作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(59)

 

 まったく無名の選手の対戦のはずなのに、その試合は始まる前からかなり注目されていた。

 ここに来る選手は、それなりの実力を、全員とは言わないが、かなりの人数が持っている。もちろん、相手の実力を断片なりにも理解する能力ぐらいはある。

 注目されている両人が自分自身をどう思っているかは別にして、次の対戦の二人は、かなり注目されていた。注目されているというのは、このエクストリームでは、よほどのことがない限り、実力があるという意味だ。

「何か、すごいことになってるね」

「そうですか? センパイの実力を考えれば、普通だと思いますけど」

 まわりの選手達が、その試合のことを話しているのだ。やれあの藤田とかいう選手は、かなりバランスが取れているだとか、中谷という選手は、見たこともないようなスピードで動くとか。

「ま、中谷もうちの部に来てやってるよりも動きはいいし、藤田はともかく、いい試合はやってくれるんじゃないのか?」

「確かに、あの中谷って人は凄い動きが速いですね。でも、センパイなら、大丈夫だと思います」

 別に二人とも意見が分かれているわけではない。それでも応援する方に差があるのは、個人の勝手な部分だ。

 坂下は、浩之をそれなりに、いや、むしろかなり評価はしているが、中谷の動きは、まったくあなどれないものだというのも理解している。結果、同じ空手を使う中谷を応援するつもりでいる。

 葵は、言うまでもない。浩之に、実力も含めて、全てに惚れているのだ。応援しないわけがないし、少しぐらいひいき目に見てもおかしくない。

「それに、綾香さんが対策をたててくれてるようですし……」

「その分は間違いなく藤田が有利だよ。何せ、あのバカじゃあ、参謀にはならないからねえ」

 もちろん、言うまでもないと思うが、バカというのは中谷の先輩、寺町である。実力はともかく、頭が切れる方ではない。

 綾香は、実力だけでも恐ろしく凄いのに、それに加えて、頭もまわる。まさに卑怯を絵に描いたような格闘家なのだ。

 参謀の意味では、浩之の方が断然有利だ。何せ、中谷があれだけの動きをしても、かっこうだけと言い切るほどの猛者だ。当然、対策などお手のものだろう。

 もっとも、対策を練っても、どうにもできないということが、格闘技では往々にしているのだが、そこは浩之の実力如何だ。

「とりあえず、作戦のたてれる部分はたてといたわ」

 綾香が、浩之をどこかに放っておいて帰ってきた。

「綾香さん、センパイは?」

「試合場の方よ。そろそろ始まるんでしょ?」

 綾香が指差した先には、浩之が試合場に出てくるところだった。反対側からは、やはり戦う前の表情には見えないほどの穏やかな表情で中谷が入ってくる。

 まわりの注目が、一気に集中した。

 しかし、まったくエクストリームには似つかわしくない選手二人である。方や、顔はいいが、やる気のない表情、方や、冷静にさえ見える美形だが、穏やかな表情。身体も、この大会ではおそらく軽い方から数えた方が速いだろう。

 だが、実力は、おそらくどちらも本物。

 というのは、いまいち浩之の実力が、実を言うと見えてこないのだ。

 弱いわけではないだろうし、動きもいいし、バランスも取れているのだと思えるのだが、何故かあまり強いという、つまり「怖い」という感じを受けない。

 反対に、中谷は、そのスピードと打撃精度は、常軌を逸しているものだ。それは、どんな格闘家にとってもかなり脅威になるだろうし、誰もがあまり対戦したくはないと考えているはずだ。

 それは中谷の怖さだ。反対に、浩之は自分の手の内を見せていないと取れなくもないのだが……

 実は、葵でもよく知っていることがある。浩之には、得意技や必殺技がないのだ。

 有り余る浩之の才能を、一つに特化させれば、当然、そこは極端に上達する。浩之は、それを今やっている最中なのだ。

 だが、才能というものは、一つの弊害を起こすこともある。

 全てをそれなりにこなせるだけの才能があると、その特化が難しくなってくるのだ。練習はするだろうし、どの技も上達はするのだが、どうしても特化はしない。

 物事に特化するのがいいことか悪いことかは別にして、こういう試合では、脅威となる技は、一つは持っておいた方がいい。相手に与えるプレッシャーが違うのだ。

 浩之には、それがない。何でもそつなくこなせるということは、一つも秀でたものがないと同義語なのだ。

「後は浩之次第よ。私らは気楽に観戦しときましょ」

 綾香は気楽にそう言って観戦モードに入ったが、危なくなれば絶対に野次や叱咤をかけるのは間違いなかった。綾香はそういう女だ。

「センパ〜イ、がんばってくださいっ!」

 葵は、すでに大声で応援することを心に決めるどころか実践していた。

 浩之は、葵の方に軽く手をふる。その表情は案外落ち着いていた。やる気のない顔、と言えばそれまでだが、いつもの調子を保っていられるというのは、非常に大切なことなのだ。

 まわりからの、やっかみやひがみの視線、何せ葵は非常にかわいいのだから、にも、どこ吹く風という表情だ。

「中谷っ、一ラウンドで決めてこいっ!」

 そのさわやかな場面を軽くぶち壊したのは、当然バカの大声だった。

 しかし、一試合目のときと違い、失笑はどこからももれなかった。あまり選手をよく見ていない観客からはあったかもしれないが、選手の方にはまったくなかった。

 修治に不覚を取ってしまった桃矢よりも、今はあのバカ、寺町に一番注目が集まっているのだ。実力があれば、その程度のことでは笑われないし、むしろ真面目に取られる。実際に、一試合目を中谷が一ラウンドで終わらせてきているのだからなおさらだ。

「うーん、あのバカの後に応援するのは、あんまりいい気はしないね……」

 中谷を応援しようとしていた坂下は、出鼻をくじかれて、結局やはり少し小声で応援することにした。

「中谷、がんばりなさいよっ」

 あまり大きな声ではなかったが、それでも中谷には届いたようで、坂下に向かって軽く頭を下げる。何事かとまわりの人間に見られるが、それを気にする坂下ではない。

 二人は、試合場に立った。

 注目を集める中、審判が手を出した。

「レディー……」

 浩之と中谷は、お互い、それぞれの構えを取る。

「ファイトッ!」

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む