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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(54)

 

 ズダンッ!

 修治は、腕を上に構えた状態で、一歩踏み込む。

 もちろん、それはまだ射程範囲外だ。桃矢も、修治の実力を恐れて、かなりの距離を取っている。どんな技を使うにしても、飛び道具でも持ってこない限りは届くことはないだろう距離だ。

 しかし、浩之にとってみれば、そこはすでに危険ゾーンだ。

 綾香の『三眼』ならば、そこはすでに射程範囲内。完璧にKOできる距離だ。

 当然だが、『三眼』状態の綾香でない限りは、まだ攻撃範囲外だ。修治と言えども、無理な距離だろう。

 だが、修治の一歩強く踏み込んだ脚、それは、それ自体で距離を縮めるためのものではなかった。

 その踏み込みは、土台だ。

 不自然に力の溜まっていその踏み込みの脚の異変に気付いたのは、おそらくこの中でも数人しかいなかったろう。

 踏み込んだ力を、一気に前方向に向けて、修治は放った。

 ブワッ!

 修治の巨体が風を切る音をたてて、桃矢に向かって飛んでいた。宙に浮くわけでもなく、一直線にだ。

 いや、おそらく飛んだのだろう、としか浩之には言えない。その踏み込みの速さは、はっきりと浩之や、他の選手の動態視力を遥かに凌駕していた。

 おそらく、それは目の前でその動きをされた桃矢も同じことだったのだろう、修治の踏み込みに、桃矢は反応できなかった。

 文字通り目にとまらぬ速さで、修治は桃矢を「肘」の射程範囲内に捕らえ、腕を振り下ろした。

 気付いたときには、修治の身体が目の前にあったのだ。反撃やカウンターの余裕などまったくなかった。

「くっ!」

 飛び込んできた速さにはまったく対応できなかったが、修治が振り下ろす肘のスピードは何とか対処できるスピードであったので、桃矢は無理やり身体をひねってかわそうとした。その動きも、桃矢だからこそできた動きだ。

 シュパッ!

 まるで刃物が空を切ったかのような音と共に、修治の肘が真一文字に振り下ろされた。

 桃矢は、ギリギリのところでかわしたのか、バランスを崩して後ろにふらつく。倒れていないところを見ると、何とかかわしたようだった。

 しかし、一呼吸置いて、桃矢の胸から鳩尾までが縦一直線に真っ赤に染まった。

 観客からは悲鳴が、選手からは驚きの声があがる。

 修治の鋭すぎる振り下ろしの肘撃ちが、桃矢のたくましい胸板の皮を切ったのだ。避けていたつもりでも、かすっていたのだろう。

 少し呆然とそれを見ている桃矢に、修治は追い討ちをかけようともせずに、構えを解いた。

 ……って、肘?

「待てっ!」

 あわてて審判が試合を止め、人を呼ぶ。

 すぐに救護班と他の審判が入ってきて桃矢の傷の手当てをする。

 正直、かなりの出血量だ。一面が血で染まる、というほどではなくても、桃矢自身はほとんど血で染まっている状態だ。

 救護班の人間も手際よく応急処置で血を止めたが、その間にかなりの血が辺りに飛び散っていた。気の弱い者が見たらそれだけで卒倒しそうな光景だ。

「おいおい、試合中に傷の手当てをしてもいいのか?」

 色々突っ込みたい部分はあったが、あまりにも多すぎて、まったく気にしていないところを浩之は突っ込んだ。

「一応ルールでは酷い怪我なら審判の判断で応急処置をすることになってるのよ。テレビで写すのに、血だらけじゃまずいでしょ」

「まあ、確かにプロレスじゃないんだしな」

 エクストリームで肘が禁止されているのは、何のことはない、出血が多くなるからだ。肘は人間の部位の中でもかなり固い部分であり、そしてもう一つ、かなり鋭い部分だ。

 基本的にはテレビで放送することを前提としたエクストリームでは、血が出るのはいささかまずい。

 どんなに強い選手でも、たまたまかすった肘で出血、そのままドクターストップいう可能性がある。それでは、盛り上がりに欠けてしまうのだ。

 テレビ放送なので、あまり血なまぐさくなるのは避けたかった部分もないではないだろうが、一番の理由は、試合を盛り上げるためなのだ。

 さらに言えば、肘はどの打撃格闘技でも往々にして必殺技足りえる場合が多い。そんなものをぽんぽんと使われては、スポンサーとしてはたまったものではないのだ。

 まあ、それにしたって、あれほどまでに鋭く、髪の生え際や目じりならともかく、胸の皮膚を切るというのは、修治ならではだろう。

 止血はすでに済んで、試合場の掃除が行われていた。血が飛び散ったまま試合を続けるわけにもいかないからだろうが、そうでなくとも、試合はしばらくの間続行されそうになかった。

 審判がかたまって話を続けていた。

「……で、修治はどうなると思う?」

 修治の肘打ちは、確実に反則だ。

 しかし、反対に言えば、肘はそこまで深刻な反則ではない。禁止はされているが、他の禁止されている危険な技と比べれば、とっさに出てしまったり、たまたま当たったりする可能性もある分、きつい反則は取られない。

 判定になれば、まず間違いなく負けるだろうが、一発で反則負けを取られるほどではないのだ。下手をすれば、注意程度で終わるかもしれない。

 むしろ、負ける可能性が高いのは、桃矢の方だ。

 桃矢自身はすでに我を取り戻して、修治を何もなかったように睨んでいるところから見るに、ダメージはなかった、胸を切られてこういうのもおかしいが、ようだが、ドクターストップやTKOを取られる可能性は高い。

 それほどの出血量だ。一般に、どの格闘技でも、試合となれば出血にはうるさい。日本で出血に関して大して何も言われないのは、本当にプロレスぐらいだろう。

 血が出るというのは、実際問題として、止血ができるレベルなら、素手では怖くないことなのだ。

 修治みたいな怪物にかかれば出血させられることもあるが、所詮は皮1、2枚だ。それより深くは、素手では切れない。

 出血多量になるような怪我など、素手ではするはずもなく、試合では負けても、本人はまだまだ元気なことも多い。

 まあ、だからこそ相手の出血を狙う選手もいるのだが。

 審判達は、話がまとまったのか、それぞれの場所に散っていく。

 修治と桃矢は試合開始の位置に立たされ、それぞれに審判の判定を待つ。

 審判は、バッと手をあげ、宣言した。

「武原選手の反則により、北条選手の勝ちとしますっ!」

 

続く

 

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