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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(56)

 

 試合は一時中断され、また飛び散った桃矢の血を拭き取っている。

 桃矢はそのまま反則勝ちとなり、治療もかねて北条につれていかれてしまった。このまま放っておけば、まず間違いなく次の試合はストップがかかるだろうから、なるべく早く止血をしなくてはいけないのだ。

 もちろん、それはまったくの建前で、実際は、このまま桃矢を修治の前に立たせていたら、絶対に修治に襲い掛かるのが目に見えていたからこそ、北条は無理やり桃矢を連れて行ったのだ。

 そこから考えれば、北条もそれなりに桃矢のことを考えているといえる。どうせ、いくら戦おうが、今の時点で桃矢が修治を倒すことなど不可能なのだから。

 良くて試合以外でのケンカで失格、悪ければ修治にぼこぼこにされるだろう。どちらにしろ、今回は桃矢のプライドを曲げても引かせた方が正しかった。

 しかし、この悪人は……

 あそこまでのことをやって平気な顔で帰り支度をしている修治を半眼で睨んだ。

「修治、反則負けになるにしても、もうちょっとやりようがないか?」

 修治は強いのだから、普通にやればルールで縛られているぐらいではハンデにもならない。言ってしまえば、肘を使わなくとも桃矢を出血させるぐらいわけなかったはずだ。

 そして、反則負けになるならなるで、もうちょっと他の手もあったはずだ。あそこで狙って、相手を出血させる必要などまったくなかった。

 狙って? そう、修治は相手を出血させることを狙ってやった。反則負けになることも狙ってやった。

 修治が本気なら、あの踏み込み同様、振り下ろした肘も審判には見えなかったろう。修治も実際、まったく修治の踏み込みのスピードについていけなかったのだ。

 肘のスピードは、他の打撃と比べても、思うより速い。というより、見えないのだ。

 ボクシングでは反則ではあるが、ごくたまに肘での攻撃が見れる。フックなどのパンチを避けられたときに、そのまま肘をかすらせるのだ。

 うまく肘があごにでもかすれば、まず脳枕頭で立ってこれない。もちろん反則を取られるのが普通だが、それがまだ遅いパンチならいいが、問題はそれが速いパンチだと、その肘はほとんど判別不可能になってしまうのだ。

 拳と肘、距離は遠いとは言えないが、当たる部位が違うのだから分かりそうなもの、という考えは甘い。フックのような振るパンチで肘を入れられたら、ほとんど同時に感じるのだ。しかも、本人は避けたと思っているからさらに始末が悪い。

 今の時代、スローモーションならわかりそうなものだが、全方向から写しているわけでもないし、何かと格闘技はビデオでは判断し辛いのだ。

 この例は、拳しかないという前提で戦うボクシングだからこそというところもあるが、実際肘は見え辛い。何故なら、動きの半径が短いのだ。

 腕を伸ばして振るのと、たたんで振るの、当然、伸ばした方が先端は速くなるが、実際には、伸ばした方が避け易い。

 先端のスピードはあがっても、その分、動く部分も多くなり、目標がつけやすいのだ。しかし、肘は短く、目標がつけ辛い。

 他にも、近距離に寄られているので、見え辛いという部分もある。

 とにかく、修治ならば、振り下ろした腕に当たったように見せることも、スピードが速すぎて審判が何をしたか理解できないようにすることもできたはずだ。

 踏み込みは桃矢どころか、下手をすれば綾香や北条鬼一、ああいうレベルの確実に違う人間以外には目視できないほどのスピードだったのだ。

 部位の大きい身体全体の動きを見せないほどのスピードで動く人間が、何でいちいち肘が見えるように動いたか、それは、自分を反則負けにしてもらうために他ならない。

「いや、俺としてはちょっと遊んだだけなんだけどなあ」

 遊びにしては、いささか、いや、遊びというならまず間違いなくその流れた血全部が多すぎるような気もするというか、間違いなくそうだ。

「まったく、あんたっていじめっ子だったのねえ」

「てめえだけには言われたかないけどな」

 綾香も呆れているが、綾香の場合は、自分のことは確実に棚にあげているので修治に突っ込まれても致し方ないだろう。まあ、どちらが程度が酷いかと聞かれれば、浩之は背を向けて逃げるつもりではいたが。

「で、どうするんだ、修治。桃矢にケンカを売るだけ売っといて帰るのか?」

「ああ、どうせ今回は楽しそうなこともないだろうし、さっさと帰るわ。ここにいると色々と北条のおっさんにちょっかいかけられそうだからな」

 桃矢のことでどうこう言ってくるような性格には思えなかったから、おそらくは、修治本人の実力に興味があって、北条がちょっかいをかけてくるのだろう。

 武原修治対北条鬼一。

 お金を払ってでも見たい対戦カードではあるが、見るのは浩之としてはビデオで十分というか、それでしか見たくなかった。

 絶対、これはもう予想とか予言とかそういう意味ではなく、事実だ、我慢しきれなくなった綾香もしゃしゃり出て、三つ巴の状態となり、当たり前のようにまわりでとばっちりを受ける人間は出てきて阿鼻叫喚な状況になるのは目に見えている。

「今日は俺もあんまり調子良くねえんだよな。これが絶好調の日なら、おっさんのちょっかいにも喜んでのるんだが。あの北条のおっさん強えんだわ。コンディションが万全でも、楽しては勝たしてくれんだろうしな」

「同感。今はけっこう血が騒いでるから、誰にでも相手したいところだけど、北条のおじ様とは今の状況じゃやりたくないわ」

 綾香を持ってそう言わしめる北条鬼一の恐ろしさはともかく、おそらく北条鬼一をしてそう言わしめるだろう二人の会話は、まさに浩之には異次元の世界の話だ。

 まあ、唯一の救いは、ここで修治がいなくなってくれるところか。

「んじゃあ、俺は帰るけど、浩之、がんばって優勝しろよ」

「……努力はする」

 修治はほいほいと相手しているが、実力を見た限り、浩之は桃矢に勝てる要素が全然なかったので、とりあえず当たり障りのない返事だけしておいた。どうぜ修治だってそれぐらいのことは分かっているはずなのだ。だからこそ嫌がらせで言っているのだろうが。

「俺がいないんだ、地区大会の優勝ぐらい狙えるだろ」

 当然、さっきの試合で目立つだけ目立った後だ、多くの選手が修治に興味を抱いているし、中には聞き耳をたてている者もいる。

 そういう輩には、浩之の姿はさぞ強そうにうつるのかもしれない。綾香の正体を知っていればなおさらその誤解は大きくなるだろうことも予想できる。

 まわりが目を合わせないように聞き耳をたてているのに浩之は気付きながらも、大きくため息をするしか方法がなかった。

「……いいかげんにして欲しいぜ」

 

続く

 

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