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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(68)

 

 浩之には、中谷の左腕が拳を構えたのを見た。

 遅い、今までなら、腕の残像を残すような打撃が見る影もない。

 だが、スピードが落ちているのはこちらも同じ。いくらダメージがあろうと、中谷には充分捕らえれるスピードだろう。

 それでも、浩之は自分が有利と見ていた。

 中谷と自分では武器が違う。中谷はスピードを武器にするのに対して、浩之はバランス良く、言い換えればこれと言ったものがないのだが、長所もない代わりに、弱点も少ない。

 今なら、力で押し切れる。

 左のジャブを、浩之はかいくぐった。充分に避けれるスピードだ。

 が、浩之の腕も空を切った。

 中谷は、それでも浩之のタックルを避けたのだ。確かにスピードは落ちてはいるが、何とか同じくスピードの落ちた浩之のタックルからは逃げることができる。

 中谷は、浩之と同じように思っているのだ。スピードを生かせば、勝てると。

 正直、浩之はダメージが足にきている。ダメージを残しながらも、まだスピードが並以上の中谷を、腰砕けのタックルでは捕まえきれない。

 ここに来てまで、まだ打撃戦かよ。

 しかし、浩之だって打撃の方が得意なのだ。スピードと打撃精度で完璧に負けていた浩之は、なるだけ打撃戦をしたくはなかったのだが、もうこの状況ではそうは言ってられない。

 意を決して、浩之は構えを変えた。スタンスをコンパクトに構え、完璧に打撃スタイルになる。

「セイッ!」

 浩之のワンツーを、中谷は左は避け、右は弾く。

 しかし、中谷もすぐには反撃できない。もうショートフックを使えるだけの力は残っていないのかもしれない。

 これは……打撃戦でもいけるか?

 相手に打撃が届かない、という状況が打破されたのだ。今ならば、おそらく蹴りも入るだろう。ガードがうまいので、クリーンヒットは望めなくとも、そのまま押し切ることができる。

 しかし、その浩之の思惑とは別に、中谷は左ストレートを放つ。

 左は軽い、ガードで充分。

 バシッ!

 浩之のガードの上に、重いパンチが当たった。

 えっ?

 バシイッ!

 浩之が驚いて体を硬直させた隙に、中谷の左のローキックが決まる。

 こ、こいつっ!?

 浩之は脚の痛みに顔をしかめながらも、とっさに左アッパーを放つ。

 アッパーは下から来るのでガードし難い。中谷はそれをわかっているのか、後ろにさがってそれを避ける。

 が、次の瞬間には、スピードはないものの、すぐに一歩踏み込み、浩之を打撃の有効範囲に捉えていた。

 中谷のワンツーを、浩之は避ける。やはり、前と比べれば間違いなくスピードは落ちている。

 が、反対に、威力はあがっていた。しかも、さっきまでは見せていなかったキックまで使い出したのだ。

 その変化に、綾香達はいち早く気付いた。

「あれは……」

「……間違いないわね。ボクシングスタイルから、空手スタイルに変えたわ」

 近代空手は、伝統派の空手よりも、キックボクシングに近い。特に、中谷はそよりもボクシングに近い、いや、ボクシングでもある意味ここまでは徹底しない拳だけの戦い方をしていた。

 それは、スピードを活かすための、苦肉の策だったのかもしれないが、それは確かに強かった。

 綾香も、対ボクシングに近い対策を浩之に与えていた。ボクシングスタイルで、パンチに威力がないのだ。いくらでも解決策はある。

 が、ダメージを受け、すでにその翼が折れてしまったと判断した中谷は、英断したのだ。スピードを殺すことを。

 それでも、浩之よりも足運びは速いかもしれない。これは、完璧に練習した年月の違いだ。しかも、空手スタイルならば、その打撃は充分脅威となる。

 腰の入ったパンチに、重い蹴り。さっきまでの相手とは対極の相手と浩之は戦わなくてはいけないのだ。

 すでに、浩之のスピードも殺してある。立つ土俵は同じ、ならば、今まで自分が練習してきたものにかけようとする、中谷の英断の前に、浩之は戸惑っている。

「浩之、何やってるのよっ、いつもの相手でしょ!」

 そう言われても、浩之にはすぐに割り切ることができない。威力ならば、自分の方が上だと思ったのに、それも負けるかもしれないのだ。

 中谷の変幻自在な、いや、基本通りのしっかりした打撃に、浩之は押されていた。何発かはクリーンヒットではないものの、確実に受けている。

 地力の差、綾香は唇をかんだ。

 浩之は天才だ。後何年もすれば、奇跡的に自分に追いつくかもしれない。だが、今はまだ中谷の方が努力で勝っている。

「よし、行け、中谷っ!」

 少し離れた場所で、バカが怒鳴っている。あの男にもわかっているのだろう。地力で、中谷の方が勝っていることを。そして、小細工のなくなった今こそ、その差は勝敗につながることを、この男は天然で知っているのだ。

 浩之を勝たせてやりたい、でも……

 綾香は、うまいアドバイスを思いつかなかった。地力で負けているのだ。今更、小手先の作戦が通用するとも思えなかった。

 綾香から言わせれば中谷の空手の実力はまだまだだったが、それでも、今の浩之よりは強い。それは、勝敗に大きく関わる。

 まだ、浩之が負けるには早い。何か、何か手は……

 綾香が不可能に近い策を考えているときに、それとは同じことを考えながら、まったく違った行動を取った子がいた。

「センパイッ、負けないでっ!!」

 体育館全体に響こうかと言う声。

 おそらく、この子は頭に血が上って自分で何をしているかわかっていない。それに、今さら応援など……

 バシッ!

 浩之の掌打が、中谷の顔にヒットした。軽い当たりだったのか、中谷は後ろにたたらを踏む程度で済んだようだが、打撃の手が止まった。

 あの危機を、脱した!?

 葵の心の底からの応援に反応したのか、それとも、ちゃんとねらってやっていたのか。ともかく、中谷の厚い守りを抜けて、打撃が決まったのだ。

 どちらにしろ、間違いなく、それはチャンスだった。偶然だろうと、必然だろうと、それは浩之の呼び込んだ勝機。

 拳を固め、身体を無理やりひっぱり。

「行っけぇ、浩之っ!」

「センパイ、ファイトッ!」

 浩之は、中谷に突っ込んだ。

 

続く

 

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