりたいのか?」

「まあまあ、固いこと言うなよ。どうせ、すぐに終わるんだからよ」

 修治は、右肘を上に振り上げた状態で構えた。脇はがら空きなのに、桃矢はそこを攻撃できない。

「さて、これでも見て、ちょっとはおっさんのことでも見習うんだな。」

 桃矢は腕を前に出して防御の体勢を取る。腰の辺りで固められた左拳は、カウンターを狙ってのことなのだろう。

 二人が構えただけで、一気に試合場が緊迫する。

「……いくつもりみたいね」

 綾香の声が引き金となったように、修治が一歩踏み込んだ。

 

続く

 

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