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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(63)

 

 中谷の左右のフックが、浩之を捉えた。

 ……ように見えた。

 左は、確かに浩之のあご先を捉えていた。一部の狂いもない。打撃精度が異常に高い証拠だ。

 だが、中谷の右の拳は、浩之の左腕に完全にガードされていた。

 綾香の作戦は、完璧に成功した。この左のガードは、ただ右のフックをガードするためだけに行っていたものなのだ。

 通常、引きつけた腕は大したガードにはならない。直撃するよりかはいくらかましなものの、完全に付けられた腕というのは、衝撃の多くを通してしまう。蹴りを受けてしまうと、もしかしたらこの体勢でもKOされかねない。

 だが、中谷の右フックには非常に有効な防御方法だった。

 中谷の右フックの恐ろしさは、左フックで狙った場所の反対側を、正確に突いてくる、その打撃精度だ。左右に一瞬で振られ、脳震盪を起こさせるのだ。

 だが、これがガード、しかも顔側面に引っ付くほどのガードの上からとなると、衝撃は一点に集中できなくなる。

 しかも、この左腕が支えなることによって、左からのパンチも、衝撃を最小限に抑えることができるのだ。

 こうなれば、ダメージは蓄積はされるものの、KOされる可能性は極端に低くなる。浩之は、攻撃に専念できるのだ。

 理にはかなっているものの、無茶な作戦だ。だが、綾香はそれを選び、浩之はそれを成功させたのだ。そのチャンスを作るために。

 いかに、中谷がスピードがあろうとも、このフックの後に隙をまったく作らない、というのは不可能な話だ。

 この瞬間を狙っていた浩之は、弾かれた右腕をひきつけていた。

 ビュンッ

 間一髪のところで、浩之の右のストレートを中谷は避ける。

 浩之の右腕が空を切ったのは、浩之が少し力んだのと、中谷がそれでも反応した結果だ。だが、いくら何でも無理はあった。

 浩之は、ここぞとばかりに、一歩距離を縮めながら、左のローキックを放つ。

 バチィッ!

 浩之のローキックが、中谷の脚を捉えた。

「やったっ!」

 葵が思わず声をあげる。浩之のスピードでは一発当てるのも難しい相手に、一撃を入れたのだ。しかも、入れた場所がいい。ローキック一発では、倒すことはできなくとも、もしかしたら脚を遅くさせる効果はあるかもしれないからだ。

「まだよっ、追い討ちっ!」

 綾香のアドバイスにも似た怒鳴り声よりも、浩之の動きは速かった。左脚を引く力をそのまま利用して連続技につなげ辛いローキックから左のロングフックを放つ。

 クンッと、修治を彷彿とさせるほどではないにしろ、中谷は身体を後ろにそらしてそれを避ける。しかし、その体勢もあまりバランスの良いものではない。

 次に、入るっ!

 背中をそらし、がら空きになったあごに、浩之はガードしていた左腕の脇をしめ、狙いをつけた。ほぼ勝敗の決まった隙だと思った。

 ズガッ!

 浩之はあまり強くない下腹部の衝撃を感じ、そして、浩之の左のストレートの位置に、中谷のあごはなかった。

 中谷は、バランスを崩した状態から前蹴りで浩之の腹を蹴ったのだ。当然威力はなかったが、少なくとも浩之の腕よりもリーチはある。

 中谷の身体は、浩之の腹を床として、後方に飛んでいた。そして、浩之の左のストレートから避けたのだ。

 まさに、驚異的な足だ。すでに逃げることのできないまでに使われた足から、さらに先まで逃げることをやってのけるのだから。

 しかし、バランスを崩した状態から後ろに飛んで逃げたということは、後は倒れるだけだ。それは、自分の足を殺すということになる。

 追い詰めたっ!

 浩之は、バランスを崩して倒れる中谷を追った。倒れてしまえば、いかに速い足も力を無くす。中谷がどれほどに寝技ができるかわからないが、空手がベースな以上、打撃よりは苦手なはずだ。浩之としては願ってもないことだ。

 しかし、この時点では、少なくとも中谷の方が一歩上手だったのか、それとも運が良かっただけなのか、浩之にとっては無常な声があがった。

「待てっ!」

 審判が、試合を止めたのだ。

「え、まだ時間は……」

 葵はあわてて時計を見る。まだ時間は一分ぐらいは残っていたはずだ。寝技で浩之が勝てなくとも、体力を消耗させることはできるはずだ。

 それは、一方的に浩之に不利な審判の判定になるが、浩之はそれに従わない訳にはいかないのだ。しぶしぶ倒れた中谷の追撃をあきらめ、試合場の中央に戻る。

「一体、どうしたんですか?」

 葵は綾香に訊ねた。エクストリームは、基本的に審判が止めるのは、時間が来たときと、試合が決まったとき、反則をしたとくぐらいだ。後は、ほとんど試合など止めない。何せ、立っていようが寝ていようが、それはそれで戦いの場所なのだから。

「……あの中谷ってやつ、平和そうな顔して、なかなか考えていたようね。あんな状態でも、ちゃんと逃げ道を作ってたみたい」

 自分の逃げれる場所を、いつも確保しておく。それは足を武器とする者にとっては当然のことだろうが、それをここまで考えているものが何人いるだろうか?

「君、今のは故意ではなさそうだが、場外には気をつけるように」

「はい、すみません」

 審判の注意に、中谷は素直に頭を下げる。

 それを聞いて、浩之も憎憎しげに苦笑する。自分がしてやられたことを理解したのだ。

「場外……だったんですね」

「そうよ。しかも、自分で逃げれば注意だけじゃ当然済まないけど、相手を蹴って、その反動でバランスが崩れて……ていうなら、理由もつくものね」

 自分がバランスを崩しても、逃げれる道を、ちゃんと中谷は作っていたのだ。二度もその手が通じるとは思わないが、それは浩之とて同じなのだ。

 KOはされることはないかもしれないが、中谷は、作戦を変えて逃げ回ることもできるのだ。これで決めれなかった浩之は、かなり不利となる。

 この一度の攻防のために、中谷は慎重に距離を取ってしかけたのだ。作戦をねっていたのは、自分達だけではなかったということだ。

「でも、これで、藤田は余計不利になったね」

 坂下は少し嬉しそうに言った。一応、空手を使う中谷を応援しているのだから、浩之が不利になることはいいことだ。しかも、中谷があそこまで華麗に避けてみせれば、坂下としても、満足のいくものだ。

「ま、逃げるのはあんまり性に合わないけど、自分のスペックで戦わないといけないからね」

 そう言って、坂下は中谷の戦い方を認めた。

「そう、自分の持ってるスペックで戦わないといけないのよ」

 浩之を応援しない坂下を睨んでいた綾香は、気を取り直して、試合場に向き直った。

 そう、そこに立っている以上、自分の実力で、自分の技で、自分の頭で戦わなくてはいけない。アドバイスはできても、綾香が戦う訳ではないのだ。

 でも、それでも、綾香は思う。

 それでも、十分、浩之は勝つわよ。

 

続く

 

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